第35話


 モテる男は辛い、なんて言ったら世の男から血祭りにあげられるだろう。


 嫉妬心というのは人を狂わせる。

 では、実際モテる男になってみた感想とはどんなものか。

 一言では足りないので二言で表現しよう。


 実際、結構疲れる。

 けど、悪い気はしない。


 残念ながら、人間とは浅はかなもので、かくいう俺もそうなのだが。

 他人よりも注目を集めている、優れていると評価される、羨望の眼差しを向けられるという状況は蠱惑的で冷静な判断を奪い取る。


 優越感は依存する。

 それを失った時、はたして俺はいつもの俺でいられるだろうか?


 贅沢な悩みかもしれない。

 こんなことを、羨ましげに俺を見ている男子生徒に語ろうものなら殺されかねない。


 もっとも、彼らのその妬みや嫉みの言葉は、俺の耳に入るように聞こえる場所で発せられている。

 これは、ある意味ではお約束と言うモノで、言ってる側も言われる側もわかってやっていることだ。内輪のノリと言ってしまっても良い。


 厄介なのは、聞こえない場所で吐き出される悪意だ。

 そして、その対象は得てして羨望の対象に向けられるものでは無く、それを取り巻く周りの人間に向けられる。




 午前中最後の授業が終わった。

 にわかに教室は騒がしくなり、廊下からも喧騒が聞こえてくる。


 俺は、いつものように学食に行くために席を立とうとする。

 その時だった。


「成嶋くん。お昼ごはんですか?」


 二上双葉が俺を呼ぶ。その瞬間、教室内が静まり返ったかのような感覚がした。


「そりゃ昼休みだからな」


 至極まっとうで面白みのない返答をする。しかし、二上は纏うような雰囲気を崩すことなく言う。


「普段は学食に行かれてますよね? 実は、お弁当を用意してきたのですが、よろしければ食べていただけませんか?」


 今度こそ、ハッキリと教室内が静まり返る。

 その異様な静寂の中で、二上は更に言葉を紡ぎだす。


「先日のお礼です。こんなことしか出来なくて申し訳ないのですが」


 俺は先ほどアキトから言われた言葉を思い出していた。


 しばらく大人しくしておいた方が良い


 この場合の大人しくとはどうするのが大人しくなるのだ?

 俺はその答えを求めて視線をアキトに向ける。

 しかし、俺は重要なことを失念していた。アキトはアホなのだ。


「ぐ――――!」


 サムズアップ。

 言いたいことは分かる。


 壱岐と久遠は任せて、そのまま行け!


 映画の終盤で主人公を助けるために命をかけるカッコいい脇役みたいなことをする奴だ。

 もっとも、この場合は何の助けにもなっていない。


「いかがですか?」


 何も言わない俺に二上は少し不安げな表情を浮かべて訊ねてくる。そのまるで計算されているかの様なあざといアピールは、俺以外の男子生徒にクリティカルヒットしている。


 バキッと、何かが折れる音が聞こえてくる。

 二上の後方、彼女からは見えない位置に集まっている男子生徒たちは、各々が手にした割り箸などを片手で折っているのが見える。

 中にはコンビニで買ったであろうおにぎりを文字通りにお握り潰してしまっている者もいた。


 改めて二上を見ると、今更気付く。

 いつもの落ち着いた雰囲気を纏っていると思っていた俺だったが、よく見れば僅かに頬を赤らめてどこか恥ずかしそうにも見える。

 考えてみれば簡単な話だ。いかに正妻ヒロイン、完璧美少女、ラブコメの神に愛された女と言えど、教室のど真ん中で男子生徒を昼食に、しかも弁当持参で誘うなんていう行為が恥ずかしく無いわけがない。


 たとえ、それが恋愛感情ではなく純粋な好意だとしてもだ。


 ここでもし俺が断ったりすれば、女子生徒からは大顰蹙。男子生徒からは潰れたおにぎりを叩きつけられることだろう。

 さらに、もしも泣かせるようなことにでもなれば俺は教室から放り出される。

 廊下側では無く窓側から。


「じゃあ、お言葉に甘えて」


 もはや俺に用意されていたのはYESまたはハイの言葉だけだ。

 こうなることは、もはや最初から決まっていたのではないかと思ってしまう。


「では、行きましょうか。中庭でしたら、涼しくて昼食にはピッタリかと思います」


 そうして俺は教室から連れ出された。

 俺は背後から向けられる怨嗟の炎を感じながら、二上の後を追うことしか出来なかった。


 なるほど、今日が俺の命日になるのか。

 アキト、やっぱり葬式のスピーチの原稿を用意してもらうことになりそうだ。


 などと考えながら廊下を移動している間も、俺たちは好奇の視線に晒され続けた。

 二上は、男子生徒から熱い視線を、女子生徒からは冷ややかな視線を。

 一方の俺は、女子生徒から好意的な視線を、男子生徒からはある意味で熱い視線を浴びせられる。


 そこで気付いたのだ、二上は普段からこのような眼差しを向けられているのかと。

 羨望の視線も過ぎれば苦になるだろう。常に注目を、期待を、好意を向けられているというのは、それだけ重圧にもなる。


 もしも、二上がその信頼に背くようなことをすれば、その全てが彼女に非難や悪意を向ける可能性を秘めている。

 俺はたった半日で息苦しさを覚えている。

 なら、入学以来。いや、もしかすれば中学、小学校、もっと以前からそういった視線を向けられ続けている彼女は、一体どういう心境なのだろうか?


 考えても答えはでない。

 そして、俺はあの言葉を思い出していた。


 久遠は言った『人は外見だけでは判断できない』。

 俺は言った『外見は内面の一番外側だ』。


 では、二上の今見せている表情は?


 それは本人にしかわからない。もしかすると本人にもわからないかもしれない。

 そんなことを考えながら俺はただただ廊下を歩いて行く。

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