第34話


 ダモクレスの剣という故事を知っているだろうか。


 内容はともかく、言葉自体なら耳にしたことはあると思う。

 古代ギリシア、とある王に仕えるダモクレスという家臣がいた。


 ダモクレスは王の持つ権力と栄光を羨んでいた。それに気付いた王は一計を案じる。

 ある日ダモクレスは、王から贅を尽くした宴会に招待された。さらに王はダモクレスに、“普段から”自分が座っている玉座に腰かけるように勧める。

 ダモクレスは不思議に思いながらも内心はウキウキとしていたのだろう。

 しかし、座った瞬間にダモクレスはあることに気付いた。


 天井に一本の剣が、それも今にも切れてしまいそうなか細い糸によってつるされていた。

 玉座に腰かけた者にしか見えないそれに気付いたダモクレスは慌てて飛びのいた。

 すると、王は言う。


 それが、王という立場だと。


 結局、何が言いたいのかと言うと栄華を極めた人間でも常に危険にさらされているというのがこの故事の本来の意味なのだが、俺はもう一つ教訓を見出すことができると思っている。


 それは、ダモクレスは玉座に腰かけるまで王の気持ちを理解できなかったと言うことだ。




 次の休み時間が来るまでの授業中、俺は今朝から覚えていた違和感の正体について考えていた。

 そして、授業が終わると同時にやってきたアキトによって答え合わせが行われることになる。


「ねぇナル君。学年一のモテ男になった気分はどう?」


 その言葉によって、俺の出した結論は間違っていなかったことを悟る。


「どうもこうもない。動物園のパンダみたいだ」


 そう言うと俺とアキトは何気なく、教室全体をぐるりと見回した。

 同じクラスの女子生徒だけでなかった。他のクラスからも何人も、さらに廊下からもこちらをチラチラと、しかし確かに窺っているのがわかる。


「なんでこうなった……」


 そう呟きながらうなだれる俺を、アキトは心底楽しそうに茶化してくる。


「なんでってねぇ。ナル君わかんないの? そんなわけないでしょ?」


 アキトの指摘通り、いつもの俺なら少し考えれば答えは出せるだろう。しかし、いつにない事態と右手の痛みで頭が混乱している。


「考えたくないから言ってくれ……」


 アキトは意地の悪いニヤニヤとした笑みを浮かべながら言う。


「まぁ最近の評価と、やっぱ球技大会での大活躍が大きいよね」

「一回戦負けにケガしただけだぞ」

「わざと言ってる?」


 アキトは疑る様な視線を向けてきたが言葉を続ける。


「まずは、バレーだよね」

「負けたぞ」

「バレー部相手に孤軍奮闘!」

「孤軍奮闘なんてよく知ってたな」

「ミクちゃんが言ってた。意味は知らない」


 アキトが咳払いをして気を取り直す。


「バレー部6人に対してナル君はたった一人、絶望的な戦力差でも諦めることなく立ち向かう!」

「バレー部は4人で他2人は一般生徒だ。そして俺以外に味方は5人居た。いや、5人合わせて一人分の働きだから計2人か?」

「ナル君一人で5人分働いたから計6人じゃない?」

「おーけーそれでいこう」


 アキトは制服の襟を正すと改めて大仰な口ぶりで話し出す。


「試合にこそ惜しくも負けたが、素人相手にバレー部の面子はズタボロ。試合に負けて勝負に勝ったナル君の知名度は鯉のぼり!」

「ウナギな」

「その注目度の中で身を呈して女子生徒を庇うイケメンムーブ! そりゃ人気でるって」

「イケメンムーブ」

「ボールは掴み損ねたけど、女子のハートはがっちりホールド」

「うまい、座布団一枚」


 ひとしきりふざけたところで本音をぶつける。


「で、どこまでマジなの?」

「全部マジ」

「いやいや、それだけでこんな事にはならないだろ」


 俺にはどうにも信じられなかった。いくらなんでもこの事態は大げさすぎる。


「やっぱナル君は鋭いね。実はこれだけじゃないんだよね」

「……俺、なんかやっちゃいました?」


 丸めた教科書で叩かれた。


「ミクちゃん曰く、不良が雨の日に捨て犬を見つけて自分の傘を置いて立ち去る効果だって」

「長いな。論文にまとめた時に面倒くさそうだ」

「ミクちゃん曰く、ナル君は見た目こんなだけど中身は紳士的だからね」


 俺はアキトの低身長とガキの様な中身がそれほど相違していないことを指摘しようとしたが、丸めた教科書が怖いので黙ることにする。


「今回の件で、そういうギャップのあるところが女子の間で広まっているらしいよ」

「よく知ってるな」

「広めた本人から聞いたから」


 三倉のやつ。放送部所属は伊達ではないという事か。


「全く羨ましいね。ほんと羨ましい」

「彼女持ちのセリフかそれ? 録音して告げ口するぞ」

「めちゃくちゃ怒るだろうなー」


 どこか楽しそうに言うアキトの表情ははっきり言えばキモかった。

 ここにマエが居たら、キモイを連発しそうなくらいキモイ。


「ま、どちらにせよ。しばらくは落ち着かないよね」

「人の噂も」

「365日」

「なげーよ」


 ともかく、ことわざ通りにいけば夏休みに入ってしまえばうやむやになるだろう。

 それまで、この好奇の目に晒されることになるわけだが……。


「しばらくは大人しくしておいた方が良いよ」

「そうだな。何かするたびに騒がれたんじゃたまらねぇ」

「いやいや、そっちじゃなくて」


 するとアキトが教室の一角を指さす。その先にはあの忌々しい坊主頭のアホと、何人もの男子生徒が集まっている。

 そのうらめしそうな視線と声がこの席まで聞こえてくる。


「やはり始末すべきだった」

「今からでも遅くない」

「イケメン殺すべし」


 俺は嫌な汗を流しながら視線を前に向ける。


「俺、死ぬのか?」

「葬式の友人代表スピーチは任せといて」

「いや、それは結婚式まで取っておいてくれ」

「でたイケメンムーブ」

「なるほど、これか」


 すると、ちょうど休み時間終了を告げるチャイムが鳴る。


「ま、モテてるって言ったけど、要は話題の人物ってだけだから何事も無ければそのうち落ち着くよ」


 去り際にアキトはそう言った。

 俺は、不安や喜び、期待と恐怖など相反する複数の感情に悩まされながら午前中を過ごす。

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