第六章 ヒロインたちは譲らない

第33話


 名誉の負傷とは肯定的な意味で使われる。

 本来は、戦場で戦傷を負った軍人に対して贈られていた言葉だ。

 そういった傷痍軍人は恩給の対象だったり、社会的な優遇措置が取られ敬意を表されたりする。


 そういった事情から、現在はスポーツの試合などで勝利のために傷を負ったりした場合にも名誉の負傷と呼ばれる。


 ならば、俺のこのケガも名誉の負傷と定義して良いのではないだろうか。


 俺は、女子生徒二人を守り切り勝利したのだから。



 週明け、いつもの時間に学校の門を通過する。

 負傷した右手はまだ痛む。見た目も少し痛々しかった。

 そのためなのか、教室に入るまで妙に視線を感じた。


「――――落ち着かないな……」


 俺の姿を見るなり、廊下の端に寄る女子生徒や、友達の名前を呼びながら教室に駆け込む女子生徒、何やらひそひそ声で話す女子グループなど、いつにない反応が返ってくる。


 訝しみながらも、教室に入ると今度は一瞬、教室内が静まり返ったような気がする。

 俺のケガはそんなに見た目ヤバいのか?

 などと考えながら左手に持ったカバンを自分の机の上に乗せる。


「成嶋くん、おはようございます」

「おはよーナルくん」


 すると、二上とマエが俺の席にやって来る。


「右手はまだ痛みますか?」


 二上は俺の右手を心配そうに見つめている。

 マエや久遠、アキトなど連絡先を知っているメンバーにはすでにケガの状態を報告しているが、二上にはまだ伝えられていなかったので説明する。


「痛いのは痛い。まぁ検査の結果、骨に異常は無いみたいだからしばらくすれば痛みも引くらしい」


 医者の話をかいつまんで伝えた。


「そうですか。ですが、右手だといろいろ不便ではないですか?」

「そりゃ利き手だからな」


 正直、飯を食うのも一苦労なのが辛い。痛みが引くまでの辛抱ではあるのだが。


「ノートの書き取りは、私と沖野御さんが交代でやりますから」

「任せといて!」


 その言葉を聞いて、俺は授業のことを失念していることに気が付いた。

 しかし、二上は俺の気付かなかったことにすら先に気付いて手を回してくれており、その気配り力を改めて認識させられる。


「二上はともかく、マエが書くのは心配だな」

「むっかー。ナルくんそれ失礼だからね!」

「だって落書きとかしそうじゃん。ネコの絵とか」

「か、書かないことも無いこともないし!」


 それは結局書くのか、書かないのか?

 などというやり取りをしていると時計の針は久遠が登校してくる時間を示す。

 それに気付いた俺は視線を教室の入り口に向けると、予想通りに久遠が教室のドアを通過するタイミングだった。


「おう」


 俺は、ケガがそれほど大したことはないことを示すかのように右手を掲げて見せる。


「おはよ……。……思ったより調子いいみたいだね」


 過剰な反応をせず、いつものように気怠そうな表情で淡々と言葉を告げる久遠を見て、どこか安心する自分がいる。


「それほどでもある」

「わけわかんないし……」


 軽い挨拶を交わして久遠は自席に向かった。

 その何気ないやり取りが、今の俺にはどこか嬉しい。

 すると、始業を告げるチャイムが鳴った。


 二上とマエが自席に戻ったので、俺は何気なく視線を周囲に向ける。

 俺の席は教室の一番後ろだ。つまり、ほとんどクラス全員を見ることができるし、そこから見えるのは後ろ姿のはずだ。


「……あれ?」


 しかし、その日はどこか違った。

 マエやアキトなどとは時々、授業中でも視線が合ったりすることもある。何なら、そのまま俺を笑わせようとアホなことをしたアキトが先生に叱られるまである。

 しかし、今日はなぜか結構な数の女子と視線があってしまう。

 俺が見ている事に気付いたのか、顔を背けるのが大半だったが、中には気付かれないように小さく手を振って来る子までいた。


 そこでふと気付いた。手を振り返してくれるのは、球技大会の時に一緒に昼飯を食べた女子たちだなと。

 それ以上は深く考えずに意識を教師に向け直した。


 そして、次の休み時間が来る。

 その休み時間も不思議な心境で時間を過ごすことになる。


「よう、ケガは大丈夫か?」


 珍しく自席を立って俺の席の近くまで壱岐が来る。

 壱岐は空いている左隣の席に座ると、机の上に肘を乗せてくつろぎ始める。


「まぁ、見た目ほどじゃない。というか、お前は大丈夫か?」

「何が?」

「普段と違ってあんなに動いてただろ。筋肉痛になったに決まってる」

「バカにしてないか? というか、筋肉痛にしても休み明けまで引っ張るわけないだろ」


 そういうと、壱岐は呆れた顔をしながら目つきの悪い目で俺をにらむ。


「いやいや、壱岐は鈍いからな。筋肉もさぞ鈍感に違いない」


 俺は何か言い返すのではないかと期待したが、壱岐の反応は少し違っていた。

 その眠そうな目で俺を一瞥する。


「どうかしたか?」

「いや。ただ、今日は成嶋の方が鈍いんじゃないかって」


 壱岐は意味深な言葉を呟くと、自席に戻って机に突っ伏した。

 俺は、壱岐の言葉に引っかかるモノを覚えて少し頭を巡らせる。


 しかし、右手の痛みが俺の思考をかき乱すためかあまり集中できない。

 結局、休み時間の残りわずかな時間では何も思い浮かばず、始業の鐘が鳴った。

 そこでようやく異常に気付いた。


「多い……のか?」


 チャイムと共に生徒たちはいっせいに動き出す。当然だ。

 授業開始時に教室にいないとなれば欠席扱いにされる場合まである。

 だから、休み時間に廊下に出ていた生徒たちなんかは慌てて教室に入ってくるし、他のクラスに遊びに行っていたなら更に慌てて飛び込んでくる


 だが、今日のC組では教室に入ってくる人数よりも出ていく人数の方が遥かに多かった。

 他のクラスの生徒が遊びに来ることは別に不思議なことではない。しかし、詳しく数えたことは無いが今日のそれは明らかに多い。


 俺にその理由を考える暇はなく、すぐに次の授業が始まった。

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