第32話


 映画のセリフでよくあるよな。

 『気を抜いたら死ぬぞ』ってさ。


 映画とかだと、気を抜いた人間がその言葉を聞いた直後に死亡したりする。

 そして周りの人間たちはその死についてほとんど触れない。

 まあ、そういう場合って自業自得なことが殆どだから仕方ない。


 問題なのは油断した結果、自分以外の誰かが傷つく場合だ。


 結局、何が言いたいのかと言うと俺は油断していたが、最悪の結果は避けられたと言うことだ。


「成嶋くん、こちらへ座ってください」


 二上とマエに連れられ保健室にやってきた俺は、促されるまま椅子に腰かける。

 保健室内には他に人が居る様子はなく、静まり返っていた。

 鼻につく消毒液の刺激臭で、ここがどういう場所なのか理解させてくれる。


「二上さん、先生いないよ!」


 養護教諭の不在に気付いたマエが慌てた様子で声を上げる。


「連絡先が書いてありますね、電話してみます。沖野御さんは成嶋くんの手を冷やしてあげてください。冷凍庫に保冷剤が入っているはずです」

「わかった!」


 二上は落ち着いた様子で的確に指示を出す。その堂々とした振る舞いには安心感がある。

 指示された通り小走りで冷凍庫に向かったマエがその扉を開く。取り出した保冷剤を抱え急いで俺に駆け寄って来る。


「ナルくん……」


 保冷剤をあてがうために右手を握られる。

 すると、その変色した手を見たマエが消え入りそうな声で名前を呼んだ。

 俺は冷や汗を垂れ流しながらも笑って見せる。


「なんでマエが泣きそうなんだよ」

「だって……」


 目元を赤く染め、零れた涙が一筋の線を描く。


「……泣かれると俺の立場が無い。せっかくカッコつけたんだから笑っててくれ」


 痛みに歪む顔、うめき声を漏らしそうな口を何とか動かして言葉を発してみせる。

 俺のそのあまりにも気障な台詞はしかし、マエの悲しげな顔を苦笑に変えることができた。


「……ナルくん。ほんとカッコつけすぎ」

「それな」


 そんなやり取りをしていると、スマホで連絡を取っていた二上が戻ってきた。


「先生は体育館にいらっしゃるようです。熱中症で倒れた生徒の方を看てるそうです」


 二上は電話でのやり取りの内容を報告しながら、救急箱を漁っている。


「今、別の先生が病院に連れていくために車の手配をしてくれています。その準備が整うまでに応急処置だけでもしておきましょう」


 二上は手慣れた様子で消毒液やガーゼなどを準備した。

 右手の痛みは相変わらずだが、実は階段から転げ落ちた際に所どころ出来た擦り傷も地味に痛くなってきている。


「少し沁みると思います」


 二上の言葉通り消毒液が傷口に触れるとそれなりの痛みが体に走る。

 思わず顔をしかめてしまう。

 二上は手を止めることなく俺の傷を処置していった。


「これでおしまいです」


 最後の傷の手当てが終わる。

 すると、二上が俺を目を見据えて真剣な眼差しを向けた。


「成嶋くん、助けていただいてありがとうございました」


 そう言って二上は深く頭を下げる。

 そして、顔を上げてもう一度俺の目を見ると苦笑しながら言う。


「ですが、あまり無茶をしないでください。こんなケガまでされて……」


 申し訳なさそうな顔を見せる二人に、俺は少しおどけた調子で応える。


「二人がケガするよりいいだろ。男の傷は勲章ってね」


 随分と立派な勲章になってしまったが、名誉の負傷と思えば恥じることも後悔することもない。

 もし、あそこで何もせずに二人がケガでも負っていたら俺は一生後悔していたかも知れない。体の傷は跡が残っても痛みはしない。しかし、心の傷は後に残れば痛み続ける。

 そんなことになるよりよっぽどマシだ。全然マシだ。


 そんな俺の意図を察したのか、二人はそれ以上ケガについて何も言わなかった。


「けど、一つだけ残念なことがある」


 俺は心底神妙な面持ちで切り出した。

 その様子に二人は少し不安げな表情を浮かべ、息を飲みこむ。

 重々しい空気を漂わせ、ゆっくりと口を開き言った。


「アイスクリームはお預けだな」


 それを聞いた二人の反応は対照的だった。

 マエは、俺の真剣な表情と発せられる言葉の落差に思わず笑いだしてしまう。

 一方、二上は何のことだかわからず頭にクエスチョンマークを浮かべているようだった。


「あはは、ナルくんらしいね! 心配するのそれなんだ」

「あの、なんのことですか? アイスクリームって、何かの比喩ですか?」


 不思議そうに俺とマエの顔を見比べる二上に俺は教えてやる。


「実はな、二上」


 そう切り出した俺に二上は再び真剣な顔を向ける。


「俺のいうアイスクリームってのはな」

「アイスクリームとは」

「バニラアイスの事ではないんだ」


 そこで再びマエが爆笑する。


「バニラアイスではない……?」

「俺はチョコレート味とかクッキーたっぷりタイプが好きだ」

「たっぷり」


 真剣な顔でやり取りを交わす俺たちの様子を見てマエは笑いが止まらないようだ。

 その内、二上も耐えきれなくなったのか笑い出した。


「ふふふ――。あの、成嶋くん……。あんまり、――くふ。ふざけないでください」

「二上さん。ナルくんはスイーツのことに関してはいつも真剣なんだよ」

「し、真剣ですか?」

「マエの言う通りだ。俺は真剣にふざけている」


 笑いは人の痛みを忘れさせる。

 それは体の痛みも、辛い出来事で負った心の痛みも同じだ。

 ひとしきり笑った後で、マエが楽しそうな表情を浮かべて提案する。


「ケガが治ったら食べ行こう。お礼に奢ってあげるから」

「ダブルか!?」

「ふっふっふー。もちトリプルだし」


 元気な左手でガッツポーズ。


「では、私も奢らせてください。もちろんトリプルです」

「おっと、計6個だとなんて言うんだ?」

「セクスタプルですね」

「チャレンジ・ザ・セクスタプル!」


 思わぬ報酬に思わず大喜びしてしまう。

 これは骨を折った甲斐があったというモノだ。


 物理的に折れてないといいけど……。


 そうこうしているうちに保健室に教師がやって来る。

 車の手配が出来たらしく、俺は慌ただしく車に乗り込み病院へ向かった。


 移動中、男性教師から俺の無茶な行為を窘められながらも、女子生徒二人を庇ったことについて褒められてしまう。


 正直、自分で自嘲気味に言うのと、他人から真面目に指摘されるのでは恥ずかしさが段違いだった。


 そうして、俺の球技大会は終わった。

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