第31話


 俺は別に野球が好きなわけではない。

 というか、好んでスポーツ番組を観戦したりすることは無い。

 なんなら、子供の頃は野球の延長のせいで見たい番組が飛ばされる事が度々あったので嫌っていたくらいだ。


 しかし、そんな人間でも現金なもので日本代表世界大会決勝進出、などといわれてしまうとついついテレビの前に陣取ってしまったり、朝のニュースを食い入るように観てしまう訳だ。


 つまり、普段はスポーツに縁の人間が大半で、なんなら初戦敗退を喜んでいたクラスの女子バレーメンバーでさえC組男子野球が決勝進出ともなれば世界大会よろしく、応援合戦に熱を入れるわけだ。


「がんばれー、C組ー!」

「打てよーアキトー」


 球技大会二日目、C組女子ソフトボールチームは惜しくも敗退したが男子野球チームは決勝戦を戦っている。これに勝てば一年生野球部門優勝なわけで、必然的に出場している者、していない者を問わずC組の面々は一致団結している。


「ねぇナルくん。アキくんは運動神経とかはどうなの?」


 グラウンドの端、階段になっている場所に腰かけて応援する俺の隣に座るマエが訊ねてきた。


「悪くないというか、良い方だな」


 しかし、悲しいかな。その低身長のために運動部に入ることを諦めている。もっとも、本人は運動部に魅力を感じていない。

 曰く、好きなことを好きな時にやるのが好きなのであって、拘束されて半ば無理にしなければいけない運動部はゴメンらしい。


「アキトー頑張ってー!」


 一番バッターで打席に立つアキトに一際熱い声援を送っているのが三倉だ。

 その様子を少し離れた位置で見ている俺たちだったが、マエはその姿に何か感じるモノがあるようだった。


「いいよねー、ああいうの」

「野球部の彼氏を応援するマネージャーの彼女みたいか?」

「そうそれ! 青春だねー」


 それを本人たちに言うと顔を赤くしそうだな。まぁ、多分満更でもない反応をするだろうが。

 さて、アキトの第一打席だが相手ピッチャーの玉を難なくバットに捉え、危なげなく一塁へ。普段のふざけた態度とは異なり、堅実な走りを見せる。


 当然、C組の応援団は盛り上がった。

 そかし、その中に久遠の姿はない。


「そういや、久遠はどうした?」

「今日は日差しが強いから日陰で応援するって」


 勉学においてはあの二上双葉に引けを取らない久遠であっても、体力面では大きく劣る。今日は5月の末であり暦の上では初夏でもある。

 バッチリ夏という文字が入っているだけあって、夏日とまではいかないものの気温も高く日差しも強い。

 久遠をはじめ体力に自身の無い何人かのクラスメイトは離れた位置に集まっている。


「それがいいだろうな。今日は意外に暑い」

「だよねー」

「アイスクリーム食いたいな」

「あー、わかるー」

「帰りにみんな誘ってみるか」


 などと考えていた時だった。


「あ、もう始まってしまっていますね」


 その声は俺たちの後ろから聞こえた。振り返るって見れば階段の一番上、差し込む太陽に照らされ額に僅かにじむ汗を輝かせる二上双葉の姿があった。

 下から見上げるような形になっているためか、短パンの内側が覗けてしまえそうなことに気付き、さっと顔を前に向き直す。


「あっ、二上さん。先生の手伝いはもう良いの?」


 自分の隣に腰かけた二上にマエは言う。


「はい、他の方に任せちゃいました。せっかくC組が決勝戦まで進んだのにクラス委員の私が応援しないとなれば、クラスの皆さんに申し訳ありませんので」


 おそらく、試合に間に合わせるために走ってここまで来たからだろう。一筋の汗が頬を伝って階段のコンクリートを濡らす。


「遊んでいたわけでもないし、別に誰も文句は言わないと思うぞ」


 まぁ、一部の男子は露骨に残念がるかもしれないが。


「いえ、どちらかというと私が自分を許せないからです」


 他人の責任にせず、あくまでも自分の問題と主張するその姿勢は敬意を表すべきかもしれない。その誠実な人柄は好ましい。


「真面目だな」

「成嶋くんも真面目じゃないですか」

「え、そうか?」


 あまり心当たりがない。最近はマエのせいでタガが外れたのか時々、授業中に飴を舐めている事があるくらいだ。

 この前の国語の授業はヤバかった。次やる時は朗読の無い数学の時間を狙おう。

 などと考えていると、C組が更にランナーを出していた。


「わ、すごいですね。満塁ですよ」

「ほんとだー、このまま優勝もあるかも!」


 C組には野球部員が4名在籍している。それ以外のメンツも運動神経の良いメンバーが集まっていた。

 さらに意外に動ける主人公、壱岐も野球部を差し置いて5番バッターを務めている。


 彼らの活躍もあってか初回は3点を先取して交代する。

 しかし、相手チームもまた決勝まで進んでいることを忘れてはならない。

 当然、向こうも野球部員を有しており他のメンバーもそう劣るわけでは無かった。


「白熱した試合です!」


 二上の言葉通り、一進一退の攻防が続き最終回を迎えていた。こちらが1点リードしている形で相手チームの最後の攻撃となる。

 このまま守り切れればC組の優勝は決まるが、そう簡単にはいかないのが現実だ。

 相手チームの打順は野球部が3人続く形となっている。


 しかし、こちらもただでは迎え撃たない。

 C組のピッチャーは1年生ながら次代のエースとして期待を集めている。今回の球技大会では非野球部に配慮して野球部のピッチャーには手加減することを定められているが、相手が野球部ならその制限は外れる。


 つまり、その速球が遺憾なく発揮された。

 続けて野球部二人を打ち取り一気に追い詰める。


「さすが次期エース、俺の目に狂いは無かった」

「いやいや、ナルくん関係ないでしょ」


 などという軽口を叩けるくらいの安心感がC組に広がっている。


「しかし、すげぇな壱岐のやつ。あの球しっかりキャッチしてるぞ」

「ほんと、いつも眠そうにしてるのに意外だよね」


 意外に動ける主人公、壱岐はキャッチャーを任されており予想外の活躍を見せている。この普段とのギャップには久遠も驚いて見直しているに違いない。


 二上と壱岐のイベントを潰し、壱岐の意外な一面を発揮させるという予想外の結果をもたらした俺の作戦は大成功に終わったようだ。

 あとは、C組がこのまま優勝すれば何も言うことは無い。


「あと一人で優勝ですね」


 二上も楽しそうに笑みを浮かべている。

 しかし、相手チームもこのまま終わる気は無いようだった。


 相手チーム最後の野球部がバッターに立つ。四番を任されている彼は、野球部内ではうちのピッチャーと並ぶ期待の新人らしい。

 ポジションこそ違うが、顧問や野球部上級生からの評価を争うライバル同士の戦いは必然的に緊張感を生んだ。


「2ストライクからファールで粘ってるな」


 小手先の技では無く正面から決着を付けようとするピッチャーと、勝利を諦めないバッター。そして、最後の1球が投げ込まれた時だった。


 木製のバットが白球を三度捉える。しかし、その軌道はあらぬ方向を向いており、またファールボールかと思われた。

 たしかにそれはファールボールだった。そして、ここが防球ネットの張られた球場であるならそれは取るに足らないボールだ。


 だが、ここに防球ネットは無かった。


「っ――――!!?」


 ぐんぐんと伸びるボール。その向かう先がどこなのか気付いた時には、ほとんど猶予は無かった。

 俺は階段に深く腰を落ち着けて座り込んだのを後悔する暇さえなく、飛びかかるように無理やり体を起こして手を伸ばす。


 俺からわずかに離れた位置、並んで座るマエと二上に向かって飛んできたボールは間一髪、右手で弾き飛ばす。


「きゃあ――――!?」


 二人の悲鳴が聞こえた時には俺の体は階段から転がり始めていた。


 視界がぐるぐると回り、気が付けば仰向けに倒れていた。

 段数が少なくてよかった。それでも全身が痛い。

 だが、それは右手の痛みほどではない。


「っつぁぁああああ! くっそ痛ぇ!」


 上半身を起こし右手を確認する。

 曲がってはいないがあまり良い色はしていない。刺されたような痛みを誤魔化すため唸り声と罵詈雑言を吐き出す。


「あのクソ野球部め! 当たったらどうするつもりなんだバカが!」


 ボールは確かに俺の手には当たった。つまりマエと二上には当たっていない。


「ナルくん!」

「成嶋くん!」


 マエと二上が慌てて俺に駆け寄ってくる。俺の肩を支え心配そう顔を除き込むマエの両目が潤んでいるように見えた。


「成嶋くん、立てますか!? すぐに保健室へ!」


 俺の指の状態を確認した二上が的確に判断を下す。

 試合は中断され、審判をしていた教師が駆け寄って来るのが見えた。


「ナルくん、捕まって!」


 マエが自分の肩を差し出して俺を置き上がらせようとしてくれた。


「ケガしたのは右手だけだ。一人で立てる……」


 そう言って俺は体を起こす。階段から落ちてはいたが、全身の痛みは動けないほどではない。

 まぁ、所どころ擦り傷はあるが。


「成嶋、大丈夫か!?」


 駆け寄ってきた男性教師が俺のけがを確認しようとする。


「歩けるんで、保健室行ってきます。先生は試合の方に戻ってください」

「だが、……」

「先生、私が責任を持って保健室まで連れていきます」


 俺の申し出に渋る教師に二上が言った。クラス委員の二上の言葉を聞き、教師は納得したようだ。


「わかった。保健室には連絡しておくから、はやく行きなさい」

「先生! アタシも付き添います!」


 俺の肩を持って体を支えているマエが教師に宣言する。


「わかった、二人とも頼むぞ。他の生徒は教室に戻りなさい!」


 このままこの場に生徒が残っていれば、またファールボールでケガをするかもしれない、教師の判断は適切だった。


 俺は二上とマエに付き添われてグラウンドを後にする。

 途中、心配そうにこちらを見ている久遠の姿が見えたが、俺は痛みのせいで声をかける余裕はなかった

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