第25話


 定期テスト一週間前というのは学生にとって重要な意味を持つ。

 やらなければならないことがある、けどまだ時間がある。

 追い詰められつつも、逃げ道のある時、人は誘惑に負け、現実を逃避し、恐怖を紛らわせる。


 人間とは斯くも弱い生き物であり、それはまた仕方のないことなのかもしれない。


 つまり、俺が久遠を待つ間に視界に入ったラノベを手にもってしまったことは、人間の本能的な部分に起因することであり、理性を持った判断ではないと言うことだ。


「だから俺は悪くない」


 誰に対する言い訳なのか、人気の少ない図書室に俺の情けない言葉に耳を傾ける者はいない。


「……何やってんの?」


 訂正、一人いた。

 静かな図書館であって、その動きを悟らせることなく接近できる人物。つまり久遠という女は現代に生きるアサシンであり。


「……馬鹿なこと考えてない?」


 鋭い指摘を受けた俺は素直に本を棚に戻した。

 本棚のそれ、タイトルを見た久遠が怪訝な表情を浮かべる。


「なにこの頭の悪いタイトル……?」

「その発言は大勢敵に回すぞ」


 ラノベコーナーを離れ空いている席につく。その席からは眠そうな顔で漫画を読み、職務怠慢を絵に書いたような司書の先生の姿が見える。

 試験一週間前は基本的に委員会活動もクラブ活動も停止される。普段は図書委員が座る受付にやる気のない司書が座るのは仕方のないことだ。


「人は見た目で判断できない」


 席に着いた久遠が突然、小学校の教師が言いそうな事を言い出す。

 それに、その言葉は俺にとってあまり良い言葉ではない。


「違うな。外見は内面の一番外側だ」


 だから、俺はすぐに反論を述べた。


「……訂正。人は外見だけでは判断できない」


 それはもっともな言葉だ。外見のヤバいやつは内面もヤバいことに違いないが、外見が良いからと言って内面も良い人とは限らない。


「で、なんだ突然。詐欺に引っかかったわけでもあるまいし」

「ナルキは存在が詐欺みたい」

「え、なに? 俺喧嘩売られてる?」


 軽口を叩きあいながら机の上に教科書とノートを広げる。とりあえず面倒な数学から始めることにする。


「意外な一面が多いってこと。さっきの本も、お菓子が好きなところとかも」

「え、なに急に? ほめてもキャラメルくらいしか出ないぞ?」


 ポケットからキャラメルの箱を取り出して見せる。すると久遠は俺のカバンを指す。

 仕方がないので俺は飴の袋を差し出した。


「図書室は飲食禁止だから」

「と、言いつつ食べるんだよな」

「……食べる」


 イチゴ味の赤い飴玉を口に入れながら久遠は悪戯っぽく笑う。

 俺も一つ袋から取り出して頬張った。

 そこでふと気づいた。


「壱岐はどうした? 誘ったんだろ」

「用事だって」


 俺の問いに久遠は即座に答えた。俺は、その予想より素早い返答に何かを感じつつもそれ以上気にすることは無かった。


 そして、ようやく俺たちは教科書と向き合う。


 勉強中は特に会話は無かった。

 時々俺が唸り声を上げるくらいで、久遠の方は平然と淡々と進めている。


 どれくらいの時間が経っただろうか。

 肩を伸ばすために体を起こすと、久遠が相変わらずの気怠そうな表情、眠そうに微睡んでいるような瞳でノートを見つめているのがわかった。

 差し込む夕日にその青みがかった黒髪が当たり、艶やかに輝いている。

 気崩した制服からは時々その首元が見え隠れしていた。


 試験勉強というのは人を追い詰めるのに最適なようだ。誘惑に負けて気を取られる。


 そう思った俺は視線を久遠から外す。すると、受付に座る司書の先生があからさまに居眠りをしているのに気付いた。

 その様子に思わず笑ってしまう。すると、一人の男子生徒がやってきて本を返却BOXに置いているのが見えた。

 そして、その男子生徒が俺のよく知る人物であることも。


 それは、壱岐だった。

 壱岐がよく図書室を利用しているのは知っている。だから普通に考えればあいつが図書室に居るのは何もおかしくは無い。

 しかし、今日に限ってはそうではない。


 久遠はさっき言った。

 壱岐は用事があると。言葉に出したのはここまでだが、その言葉に続くのはだから図書室には来ない。もしくは、家に帰ったかだ。


 なら、なぜ壱岐はここに居る? そして、俺たちには何も言わず、存在にも気付かずに帰ろうとするのはなぜか。


 俺は、それ以上考えるのをやめた。

 久遠は嘘を吐いたのか、そしてそれはどういう意図なのか。

 そんなことを考えて答えを推測しても、それが事実なのかはわからない。だから、意味がない。意味もなくやきもきする必要もない。


 そして、会話の無いまま閉館時間が来た。



 図書室を後にした俺たちはさっさと学校を出た。

 帰宅する方向がほとんど同じなので必然、一緒に帰ることになる。


「今日の晩飯はどうするかな」


 道すがら他愛のない会話に花を咲かせる。


「……今日も自分で作るの?」


 俺の晩飯は主に3パターンだ。

 一つ、弁当を買う

 二つ、自分で作る

 三つ、バイト先のまかない


 しかし、テスト期間とその一週間前はバイトが校則で禁止されている。

 となると、選択肢は二つだが。


「疲れたから弁当だな。久しぶりに」


 最近は後の二つが多かった。たまには気分を変えるのも良い。


「まぁどっちにしろスーパーには寄ることになるがな」


 そんなことを話していると、俺と久遠がいつも利用しているスーパーの店先まで到着する。

 やはり、人気があるのかそれなりに混雑しているのが外からでもわかった。


「残ってるといいが……」

「……望みは薄い」


 久遠との弁当争奪戦は俺が負け越している。意外と俊敏に人混みをかき分けて進む久遠は強敵だった。

 しかし、だからといって素直に負けを認めるわけにはいかない。

 俺は、今日こそはという決意を胸に店内に足を踏み出そうとした。


 そして、そんな俺の様子を見た久遠が道の先を指さしながら言った。


「あ、マエが知らない男と歩いてる」

「は?」


 反射的に久遠が指さす方向を見てしまった。

 当然、そこにはマエの姿などあるはずがない。

 もしこれが、アキトが知らない女と歩いているだったら、反射だけで嘘だと理解していたはずだ。

 ともかく、視線を戻すとそこにはもう久遠の姿はなく、店内に顔を向ければ主婦たちの間を縫うように進む卑怯者の後ろ姿が見える。


 久遠は顔だけ俺の方に向けると不敵な笑みを浮かべた。


「こ、こんな古典的な手に……!」


 ふふん、と言わんばかりの表情の久遠をにらみつつ。俺は急いで店内に踏みこんだ。

 店の入り口から弁当の並ぶ惣菜コーナーまでの最短ルートは頭に入っている。

 俺は主婦の集団を回避しつつ突き進む。


「久遠、お前ふざけんなよ!」


 惣菜コーナーで弁当を手に、久遠にしては爆笑と言った様子の彼女に恨み言をぶつける。


「騙される方が悪い」


 悪びれない久遠に文句を言うのはこの際あとでもいい。

 まずは弁当の確保だ。


「残っているのは――――」


 陳列棚に視線を向ける。そこには確かに弁当が一つ残っていた。


「焼きサバ弁当か……」


 塩焼きのサバに副菜少々、白いご飯は梅干し付きの健康的な献立の焼きサバ弁当。

 お手頃価格でコスパも良いが、いかんせん育ち盛りの高校生の体には質素に過ぎる。


「久遠とスーパーに行くと焼きサバ弁当ばかりだ」


 恨み言を述べても所詮は負け犬の遠吠え。勝ち誇る久遠にはいくら言っても意味は無い。

 俺はそんな遠吠えと共に久遠に視線を向けた。

 すると、久遠は勝ち誇った顔、ではなく慈悲深い聖女のような表情を浮かべているのが見える。


「……仕方ない。はい、これ」


 そう言って久遠は、背中に隠し持っていた二つ目の弁当を俺に差し出す。


「え、いいのか?」


 そして、若干ワクワクしながらその弁当のラベルを見ると。


「焼きサバ弁当じゃねーか!」


 どこまで行っても焼きサバだった。焼きサバ地獄だ。


「ふふっ、くふふ……」


 声を抑えながら久遠は笑っている。傍から見たら随分楽しそうなのだろうが、当事者の俺としては割とむかつく。


「冗談、冗談だから」


 俺のうらめしい視線を浴びた久遠がもう一つの弁当を俺に差し出す。そこには唐揚げ弁当と書かれていた。


「は?」


 思わず受け取ってしまったが、意味がわからない。俺の右手には久遠から渡された焼きサバ弁当、左手にも久遠から渡された唐揚げ弁当。

 両方を見比べた後、顔を上げると、俺の目の前に来ていた久遠が右手の焼きサバ弁当を奪っていった。


「今日は私が焼きサバ」

「いいのか?」


 俺はいつにない展開に少し驚いている。


「今日はまだ頭を使う。テスト勉強にはDHA」


 なるほど、合理的……なのか?


「ナルキは炭水化物と糖質。睡魔との戦い」


 そう言う久遠は意地の悪い笑みを浮かべている。やはり、楽しそうだった。

 先ほどから振り回されっ放しの俺はなんとか反撃を試みる。


「楽しいか、俺で遊ぶのは?」


 しかし、そんな皮肉は久遠には通用しない。


「楽しい」


 はっきりと、断言されてしまった。そして、久遠もまた俺に言う。


「ナルキは、楽しい?」


 だから俺も素直に答えることにする。


「楽しいな」


 そして俺たちは、手に入れた弁当を持ってレジに向かった。

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