第23話


 週末がやってきた。

 と言っても、俺は相変わらずの勤労学生なわけだが。


「おはようございます」


 いつものように制服に着替え、店内に入る。先に来ていたであろうマエが、モモさんからレクチャーを受けながら掃除の最中だった。


「あ、ナルくんおはよー」


 マエは俺を見るや否や、作業を止めて手を振ってきた。隣に立つモモさんが呆れたような顔をしている。


「うん、やっぱり似合うね!」


 俺の制服姿は何度か見ているはずなのだが、マエは改めて俺の姿をよく観察するとそう言った。

 一方、俺はマエのウェイトレス姿を見るのは初めてだ。落ち着いた黒の制服に白いエプロンが映える。派手さではなく上品さに重きを置いた意匠のせいか、いつもよりも大人びて見える。


「そっちもよく似合ってる」

「ありがと」


 などといっていると、モモさんの深いため息が聞こえてきた。


「はいはい、イチャつくのはいいけど営業時間内はやめなさいよ」


 モモさんの指摘にマエは慌てて反論する。


「い、イチャついてないから! ちゃんと働くから!」


 顔を赤くしながらマエは再び手を動かし始める。

 俺もさっさと開店の準備に取り掛かった。


 午前中の客入りは上々だった。昼のピークが過ぎ、午後のコーヒータイムも賑わっていた。

 時々フォローしながらも、マエは十分役目を果たしていた。隙を見てモモさんの弄りが炸裂するが、緊張をほぐすのにちょうどいいのかもしれなかった。


「アンタたち付き合い始めたの?」


 食器を下げたタイミングでモモさんがいきなり爆弾をぶち込んできた。

 マエはテーブルの掃除をしておりカウンターから離れているためかモモさんの発言には気付いていない。


「いやいや、ないですから」

「いや、ないことないでしょ」


 モモさんは意地の悪い笑顔を浮かべて俺の体を肘でつついてきた。

 俺はそれをあしらいながら食器の片づけをする。


「いやまぁ、確かに仲良くなりましたけどね。そういうのとは違いますから」

「えー、つまんない。はやくやることやりなさいよ」

「やるって何を――――、やっぱいいです答えないで、黙ってください」


 昼間から放送コードに引っかかる様な発言を引き出してしまうところだった。

 モモさんは不貞腐れた顔を見せた直後、何かを思いついたような表情に変わる。


「あー、もしかして。アンタこの前うちに来た子と付き合ってんの?」


 その指摘に俺は久遠のことが頭に浮かんだ。


「違います」


 短く、ハッキリと否定する。


「面白くない奴め」

「人の恋愛話を面白がるのやめましょうよ。趣味悪いですよ」

「男の?」

「そう男の趣味が悪い――――」


 眉間に激痛が走る。


「あだだだだ! 自分で言わせといて!」


 その細指からは想像できないような握力によって発揮されるアイアンクローは殺人的な痛さである。なんなら、このまま片腕で持ちあげられても俺は驚かない。

 長いようで一瞬の時間、解放された俺はうらめしそうな視線をモモさんにぶつけた。


 モモさんはお詫びと言わんばかりにケーキの切れ端を俺の口に突っ込んでそのまま自分の仕事に戻っていった。


「あ、ナルくん何食べてるのー!?」


 まぁ、そんな感じで楽しい職場である。

 そうこうしているうちに時間は過ぎ、あっという間に日は落ちた。俺たちは閉店時間を待たずに先に仕事をあがる。



 控室で着替えをしようとした時、モモさんが俺たちを呼びだした。


「で、なんですか? 残業ですか?」


 こういう嫌味を遠慮なく言えるのがこのバイトの大きな利点だろう。風通しの良い職場という訳だ。


「いやぁ、ちょっと若者の意見を聞きたくてねぇ」


 店内に戻るとモモさんのいる厨房、その向かいのカウンターに座る男性の姿があった。

 見た目の年齢は若くて三十代、素直に考えれば四十代くらい。清潔感のあるスーツ姿のおじさんだ。


「知り合いの人?」


 マエが訊ねる。

 俺は少し冗談を飛ばしてみることにする。


「モモさんの彼氏ですか?」


 拳が飛んできた。


「ナルくん……」

「言わないで、……自分が一番わかってる……」


 お腹をさすりながら思った。その否定の仕方はある意味この男性に失礼なのではと。

 しかし、指摘すると今度は蹴りが飛ぶかも知れないので黙っておく。


「それで、相談したいことって何ですか?」


 モモさんと男性の接点がわからない以上、その内容を予想するのは時間の無駄だ。俺は素直に聞くことにする。


「構いませんよね?」

「ええ、お願いします」


 モモさんがおじさんに確認を取ると、相談内容について話し始めた。


「実は、この人の娘さんのことで悩んでいるらしい」


 聞けば、このおじさんには高校生になる娘と二人で暮らしているらしいのだが、年頃の娘とのコミュニケーションが上手くいっておらず、最近は夕食すら顔を合わす回数が少なくなっているらしい。


「奥さんを亡くしてから男手一つで娘さんを育て上げたそうだ」


 寂しい思いをさせまいと気を揉んで、色々と努力もしたらしい。しかし、成長するにつれてすれ違うことが多くなったようだ。


「それで年の近いアタシ達に相談ですか」


 マエは真剣な表情で話に耳を傾けていた。


「しかも俺の場合、家庭環境が似通っているしな」


 他人事に間違いないのだが、共通点が普通の家族より近い以上、俺も邪険に出来ることでは無かった。


「じゃあ、相談内容は娘さんとどうやって接するかとかそんな感じですか?」


 俺がそう聞くと、おじさんは申し訳なさそう顔をしながら言う。


「そう言うことです」


 と言われても、回答には困る。

 そんなもの人によるとしか言いようがない。だからこの場合、重要なのは正解を出すことでは無く正解を導くための数式だ。


「そうですね。俺の家も母子家庭みたいなものですが――」


 俺は、叔母との生活についてかいつまんで説明した。顔を合わす時間は少ないが、叔母は可能な限り俺と顔を合わす機会を増やそうとしている。

 俺が料理を作った時は必ず感想を言ってくれるなど些細なことだが、それでも貴重な意見には違いない。


 おじさんは真剣な表情で耳を傾け、時々頷く。


 一通り話したところで、マエが先ほどから難しい顔をしたまま黙り込んでいるのに気付いた。


「マエは何かないのか?」

「うーん……」


 唸り声をあげて頭をひねっている。


「悩みすぎだろ、あんまり気負いすぎるな」

「だって、こう言葉にしようと思うと難しくって」


 確かに、子供の側は理屈よりも感情の問題である以上、それを表現するのは難しい。


「遠慮なく、気楽に話してくださって結構ですから」


 おじさんは優しげな表情でそう言った。


「マエが自分の父親に普段思っていることを正直にそのまま言ってみろ」

「うーん、わかった」


 するとマエは、屈託のない笑顔、はっきりとした口調で言う。


「正直、父親ってキモイ」


 鋭いストレートだった。モモさんのパンチより重みがある。


「こう、話しかけてくるのもウザいし、気を使われるのもウザい。しかも、ウザいからウザいっていうと怒り出すからそれもウザい」


 俺は恐ろしくておじさんの顔を直視することができなかった。


「お前ふざけんなよ言い方を考えろ!」

「だってナルくんが正直に言えって!」

「正直すぎるわ! 確かに年頃の娘の父親に対する認識としては事実だろうけど!」

「ナルキ、言葉選びなよ」


 モモさんの言葉を受けて俺はおじさんの方をちらりと確認する。カウンターに肘をついて顔を両手で覆っているのが見えた。


「もうちょっと良いこと言えよ。父親の好きなところとか、かっこいいところとかないのか?」

「えー、だって存在がキモイし」

「言い方!」

「気持ち悪い」

「そう言うことじゃねぇ!」


 マエの父親と本来は無関係なはずのおじさんは自分の娘とマエを重ねて考えているためか、かなりの重傷を負ってしまったようだが、マエはその事に気付いていない。


「まぁでも、そんなお父さんでも……嫌いじゃない。本人には死んでも言えないけど」


 マエは気恥ずかしそうにそう語る。俺は、スマホで映像を残そうとしているモモさんを制止しながら黙ってそれに耳を傾ける。


「こっちから話しかけると馬鹿みたいに嬉しそうにするのとか超キモイし、あんまりそういうことするとファザコンみたいで嫌だから。そっけなくしちゃったりする」


 偽りの無いその言葉をおじさんは真剣な表情で聞いている。


「でもその、だからって絶対無理なわけでもなくて。結局は、その時の気分次第で話してもいい的な。イイ感じのタイミングならOKというか」


 理屈ではない感情の問題は言葉に表せない。嫌いだけど嫌いじゃない。そういう矛盾のある複雑な娘心をマエは可能な限りおじさんに伝えた。


「なるほど、勉強になりました」


 おじさんは俺たちに頭を下げた。


「いえ、なんかすみませんでした。いろいろ」


 マエの方をちらりと見ると、申し訳なさそうな顔をして頭を下げている。


「今日はありがとうございました。娘には話さなければならない大事なこともあるんですが、まぁ気張らずに、イイ感じのタイミングで伝えてみます」


 どこか晴れやかな表情を浮かべたおじさんを見送り、俺たちもようやく家に変えることにした。


 店から出ようとしたところでマエが何か悩んでいるような様子を見せたので声をかけた。


「どうかしたか?」

「うん、あのおじさん……どっかで見たことある様な?」


 そう言われて俺も少し考えてみたが、心当たりはなかった。

 結局、答えが出ることもなく俺たちは店を後にした。

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