第19話


 フードコート内は喧騒に包まれている。しかし、俺の周りは不穏な静寂が漂っていた。

 ファミレスで見かけた四人組の女の子たちがこちらに近づいて来る。沖野御は普段の彼女とは打って変わって黙り込んでいる。


「沖野御、大丈夫か?」


 その様子は明らかに異常だった。体調不良にしては急すぎる。なら、原因は……。


「こんにちはー」


 4人組の女子、その中の一人で明らかに染めたと思われる栗色の髪をした子が話しかけてくる。

 長い髪をアップスタイルで纏め、派手なネイルと明るいメイク、アクセサリーで着飾った派手なスタイルだ。

 沖野御のそれと決定的に違うのは過剰なまでの自己主張だろう。


「ああ、さっきの」


 俺に向いてにこやかに話しかけてきた彼女たちを、警戒しつつも無視は出来ない。

 沖野御は視線を机に向けたまま黙っている。


「久しぶりじゃない、マエ」


 さっきより声のトーンが低いのが明らかにわかった。冷たい声色は発する言葉と違い刺々しかった。


「うん、久しぶり……。エミ」


 ようやく絞り出したその声は弱々しい。顔をあげてエミと呼ばれた子の方を向いてはいるが、その視線は彼女をまっすぐ見れていない。


「ホントいつぶりだろうねぇ。中2の夏以来?」

「っ――――! そ、そうだね……」


 おかしい。

 いつも気さくで明るい沖野御と違う。怯えている? 彼女たちに?


「ね、紹介してよ」


 エミは俺のことを訊ねている。沖野御はちらりと俺を見ると申し訳なさそうに瞳を伏せる。その時、わずかに目元がうるんでいることがわかった。


「同じクラスの成嶋くん……」


 それを聞いたエミは沖野御に見せていた表情とは打って変わり、笑みを浮かべて俺の方に向き直る。しかし、その笑みには言葉にするのは難しい不快な何かを感じる。


「よろしくねー、成嶋くん」

「ああ、よろしく……」


 沖野御は何も言わない。彼女たちと接することを嫌がっているのはわかるが、抵抗しようとはしていない。


「沖野御、彼女たちは……」


 俺は、なぜ沖野御が必要以上に喋らないのかを、その理由をよく考えるべきだった。

 沖野御はその問いに対して言い淀みながらも答えようとしたが……


「中学の時の……あの……」

「友達“だった”でしょ?」


 言い切る前にエミが割って入った。

 だった、の部分を強調している。その意味するところは、考えたくはないが考えざるを得ない。

 エミは沖野御を見ながら口を歪ませている。悪意の感じる笑みだ。他の3人も同様に冷たい視線を浴びせている。


「ね、また友達のオトコ寝取ったの?」


 エミの発せられた言葉は刃物の様であった。

 沖野御はその身を震わせ、ふるふると弱々しく首を振っている。


「違う……」


 絞り出すような声は周囲の喧騒にかき消されそうだ。


「え、何?」


 しかし、聞こえないほどの声ではない。だが、エミは聞く耳を持たない。


「アタシは……違う……」

「違わないよね?」


 エミはその顔を沖野御に近付け、静かに、しかし鋭い声で言葉を浴びせている。


「成嶋くん、騙されちゃダメだよ」


 エミは再び表情を笑顔に作り変えて俺に向ける。しかし、その目には別の感情が浮かんでいる。


「この子、こう見えて人の彼氏に手を出すビッチだから」


 沖野御は服の端を握って体を震わせている。エミの発言を否定する言葉を口にしているが今にも消え入りそうな声だった。


「人は見かけによらないよねぇ。まさかこんな子が性格最悪とか」


 エミの発言に他の3人も同意した。蔑むような瞳を沖野御に浴びせている。


「人を見かけで判断してはいけません、って小学校のセンセーがよく言ってたけど、ホントその通りだったわ」


 沖野御が何も言わない、言えないのを良いことにエミは饒舌になっている。


 俺は、俯く沖野御に顔を向ける。

 頭を伏せ、一点を見つめているように見える。肩が小さく震え、袖を握る拳が赤くなっている。

 そして、白い服を濡らす一粒の涙がこぼれた。


 ああ、良くないな。

 嫌になるくらい頭が回る。

 沖野御は何も言わない。これが事実無根の話なら、彼女は必死に否定するか、無視してこの場を後にするだろう。面倒を避けるために耐えているのだとしても、ならばなぜ涙を流す?


 ああ、良くない。

 考えたくないのに考えてしまう。

 沖野御がそうしないのは何かしらの引け目があるからだ。だから彼女は己に浴びせられる言葉の刃を受け止めている。受け止めてしまっている。

 逃げようとしない、抵抗もしない。そうする理由を考えると俺は何もすべきではないのかもしれない。


 この4人が去った後、泣いてる沖野御を慰めてやればいい。

 それか、かっこよく彼女を庇ってやればいい。主人公みたいにさ。


 ああ、でもさ。

 俺はそんなにお行儀良くないからさ。


 俺は椅子を引いて立ち上がりながら口を開く。


「いや、そうでもない」


 俺がそう言うとエミたちはきょとんとした顔でこちらを向く。俺はそのまま言葉を続ける。


「外見は内面の一番外側ともいうじゃん? 俺みて何か気付かない?」


 自分が見たら苦笑してしまいそうなほどの軽薄な笑い方、ふるまい方をして見せる。

 すると、エミは何かに気付いたような表情を見せた。


「あぁ! むしろ、成嶋くんの方が遊んでやってるのね」


 その言葉に他の3人が馬鹿にするような笑い声を出す。

 俺は、自分の心がスッと落ちていくのを感じている。


「いや、遊ぶのはこれからだ。なぁドブス」


 低い声色、殴りつける様な言葉をエミたちに浴びせる。

 ああ、良くないよな、こういうのは。でもさ、言っちゃうんだなこれが。


「外見は内面の一番外側。その性格の歪みは厚化粧でも誤魔化せないだろ? 毎朝何時間メイクしてんの?」


 エミたちは面食らい表情が引きつっている。顔を上げた沖野御も驚いた表情をしており、その頬には涙が伝っている。


「厚化粧ってのは面の皮の代わりにもなるんだな。図々しいにもほどがある。ていうか、恥がなさすぎ。どこに忘れてきたの? 小学校? 幼稚園?」


 エミは何か言い返そうと口を開くが、俺は言葉を発する隙を与えてやらない。


「自分がドブスで彼氏に逃げられたの人のせいにすんな。オトコ知る前に常識覚えろ」


 俺は泣いている沖野御を立ち上がらせるとその肩を抱く。


「あぁ、あとさ。男が寄り付かないからって人の男に手を出しちゃダメだろ? こっちは楽しくデートしてんだぜ?」


 空いた手で沖野御の荷物を持つ。飲みかけのタピオカミルクティーを残していくのは心苦しいが、まぁ仕方ない。


「いくぞマエ」


 震える方を抱き寄せて俺たちは人混みの中に消えた。



 フードコートを後にしてしばらく無言で歩いた。モールの片隅、人のまばらな一角にあるベンチを見つけるとマエを座らせた。

 されるがままのマエの隣に腰を落ち着ける。

 俺は彼女に言わなければならないことがあった。


「ゴメン」


 俺のその言葉にすでに泣き止んでいたマエが不思議そうな顔でこたえる。


「なんで謝るの? むしろ、アタシが謝らないと……」


 彼女に非は無い。俺はそう思ったがマエはそうではないと考えていた。


「エミが言ってたのはホントの事だから……、だからさっきのはアタシのせいで、アタシが悪いの」


 自嘲するような言い口に俺は首を振ってみせる。


「全部ホントってことは無いだろ。俺は信じるよ、あいつらと違って」

「ナルくん……」


 マエは、再び目に涙をためながらゆっくりと話し始めた。


「エミとは中学の時、一番の仲良しだった。エミの彼氏とも仲良かったんだけど。ある日、その彼に告白されて……」


 結局のところそのクズ野郎が一番の悪者なのだが、それに惚れている女というのは質が悪いのだ。

 自分が捨てられたという事実は、自分がマエより劣っているという思い込みとなり、嫉妬心と合わさって憎悪と変わる。

 だから、エミはあれほど口汚くマエを罵ったのだろう。だが、それだけならマエには何の落ち度もない。

 なら、なぜあれだけ言われても黙っていたのか?


「アタシ、ナルくんが思っているほど良い子じゃないの。エミの言う通り……」


 自分を貶める口ぶり、頬を伝った涙がこぼれる。

 俺は黙ってハンカチでそれを引き取ってやった。


「告白された時、アタシの心に最初に浮かんできたのは優越感だった」


 懺悔の様に、彼女はそれを打ち明ける。


「エミじゃなくてアタシを選んだ、それに気付いたとき、アタシは笑っていた。笑っていたの。……だから、エミが憎むのは当然……」


 マエは、腫れた瞳で俺を見つめている。


「アタシ、ほんとは性格最悪だから……」


 マエは笑っていた。だが、その感情が楽しさと対極の位置にあるのは明白だった。

 彼女は悔いている、罪の意識を持っている。なら、俺の掛けるべき言葉は一つだった。


「べつにいいんじゃね?」


 マエの涙をもう一度拭ってから俺は言葉を続けた。


「人間そんなもんだって。誰だって人より目立ちたい、良い思いをしたい、人を見下したい。そんなの普通だ。俺だってそうだ。いつもアキトを馬鹿にしてる」

「ナルくんのは違うよ……」

「マエだって違うさ。人はみんな違う。そういう感情にも強弱があるし、それをどうやってコントロールするかも違う」


 俺は改めてマエの瞳を見据えた。


「マエは自分のその感情に罪の意識を持っている。悪いことだと思っている。そして、黙ってればいいのに俺にそれを話している。隠せないからじゃない、隠したくないからだ。ぜんぜん性格良いじゃん、プラマイでいけばむしろプラスだ」

「ナルくん……」

「そういうマエの善意、善良さが俺はけっこう好きだ」


 そのまま、俺たちはどれだけの時間、見つめ合っていたのだろう。

 急に恥ずかしくなった俺が視線を外すまでそれは続いていた。


「……パンケーキ食いに行くか」


 ベンチから立ち上がり、マエの方を向いて俺は言った。

 マエは、そんな俺に苦笑しながらこたえる。


「ホント、甘いの好きだよね」

「疲れた時には甘いモノだって」


 マエはベンチから立ち上がると俺の方を見ながら困り顔で言う。


「ナルくんの食欲に付きあってると太っちゃいそう」


 マエは、全く心配する必要のなさそうなお腹をさすっているので、俺は言ってやった。


「と、言いつつ。食べるんだよな」

「……食べる」


 恥ずかしそうな彼女を見たら、俺は自然と口を開いていた。


「すこしぽっちゃりしてる方が男は好きだぞ」


 マエは頬を赤く染め、俯きながら袖を握った手で口元を隠す。


「もう、そういうこと言われると女の子は勘違いしちゃうんだからね」


 その姿は俺には眩しかった。


「なら、やっぱやめとくかパンケーキ?」


 少し意地の悪い言い方をする。


「ううん、一緒に行く、絶対行く。だって……」


 マエがその足を踏み出した。俺の横を通り過ぎながら告げる。


「好きだから!」


 マエはそのまま振り返ることなく歩く。俺はその後ろを追った。

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