第13話


 朝、いつもの時間帯。

 よく晴れた空を眺めながら通学路を進む。


 いつものスーパーの前に差し掛かったあたりで昨日のことを思い出す。

 あの後、久遠の住むマンションの前まで送って行ったが。


「まさか、あんなに近いとはな……」


 俺の住むアパートと久遠のマンションは道路二つ挟んだだけの距離にあった。

 確かに、近所でよく顔を合わせるとは思っていたが……。


 思いがけずお互いの自宅を知ってしまったわけだが、なんか気恥ずかしい。

 久遠の自宅マンション、つまりは居住空間だ。生活空間、リビングにキッチン、風呂場……。

 自室はどうだったか。漫画ではたしかベッドで……、部屋着のパーカーが可愛かった。

 ……何考えてんだろ。


 悶々とした気持ちを抑えながら通学路を進んでいるといつの間にか学校に到着していた。

 校門を通り抜けると、生活指導のゴリラみたいなおっさん教師と、今日はもう一人立っている。白衣の若い女性教師の脇を通り過ぎ下駄箱まで向かう。


 階段をのぼりながら一日の予定を確認する。

 今日は昨日に引き続き作戦を継続する。作戦名『主人公の親友ポジに収まって負けヒロインとくっつけよう』だ。

 それともう一つ。朝の天気予報を見ていて思い出した。


 久遠の重要イベントの一つ、“相合傘で帰宅イベント”だ。

 図書室で放課後を過ごしていた壱岐と久遠、図書室の閉館時間となり帰宅しようとしたところなんと雨が降っていた。

 傘を持っていない久遠と折り畳み傘を持っていた壱岐。当然、壱岐は彼女を自宅まで送り届けることになる。

 お礼もかねて濡れてしまった壱岐を久遠が部屋にあげるという、ニヤニヤ展開なわけだ。


 これは重要なフラグだ。


 スマホで天気予報を再確認する。

 夕方から不安定な気候、曇りところにより雨。


 画面を見ながら階段を上り切ったところで背中から衝撃を受ける。


「おはよーナル君!」


 危うくスマホを落としそうになり歩きスマホの危険性を認識させられる。それはそれとしてアキトには反撃をしておく。


「朝から激しい……」

「自業自得という言葉を覚えろ」

「で、何見てたの?」


 アキトはすぐに立ち直るとスマホの画面を除き込んでくる。


「エッチなやつ!?」

「違う」


 朝からとんでもない奴だ。コイツの前でうかつなことができないことを思い知らされる。


「なんだ、つまんないのー」


 興味なさげに言っているが相変わらずスマホを覗き込んだままだ。


「夕方雨なのかー、傘ないから早く帰らないと」

「おう、帰れ帰れ。なんなら今帰れ」

「酷いなぁ。ていうか、そういうナル君だって傘なんか持ってないでしょ」


 そう言うアキトに対して俺はこれ見よがしに折り畳み傘をカバンから取り出して見せる。


「な、ナル君が計画的な行動を!?」

「どういう意味だ」

「行き当たりばったりを体現していたナル君が……大人になったねぇ」

「お前も早く成長しろよ。中身も見た目も」


 アキトの頭に手をのせてぽんぽんと叩いてやる。すると、割とマジな感じで腹を殴られる。身長の話題は禁句だったのだ。

 鈍い痛みに手にしていた傘を落としてしまう。


「何やってんの……?」


 階段の方から声をかけられる。声の主は久遠だった。

 どうやら、アキトとじゃれているうちに追いつかれていたようだ。


「……地雷を踏みぬいた」

「意味不明……」


 落とした折り畳み傘を拾った久遠が手渡してくれる。

 傘を受け取ると、久遠はさっさと教室に向かってしまう。

 俺たちも後を追うように教室の扉をくぐった。




 その後はいつも通りだった。

 授業をこなし、昼は昨日と同様に壱岐と久遠を誘って学食。二人の関係は良好なのが見てわかる。

 そして、とうとう放課後になった。


 アキトは早々に帰っており、予想通り久遠は図書室に向かう。少し遅れて壱岐も図書室へ向かった。

 俺も帰るかどうか迷ったが、イベントが発生するのを見届けるために残ることにする。


 まずは二人の様子を確認するために図書室に向かう。教室のある校舎から渡り廊下を通って隣の校舎へ、二階の奥が図書室だ。

 図書室に入ると独特の匂いが鼻に飛び込んできた。

 室内を見回す。生徒の数はそれほど多くなくすぐに目的の二人組を見つけた。


 本棚に近いテーブル席に向かいあうように座り、黙々と本を読んでいる。

 その様子を見て漫画内での同じシーンがデジャヴの様に浮かんできた。


「作戦通りだな……」


 遠巻きに二人を眺めた後、すぐに図書室を後にした。二人に見つかればせっかくのイベントをまた潰しかねない。

 教室から図書室までの道をたどるように戻る。教室棟3階の廊下からなら図書室の入り口付近がよく見える。そこから監視することにした。


 スマホをいじりながら時間を潰す。思えば、俺も図書室で何か借りてくればよかった。

 閉館時間が17時。一時間以上の余裕がある。


 流石に暇なのでちょうどいい時間まで昼寝でもすることにした。教室に戻って自分の席に座り机に突っ伏す。

 スマホの目覚ましもセットしておく。


 あとは睡魔を待つだけだが、割とすぐに眠りに落ちた。


 眠りと覚醒の境界線をたゆたう様な感覚。静まり返った教室にはいつの間にか振り出した雨音が響き、俺の耳に飛び込んでくる。


「――――、――――」


 雨音に混じって別の音がする。いや、それは声だった。

 俺を呼ぶ声だ。


「――――、ナルキ……!」


 名前を呼ばれてハッとする。

 顔を上げると薄暗い教室、黒板の上に掛けられた時計が目に入る。

 17時08分。完全に寝過ごしている。


「やっと起きた」


 机の右側、声のする方に目を向ける。そこには久遠の姿があった。

 寝起きで頭が回らない。なんで久遠がここに……?


「何してんだ?」

「……それこっちのセリフ。なんで教室で寝てるの?」


 少しずつ思考が覚醒すると、当然の疑問が浮かぶ。壱岐の姿が無い。

 イベントは不発だったのか……。

 心中で落ち込んでいると久遠がスマホを取り出して操作し始める。電話をかけるようだ。


「もしもし、私。――そう。当てが見つかったから……、ありがと」


 電話を終えた久遠が自分の机に向かい何かをカバンに入れた。


「忘れ物か?」

「そう」


 再び俺の机の前まで来た久遠が俺のカバンを指さしながら言う。


「傘、持ってたよね?」


 指摘通り折り畳み傘を取り出して見せる。


「悪いけど、家まで送ってくれない?」


 俺の思考は再び停止した。

 久遠と壱岐、二人のイベントは問題なく進行していた。後は雨が降って二人で帰るだけだった。

 俺が寝ている間に何があった!?


「……? まだ寝ぼけてる?」

「い、いやもう起きた……」


 ジトっとした視線を向けられる。俺は浮かんできた疑問を訊ねることにした。


「壱岐はどうした?」

「さっき電話した。先に帰ってって」


 ようやく頭が纏まってきた。

 つまり、二人はイベント通りにさっきまで一緒に居た。恐らく、その段階では久遠は壱岐に送ってもらうつもりだったんだろう。

 しかし、忘れ物を取りに教室に来て寝ている俺を発見する。

 久遠は俺が傘を持っていることを知っている。しかも、俺と久遠の家が近所であることも。


 なら、そこから先の行動は簡単だ。


 わざわざ壱岐に遠回りをしてまで送ってもらうより、俺の方が帰る方向が一緒なので都合がいい。そういう訳だ。


「あー……やらかした……」


 二回目だ。致命的なやらかしはこれで二回目だ。またイベントを潰した。重要なフラグをへし折ってしまった……。


 うなだれる俺を久遠が心配そうに見ている。


 今更、壱岐に送ってもらえとは言えない……。


「体調悪い?」

「いや、何でもない……。ちょっと落ち込んでるだけ……」


 自己嫌悪に陥りながら俺は席を立つ。


「帰るか……」


 あからさまに肩を落としながら俺は教室を出る。

 階段を下りて校舎の出入り口に来た。上履きを放り込んで靴を出す。

 先に履き替えた俺が扉の方へ向かう。


「……まって」


 すると、久遠が俺を呼び止め駆け寄ってきた。


「どうかしたか?」


 久遠が走る姿は割と珍しい。


「カバン、持つ」


 そう言って久遠は右手を差し出した。


「そのままだと濡れる。代わりに持つ」

「別に濡れてもいいけど」

「なら、濡れなくてもいいでしょ」


 半ば強引にカバンを奪われた。しかし、それとは対照的に久遠は俺のカバンを大事に抱え込んだ。


「悪いな」

「……それも私のセリフ」


 傘を開き、それを久遠の側に寄せて持った。

 すると、久遠は俺の顔を見た後その体を俺の左腕に押しつけてくる。


「傘小さいし、寄らないと濡れるから……」


 久遠の頭は見下ろす位置にあるためその表情は俺にはわからない。

 もっとも、久遠に今の俺の顔を見られることもない。


「小さくて悪かったな」


 少し意地悪な言い方をする。しかし、久遠は堂々とした口調で答える。


「これでいい。これで十分……」


 シトシトと降る雨の道へ、触れ合う肩を気にしながら歩き出した。

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