第二章 親友ポジに落ち着きたい
第9話
楽しい休日は過ぎて週が明ける。ここからが本当の始まりだ。
いよいよ奴がやって来る。
ラブコメ漫画、『ボッチの俺には荷が重い』の主人公が。
この世界は決して虚構ではない。俺の生きていた以前の世界と差異はあるが確かにこれは現実であり、そして漫画の設定も確かに活きている。
ともかく、重要なのは久遠千代の運命を変えることだ。負けヒロインの汚名を返上させる。その健気な恋心が報われるべきだ。
元の世界ではそうはならなかった、しかしここでなら。
通学路を悠々と歩きながらそんなことを考えていた。
この時間なら遅刻は無い。校門で久遠と会うこともないだろう。
入学初日、遅刻寸前だった俺は結果的に主人公と久遠の出会いのイベントと似たようなことをしてしまった。
本来であれば主人公と久遠が遅刻寸前に校門で会うのは明日だ。今日も俺が同じことをしてしまっては今度こそ取り返しがつかないだろう。
これから本格的に主人公と久遠のフラグやイベントが発生する。
正妻ヒロイン、二上双葉とのそれらを避けつつ邪魔しないように立ち振る舞わないといけない。
そうこうしているうちに学校へ到着する。
余裕を持って校門を通過、下駄箱を抜けて教室の扉をくぐる。
「おはよ~ナル君!」
教室に入った俺を見つけたアキトが早速絡んできた。休み明けなのに相変わらずな調子のアキトに辟易しながら言う。
「朝からうるせぇ」
「つれないなぁ」
自分の机に向かいつつ視線を教室の窓側、前から二列目にむける。そこにはお目当ての人物が座っている。
一人寂しそうに顔を窓の外に向けており、周りの他の生徒たちはその存在に気付いていないかのようだ。
鞄を机に乗せ、早速その生徒に話しかけに行く。アキトはその様子を不思議そうに後ろから見ている。
さぁ、ここからが本番だ。
「よぉ、転校生」
俺に話しかけられた男子生徒がこちらを向く。
灰色がかったくしゃくしゃの髪と隈の目立つ三白眼、不機嫌そうな仏頂面を見れば他の生徒があまり近づかないのも頷けるというもの。
「――――、別に転校生じゃない」
頬杖をついたまま疲れた声で吐き捨てるように言う。
初対面の相手にとる態度ではないが、俺は彼の事情を事前に知っているからか悪印象は無い。
「知ってるよ。担任がこの前言ってた」
実際のところ、彼は疲れているのだ。一週間遅れの入学は引っ越しの遅れ、それを取り戻すためこの土日が働き詰めだったのだ。
「俺は成嶋鳴希だ」
今にも眠りだしそうな顔で彼は応える。
「
そう、この生徒が壱岐藤太郎。
ラブコメ漫画『ボッチの俺には荷が重い』の主人公、正妻ヒロイン二上双葉を落とした男にして、負けヒロイン久遠千代の報われなかった恋の相手だ。
「なんだよナル君! 僕のことほっといて何してるんだよー」
ちょうどいいタイミングでアキトが会話に加わる。
流石にリア充高校生なだけあって、空気が読める。
「で、こちら何君? 先週は居なかったよね?」
「転校生の壱岐藤太郎。こっちは秋勇里アキト、見ての通りアホだ」
アキトが抗議の声を上げているが無視して壱岐に話しかける。
「疲れてるみたいだな」
理由を知っているが、あえて聞く。内容を知っていれば会話をコントロールしやすい。このまま会話を続けて居れば二上双葉が壱岐のことを気にすることもなくフラグが立つこともない。
「親父の仕事の都合で引っ越しができなくてさ、この土日に慌ててこっちに来て荷解き……」
壱岐が眠そうにあくびをする。
「昨日ほとんど寝てない」
すると壱岐は糸が切れた人形の様に両手で机にもたれ掛かる。
「大変だったねー、さぁゆっくりお休み」
「いや、この後授業だろ」
悪魔の囁きをするアキトに鋭い指摘をする。壱岐はしみじみと帰りたい、寝たいとぼやいている。
「大丈夫だよー、授業中に寝てたら僕が起こすからー」
「ありがたい……」
「信用するなよ、後で後悔するぞ」
窓際最前列、つまり自分の席に座ったアキトが机に突っ伏した状態の壱岐を誘惑している。
二人とじゃれ合っているとこちらに近づいて来る女生徒の存在に気付いた。
そちらに顔を向けると俺に気付いた彼女が話しかけてくる。
「おはよ……」
それは久遠だった。相変わらず気怠そうな表情を浮かべ、気崩した制服のポケットから伸びるイヤホンを片耳にはめている。
「……何やってんの?」
久遠の席は壱岐の右隣りだ。次席に座った久遠がアキトの行動について尋ねてくる。
「悪魔、いや睡魔の囁きごっこと言ったところだな」
「意味不明」
久遠の容赦のないツッコミが炸裂する。うまいこと言ったつもりの自分が恥ずかしい。
「先週まで空席じゃなかった?」
「今日から初登校の壱岐藤太郎くんだ」
「ふーん」
ここで俺は致命的な失敗に気付いた。
ヤバい……、出会いのイベントが発生する前に出会わせてしまった……。
本来の展開では、明日遅刻した壱岐と閉ざされた校門を挟んで久遠が初体面するはずだった。
たしか、漫画では今日の壱岐は前日の疲れから始業前も休み時間も眠っていた。しかし、今日は俺が話しかけてしまったから展開が変わってしまったのだ。
いや、落ち着け。まだ大丈夫だ。
まだ久遠は壱岐の存在を認識しただけだ。
予定通り明日、壱岐が遅刻すれば順序は逆になるが印象深いイベントであることには違いない。まだ取り返せる。
「そんなに眠いの?」
「眠い」
頭を机に乗せたまま顔だけ右を向いた壱岐の顔を見て、久遠は少し心配そうに聞いた。
「今日も夜遅くまで引っ越しの片づけだ……」
心底疲れた様子で呟いている。
「ふーん。なら、気を付けないとナルキみたいになるよ」
久遠の言葉に俺は凍り付いてしまう。
やめろ、それ以上は言うな!
「そうそう、ナル君は入学式当日に遅刻しそうになってね!」
「あれは惜しかった。もう少しで締め出されてたのに……」
俺は言葉を失う。フォローする気力も挽回する余地もなかった。
「なるほど、気を付ける……」
決定的な一言が壱岐から発せられた。今更取り繕いようもない。
こうなったら、俺に出来ることはただ一つだった。
明日の朝、壱岐が寝坊してくれることを神に祈りつつ、主人公初登校の記念すべき日は過ぎていった。
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