最終話 宛先のない手紙

 鳥の鳴き声とともに、二人は目覚めた。ホテルを出て、どこへ向かうでも無く車に乗った。

 シオンはミヤビの顔を見られなかった。ミヤビもまた、目を逸らした。

 陽だまりの中、金色の海が揺れている。ぽつりと呟いた言葉に、反応が返ってくる。笑い合うまでに、そう時間はかからなかった。

 ハンドルを握るミヤビへ、シオンはシャッターを切った。片手で携帯を奪い取り、ミヤビも写真を撮った。

 足は自然と、空港の方へ伸びていた。

「さて、これからどうする?私についてくるか?それとも、まだ愛を探してみるか?世界は飽くなき広さと深さを持っている。シオンなら、きっとどこまでも行けるさ」

 たった九通の手紙。想いを届ける死神なら、一月で全てを使うだろう。

 シオンは、もう一度ミヤビの手を取った。

「二人で、いや、みんなで思い出を作ろう。死神じゃない。アカツキ・ミヤビの想い出を」

 世界が初めて、死神に微笑んだ気がした。

 当日のチケットを買い、二人はイギリスへ飛んだ。ダヴィと合流して、船でフィンランドまで行った。

 ルミのコンサートにひっそり潜入していたシーターを捕まえて、そのまま楽屋へ連れ込んだ。

 死神郵便局は世界を回った。これまでの旅とは違う。想いを届けながら、自分たちも思い出を作っていった。

 時にはウユニ塩湖で鏡面の世界を歩いた。ジャングルをかき分け、山を登り、川を下った。終わりから目を背けずに、死神は己の生きた証を残していった。

 最後に死神が訪れたのは、ミヤビの故郷でもある日本だった。ちょうど有名な祭りが開かれている時で、たくさんの観光客に揉まれながら、生まれて初めての縁日をシオンは満喫した。

 河原に映る花火を見ていると、どこからか「雅だね」と聞こえてきた。

 シオンはミヤビにキスをした。ミヤビも返してくれた。

 手紙が最後の一枚になると、ミヤビは急に元気をなくした。思うように身体が動かなくなった。役目を果たした死神は、迫ってくる空を拒まず受け入れた。

 その時、四人はイングランドの死神郵便局にいた。どうしてもミヤビが来たいと聞かなかったから、ダヴィが飛行機をチャーターして飛んできていた。

 陽だまりで外を眺める彼女は、けれど決して小さくはなかった。初めて会った時と、いや、それ以上に大きく在った。

 あとひと月で、シオンは十八になる。ミヤビと出会ってから、もうすぐ四年。そのはずなのに、瞼の裏には、何十年以上の思い出があった。

 屋根の上によじ登り、シオンは本を読んでいた。降り注ぐ陽気が、悲しい気持ちを奪い取ってくれる。

 ふと気配を感じた。本を退けると、目の前で手が揺れていた。

「引き上げてくれ、シオン。よく登れたなそんなとこ」

 ミヤビの手を掴み、シオンはゆっくりと引き上げた。とても軽かった。

 ミヤビは変わらなかった。老いも衰えもなく、ただ空に近づいた。

「大丈夫なのか?こんなことしたら、シーターに怒られる」

「その時は君も一緒だな。危ない真似はするなと、フリーアにきつく言われているんだろう?」

「なんで知ってるんだ……?」

 困惑するシオンへ、彼女は笑顔をくれた。もうこれ以上入らないくらい、心の中はミヤビ色だった。

 他愛のない話をした。けれど、不意にシオンはこぼしてしまった。

「行かないでよ。愛してるんだ」

 ミヤビは、やさしく頭を撫でた。

「そう言えば、まだ死については教えていなかったな。しかし、これは簡単だ。死もまた、愛の一つだからね」

 変わらないものはない。出逢いと手を繋げば、別れで手を離すことがあるのは知っていた。

「身体がなくても、言葉が無くても、想いはある。私のここに。シオンのここに。シーターも、ダヴィも、フリーアも。君のそばじゃない。いつも手が届く場所にある」

 ずっとミヤビを見ていた。余計なものは流さず、最後まで世界に映る彼女を見た。

「選べ。右は切手だ。私がいなくなっても、シオンは手紙を書けるだろう。

 左は手紙だ。私は君に、死神としての全てをやる。右なら君は私を想え。毎日空を見て、そばにいる私を思い出せ。

 左なら君は……。君は……」

 少し目を伏せて、ミヤビは両手を突き出した。

「左なら君は、私にキスをしろ。私は欲張りだからな。私に思い出をよこせ!」

 ミヤビの目からそれが落ちる前に、シオンは唇を塞いだ。永い時間だった。

 左に手を添えて、シオンはミヤビの頭を撫でた。いつのまにか追い抜いていた身長が、初めて役に立った。

「ありがとう、ミヤビ。俺をシオンにしてくれて」

 手紙を受け取る。するとミヤビの体に、文字が浮かび上がった。

 見たことあるもの、ないもの。どこの国かわからない無数の文字が、ゆっくりとミヤビの体を覆ってゆく。手紙を出す時と同じように、彼女は優しい笑顔だった。

「人を想う人になったな、シオン」

 それが、アカツキ・ミヤビの最後の言葉だった。

 無数の文字が空に舞い、触れればそれは美しい音色で弾けた。

 シオンは、手紙を持って下に降りた。ダヴィたちは何も言わなかった。抱きしめてくれた。

 部屋の中はインクの匂いがした。ミヤビが使ったコップも、読んでいた本も。ミヤビはまだここにいた。

 胸の中で、誰かが囁く。その手紙は何のためにあるのかと。

「手紙、出そうかな。怒られるだろうけど、ミヤビの温もりが足りないよ」

「ぼっちゃん……」

「シオン……」

 封を切ろうとした瞬間だった。誰も来ないはずの郵便局に、ベルの音が鳴り響いた。

 赤いバイクが庭に見えた。扉を開けたシオンを待っていたのは、いつも良く行く郵便局の人だった。

「お届けものです。アカツキ・シオンさんですね?こちら、お手紙ですよ」

 それだけ残して、彼は去った。フリーアからの手紙はつい先日届いたばかり。宛名の欄を見たシオンは、堰き止めていたものが溢れ出した。

「ダヴィ、シーター……。これ、ミヤビからだ」

 名前の欄には、確かにミヤビの名があった。ミヤビの字があった。

 送り先の住所は、台湾の死神郵便局。溢れ出る涙を拭いながら、シオンは便箋を取り出した。

『これが君の元に届いている頃、私はきっと君の隣には立っていないだろうね。この手紙は、私が君と別れて一人になった時に書いたものだ。

 日付指定の郵便で出した。毎年君の誕生日に、君の元に届く。シオンの寿命分くらいは出してあるから、毎年必ず確認するように。

 ここからは少し重たい話になる。

 私がシオンと出会った時を覚えているか?あの時私は、君以外には見えなかった。死神は、自らがあらわそうと思わなければ人に姿を見られない。

 だけど、死神の命は手紙の量で決まっている。死神を観られる者が次の死神候補となる。まぁ、これは私の先代が教えてくれた事なんだけどね。つまり、死神は継承されるってことだ。

 けれど、死神側にも選ぶ権利はある。見たものを死神にするか、殺して見られた事実をなくすか。

 シオンと出会って、話をして、私は選択肢を捨てていた。強制するつもりもなかった。嫌だと言われれば、また別の死神候補を探していたと思う。

 だけど、シオン。私は君に惹かれてしまった。シオンが届ける想いに、シオンから溢れる愛に。私はずっと目を奪われていた。

 私にとっての愛は、シオンだ。

 長くなったな。ここらで一区切りだ。続きは来年、楽しみにしていなさい。

 追記、好きに生きろ。シオン』

 手紙の上に雫が落ちる。嗚咽を押し殺しながら、シオンは泣いた。ずっと言えなかった言葉を、声にならない想いを吐き出した。

 シーターがずっとそばに居てくれた。ダヴィがご飯を使ってくれた。夜が来て、シオンは赤い眼を擦って空を見た。

 今夜は満月だった。世界中の想いが、シオンに集まっていた。ミヤビの想いが、シオンを死神にした。

 何をしたいか。問うまでもなかった。リビングにいた二人に、シオンは抱きついた。

「シーター。俺に日本語を教えて。ダヴィ、俺に勉強を教えて。何をしたいか。今俺が何をするべきか、ようやくわかったんだ」

「めちゃめちゃ難しいわよ?私もミヤビから教わった時、混乱しちゃったもの」

「もちろんです、ぼっちゃん。……何をしたいかは分かります。手続きの事は私とシーターに任せて、あなたはあなたにしか出来ないことをやって下さい」

「あぁ……。俺は日本に行く。そして、俺は死神になる」

 ミヤビの生まれた国で、ミヤビを超える。それがアカツキ・シオンの死神としての初めての願い。

 さようならは言わなかった。想いは紡がれて、空の向こうへいつか届く。

 これは、死神たちの物語。空の向こうとそれを繋ぐものたちの、想いの歴史の奇譚。

 シオンは空を見た。手が届きそうな星空へ、あらん限りに手を伸ばす。






 噂があった。世界には、死者と想いを交わせる人がいると。切手を舐めればやってきて、手紙を残して去って行く。

 日本のとある大学にも、その噂はあった。けれど信じるものはごく僅か。その少数派な女の子が、時計台の下で人を待っていた。

 枕元にあった手紙に、そう書いてあったから。

 やがて、人混みから彼女は一人の男を見つけた。

 銀色の髪が陽に靡いて輝いている。碧い瞳が、彼女を見た。

「初めまして。わたしはあなたが呼んだ死神です。

 一通につき寿命一年。信じるかはあなた次第。死者から返事が来るかはわからない。だけど僕が責任を持って、あなたの想いを空に届けます。それでもよければ、どうぞ。切手を舐めてください」

 拝啓、空の向こうへ。

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