拝啓、空の向こうへ
天地創造
遠くにいるあなたを想う
The revolution night
第1話 硝煙の残り香
「一通につき寿命一年だ。私が責任を持って、お前の言葉を伝えてやろう。死者がまだお前を想っていれば、私たち死神は鎌ではなく手紙をもってやってくる。それでもよければ舐めろ。この『死神郵便局』の切手を」
肌が焼けるほどの灼熱の中、人の命がトランプよりも安く買える戦場で彼女はそう言った。
これは、僕がアカツキ・ミヤビに救ってもらった物語。
僕は旅をした。「文を持つ死神」と呼ばれた彼女と、長い長い旅をした。
錆び付いた金属の匂い、灼けつくような太陽。そして、体に染み付いた硝煙の香り。
それが世界の全てだ。
「全軍、引き金を緩めるな!敵はもう撤退間近だ! 殺せ! 殺せぇー!!」
後ろで教官が吠える。だから彼らは、堪え難い衝撃と火傷するような薬莢の熱さに耐えて銃を撃ち続けた。
塹壕の中は地獄だった。負傷した兵の上に人が立ち、死体の上で人を殺している。
「ど、どうしよう! 僕もう弾がないよ! ねぇ君、ちょうだいよ!!」
メガネをかけた、あどけなさを残した顔つきの少年が、隣の少年の肩を掴んだ。だが彼はそれを思い切り振り払う。雨上がりのぬかるんだ土、その中でも特にひどい水溜りに、少年は頭から突っ込んだ。
「何をしている十五番!自分ではなく敵に泥を塗らんか!」
また教官が吠える。いつもそうだ。そうして最後に決まって、怯えた兵士の顔を殴るんだ。そうして彼は毎日飯を食っている。
殴られた兵士は、彼と同じ班の十三歳の子供だった。名前は知らない。敵ではなく味方に浴びせるための拳には、牛の毛皮が貼られている。
少年兵は泣いた。教官が怒鳴る。うるさい。うるさいんだよ。
「やかましいぞ十五番!弾がないならこれを抱えて敵陣へ走れ!早くしろ!」
「…………イエッサー!」
殴られるのと、死ぬの。どっちがより酷いかなんて知らなかった。教えられていなかった。
十五番が派手に爆発した数時間後、今日の戦いが終わりを迎えた。相手を倒したからじゃない。どっちも人を亡くし過ぎたから。
最前線から二十キロの小さなキャンプサイト。そこには軍医や前線に出ぬ者も含めて、二百人以上の兵士が暮らしている。そのほとんどは子供、それも十五歳以下の。
「いやぁ、十五番の爆発さ、ヤバかったな。めっちゃ高くまで上がってよぉ!」
「あいつずっと弱かったからな!最後に五人もまとめて吹っ飛ばせて満足だろ!」
「なぁ!お前も見たろ!三十七番!」
やたらと声の大きな三人に絡まれ、三十七番と呼ばれた少年は振り返る。だが、食事中の手は止めていない。
「そうだな。あいつは死んでも仕方ない」
「だよなぁ!」「明日は誰が花火になるかな!」「お前が行く時は、俺が後ろから撃ってやるよ!」
嗤う三人も、飯を食う少年も。一人テントに篭り神に祈る少年や、慰みモノとして上層部から送られてきた少女も。
ここでは全てがモノだった。少年兵たちは、自分たちをヒトだと思ったことがない。
だが、彼らは二つだけ知っている。それは、死んだ人間には価値がないということ。だから平気で足置きにできるし、爆弾を抱えて走る味方を背中から撃てる。
そしてもう一つ。大人は遍く腐っていると。何も与えないが、大人は全てを奪う。ある者は兄弟を。ある者は親友を。
そんな世界に生きていた少年たちは、年が経つにつれ思うようになっていた。空の向こうには、ここと同じ世界しかないのだと。
「なぁなぁ、ちょっとみんな来いよ。俺すげぇもん手に入れちまった」
火薬も眠る午後十時。すっかり寝静まったサイトの中の一つのテントで、四十二番が脂ぎった顔をライトに近づけた。
テントの中には四十二番のほか、三十七番やさきほど笑っていた三人もいる。六人一組のパーティー。それが少年兵たちの鉄則だ。
「んだよ、早く寝ろよバカ」
「まあまあ起きろよ二十二番。ほらお前らも、絶対驚くぞ」
就寝時間後の私語は、酷ければ厳罰の対象になる。だが、今日はみんな機嫌が良かった。一人分の食料と衣服が浮き、テントを広く使えるようになったから。
ベッドで横になっていた三十七番が、ゆっくりと身体を起こした。鈍い光の下で、ざんばらの銀髪が揺れる。
「好きにしろ。リーダーはお前だ。けど、僕はもう寝る」
舌に氷を乗せているような口調。四十三番が嘆息しているのなど御構い無しに、三十七番は床に着く。
だが、彼以外の人間は四十二番に興味津々だった。娯楽のない死線、明日には二度と朝のパンを楽しみにすることができないかもしれない少年兵たち。彼らの楽しみは、他の誰かと楽しいことを共有することだけ。
「実はな、俺今日教官の部屋に入ってよ、つっても、まぁ、報告だったんだが。でだ。そこであるもんをくすねてきたのさ」
悪事を働いたことを得意げに語る四十二番の顔は、街の不良が武勇伝を語るそれに似ている。
この戦場、それも最前線に出ている少年たちには様々な事情があった。
ある者は人を殺しすぎた。ある者は金がなくなって家族に売られた。またある者は、初めから一人だった。
「んで、なんだよ。酒とか薬とかか?んなもん別に珍しくねぇ」
「バカ違う。誰にも言うなよ?」
そう言って、四十二番は人差し指を口に当てる。生きている人間が作る、歪な静寂が訪れた。
「……なんだそれ」
四十二番が手を開く。一番最初にそれを見た二十二番は、苛立ち交じりに応えた。
それは一枚の切手だった。どこか綺麗な外国の風景が描かれた、年代物だろう。少し色褪せたインクが郷愁を思わせる。
ただ、それはそれ以外の何物でもない。物の価値を見極めるのが得意の二十二番でさえ、それが人に話すほどのものでないと言うのは一目でわかっていた。
視線が散開する。頭やられたのか。誰かが言った。だが、この場で一人、四十二番だけは切手を赤子のように優しく包んでいる。
「これはな、死神を呼べる切手だ」
みんなの興味が程よく分散したところで、彼は言った。耳が起きる。
三十七番の晩は、暗闇を見つめる作業だった。夢など見ないし、観ない。四十二番のことも、珍しくはない。どんな場面であろうと、十四、五の子供達は夢を見てしまう。
「……教官が言ってたんだ。これを舐めて枕に貼れば、死神が現れるって」
「……あぁ、そうかい。そいつは面白いな四十二番。その死神は何をしてくれるんだ?敵兵を皆殺しにでもしてくれんのか?」
「違う。教官は言ってた。来るのは『文を持つ死神』だって。手紙を運んでくれるらしい」
四十二番の目はどこかを見つめていた。舌打ちが一つ。ため息が二つ。三十七番は黙って体を横に向けた。
コツコツ。誰かが近づいて来る。三十七番は、枕元に隠しておいた拳銃に手を掛けた。
時計は真夜中の二時を回っていた。酷い汗と、唸るような寝息。どこのテントからも聞こえてくる。
それはテントの前にいた。気配を殺す気も、また誰かを呼びにきたでもないように。三十七番は目を開ける。撃鉄に手をかける。
テントのチャックが開いた。心臓が高鳴る。音を立てないように、彼は目だけを上に向けた。真黒な影が、四十二番の上にいる。
だが、そいつは何もしなかった。ただ何かを置いたと思ったら、名残惜しそうにテントから去った。その背中に、黒い影を背負いながら。
月夜の晩、一時の休息。テントにあった誰かの影は、柵の内側にいた。
重たい体を引きずって、三十七番は外に出た。夜を見るのは久しぶりだった。星を見るのも、何年ぶりだろう。
ふと、テントの向かいで紫煙が揺れていた。風に乗って運ばれてくるその煙に、彼は銃口を突きつける。
「……動くな」
雲が晴れ、満月が顔を出す。誰かからもらった光で輝いているそれが、また誰かを光らせる。
それは女性だった。戦場には不釣り合いなほどに髪は長く、黒く、そしてなにより芸術品のような顔を持った、美しい女性。
一瞬の逡巡。彼が下したのは警告だ。女と酒は戦場を狂わせる。連れてこられた時に、教官からイヤというほど教え込まれていた。
「…………君は、私が見えるのか……」
少年には、彼女の言っていることが理解できなかった。銃を持つ手に力を込める。次の言葉を待つように、三十七番は眩い女を見つめ続ける。
「私は死神だよ」
「……嘘はやめろ。来い。教官のところへ連れて行く」
「それは無駄だよ少年。私は君以外には見えない」
空に雲が差し掛かる。静寂とともに、闇が世界を包み返した。
「貴様何をしている。所属と番号を名乗れ」
諦めて引き金を引こうとした少年の手を止めたのは、教官の声だった。謎の女に気を取られ、深夜の見回りのことが抜け落ちていたのだ。
人差し指で人を殺す鎌を保ちながら、小さな悪魔は応える。
「少年兵団四班、三七番です。侵入者を捉えました」
教官の目に光が差す。家畜を見るのと同じそれで、視線は鋒へと移される。彼女はライトで照らされても、まゆの一つも動かさなかった。
「どこだ。特徴は?」
少年の背中を、一筋の汗が伝う。心臓が高鳴りを増し、手汗でグリップが滑りそうだ。
「言ったろ?お前にしか見えないんだよ、私は」
銃口を向けられたまま、彼女は柵から腰を下ろした。その足取りを、その眉間を。彼は目を細めて狙い続ける。
「……三十七番だったな?明日医務室に来い。面倒な事を起こさんうちにな」
教官はそれだけ言い残すと、少年の頭をライトの角で小突いて行ってしまった。
「何者だ、あんた」
「二度言わせるな。死神だよ。ただし、手紙を持ってくる方だがな」
『文を持つ死神』。四十二番のことを、少年は一瞬だけ思い出す。
彼女が、死神が目の前まで迫っていた。頼れるのは武器だけ。自分を守るすべを持たない少年は、生まれて初めて恐怖という感情を抱いたかもしれない。
彼女の手が、少年の手を取った。銃を握る手から力が抜けた。少し遅れて、金属が落ちた音がやってくる。
彼女の手は暖かかった。
「君に銃は似合わない。私と一緒に文を持たないか」
「……何を言っているんだ」
彼女の目は好奇心に満ちていた。合わせれば引き摺り込まれそうな、深い黒の瞳。少年の碧眼が、砂漠のような枯れた瞳が、彼女から離れられないでいた。
「また明日も来る。答えは急がなくていいよ」
死神が少年の頭を撫でた。殴られるのには慣れていた。だが、これは初めてだ。
少年は銃を下ろし、彼女の歩いた道を見る。闇の向こう、空と世界の境界で、彼女は姿を消していた。
ベッドに帰っても、少年は彼女の姿が瞼に虚ろいでいた。あまりにも端正な容姿。透き通るような声。そして何より、死神という名。
果てのない空、どこかにいる彼女を思案し、少年は初めて眠りについた。
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