悪者退治

 夢を見ている。

 深き底に堕ちていく感覚と共に必ず彼女は、彼女たちは現れた。

 「大丈夫」

 「ええ、大丈夫よ」

 己の母と、親しき女性。

 男の欲によって死んだ二人が、己を包んで大丈夫と言う。

 子守歌のようで、しかし呪いのような。

 聞いている間は安心を得ることが出来るが、同時に不安にも襲われる。

 「「大丈夫」」

 瞳は虚ろ、己を抱きしめる四肢は冷え切っており、ただでさえ冷たい体の熱を奪っていく。

 「ねえ、ほら」

 「一緒に行きましょう」

 誘う姿は妖艶に舞う天女のごとく。

 醸し出す色香は脳天を溶かすほど甘く絡みつくようなものだった。

 「俺を、そこに連れてってくれ」

 修羅の道。

 歩めるのは人を捨てた欲の塊を持つ者のみ。

 愛ではない。それでは溺れてしまうから。

 エゴではない。それでは飲まれてしまうから。

 己に存在するのは憤怒であった。

 だが未だそれには気が付けず。

 まだ足りないのだ。

 命を重ね、ようやくそれを自覚するに至る。

 まだ、まだ足りなかった。



§



 光差さぬ地下牢獄にてカゲノブは目を覚ました。

 覚醒したばかりだというのに頭に靄はなかった。

 「俺の、信念」

 考えることはリチャードから言われた言葉。

 彼の言う通り、己には信念というものが存在していなかった。

 あるのは唯一つ、人を堕とす修羅という道。

 だがそれは、ただの在り方。サラという女性によって変わってしまう不安定なもの。

 甘えていた。逃げてきた。

 己に向き合うことを。

 「……」

 リチャードの言う通り、カゲノブは己の関わった人間を守りたいだけであり、セイリオスとしての活動は己の中にあった鬱憤、いわばなっていたかもしれない己を見ることを嫌って消していたのだ。

 権力に溺れる貴族、あるいは何も持っていないという理由から奪うことを正当化するスラムの人間たちを己は知っていた。

 すべて、出来なかった自分である。

 才能があったからこそ、サラという少女と出会ったからこそカゲノブという人間は少しだけまともになったのだ。

 未だ何も返していない。

 己にできる恩返しなど限られている。

 ならば選ぶものはただ一つ。

 彼女のための己になるのだ。

 それを必要としているかいないかは関係なく、ただの一方的な押し付けであるが、それでもその選択が間違っているとは思わない。

 「大丈夫。俺ならできる」

 修羅の生き方。

 その道がずれぬようにと、信念を一つ持ち進む。

 誰にも受け入れられないそれを、一人の女性が受け入れていると、これまで死んでいった大切な人たちが受け入れていると勘違いしたまま。

 だがそれでいいのだ。

 それこそが修羅に必要な性質であり、条件なのだから。

 「人が人を裁けぬならば――」

 また一つ、星が昇る。

 それは鈍く輝く――

 「俺は修羅となろう」

 歪な星だった。

 

 

§



 ヴァイデンライヒ家の前にはベイリアルを筆頭に武闘派の貴族が多く集まっていた。

 「何の御用でしょうか」

 兄と同じ金髪に、宝石のような赤い眼。精巧に創られた人形のような少女がふわりと溶けてしまいそうなほどやさしい笑みと共にそれらを出迎えた。

 「リチャード・ヴァイデンライヒ様が人体実験をしているというお話を聞きまして」

 「我が兄を疑っているのですか」

 「とんでもございません。ですが無実と晴らすためにはそれなりのものが必要でしょう」

 「ほお。わざわざこんな夜遅くに、武装した兵を引き連れたウルビス最強の将軍がくる必要があったのですか。文官でも寄こせば済む話でしょう」

 「私だけでもいいといったのですがな。どうも部下は頭が硬くて困りますわい」

 「ならばまた後日。今宵は帰ればよいでしょう」

 「いえいえ、人体実験など禁忌でございます。もし話が本当であれば今すぐにでも裁く必要がございますゆえ」

 「言葉が過ぎます。次は許しません」

 溢れる統星に押される兵士たち。涼しい顔をしているのはベイリアルと、もう一人だけだった。

 兄には及ばずとも彼女もいずれ訪れる次世代を創り出す側の存在。

 「……? あ、すいません。いまいち調節が上手くいっていないのです」

 兵の様子を見てすぐに統星を弱めるゾーイ。

 「はっはっは。ここで斬られるかと思いましたよ。まったく、年寄りをいじめるのは止めてほしいですな」

 「貴方まだ四十を過ぎたばかりでしょう」

 「そうでしたな。しかしこのままでは埒があきません。私たちは調査を行いたく、ゾーイ様はそれを認めないと。仕方がありませんな。今日のところは帰らせてもらいましょう」

 その言葉の後に、兵士たちに帰還命令を出した。

 「失礼いたしました」

 去っていくベイリアル。

 「何しに来たんでしょう……?」

 ゾーイの知るベイリアルという男はこんなにもあっさりと諦めるものではない。

 貴族を殺して謹慎されていたというように、時には強引にでも目的を達成しようとする。

 最悪、武器なしで戦う覚悟をしていたゾーイにとっては拍子抜けだった。

 「……まあ、何かあっても兄上ならば問題ないでしょう」

 ほかの目的があったのか考えるも、特に思い当たるところはない。

 暗殺者の一人や二人が紛れ込んだところで、己の敵とはなりえない。己以上の存在である兄ならばなおさら。

 「寝ましょうか」

 自室へと戻り、寝ることを決めたゾーイだった。

 「その油断が君を殺すんだぜ」

 背後から声が聞こえた瞬間、ゾーイが振り返り仕掛けようとした時には既に遅かった。

 統星の過剰保有。

 器以上の統星が入ってしまうと起こるそれは、いともたやすくゾーイの意識を奪い取った。

 「ま、殺すってのは嘘なんだよね。セイリオスが裁くのは、悪の貴族だけだし。さ、行こうか。さっさとしないとベイリアルが怒っちゃいそうだしね」

 己の背後に声をかけるその存在。

 そこには仮面をつけた集団がいた。

 ベイリアルが兵に紛れ込ませていたそれらは、ミーティアの指示によって散っていく。

 「悪者退治(ハッピーエンド)の始まりだ」

 月明かりに照らされた銀髪は、これから起こる出来事を期待するかのように揺れていた。

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