既に届かぬ

 一夜明け、向かった孤児院で彼女は待っていた。

 「サラ……」

 「どうして?」

 咎めるわけでもない、怒るわけでもない。

 優しい音色で、問うていた。

 「……ヴァイデンライヒ家での俺の仕事だよ」

 「違うよ。セイリオスって、もっと前から、ベレッタ姉が殺される前からいた」

 「……」

 「カゲノブが、やってたの?」

 「そうされて当然の人間たちだった。ベレッタを殺した貴族も、昨日俺が殺した貴族も、どっちも屑だ」

 違いなど怒りくらいだろう。

 身内を殺されて、リチャードが関わっていたとはいえ結局は殺すべき屑には変わりないのだ。

 「なんで、なの。なんでカゲノブなの」

 セイリオスという存在に憧れてはいた。

 貴族至上主義のこの国で彼の存在は大きいもの。

 だが真実を知ってしまった。

 セイリオスがしていたことなど所詮は人殺し。

 リチャードの言う象徴に届いていないカゲノブでは、他人をだますことはできても身内をだますことはできない。

 サラにとってカゲノブは市民の光となるセイリオスではなく、カゲノブという少年が貴族を殺しているという風に映っている。

 だからこそ認められないのだ。

 大切な人が、そんなことをやっていたことを。

 「カゲノブじゃなくてもいいじゃない。貴方と一緒にいる、黄金の仮面をつけた人でもいい。貴方が、誰かを殺す人になる必要はもうないでしょう!」

 カゲノブと共に活動している黄金の仮面をつけたリチャードは第二のセイリオスと呼ばれているほど有名になっている。

 ならばそちらに任せればいい。

 わざわざカゲノブが殺しをする必要などない。

 あの夜、己を守るために刃を振るった彼を受け入れることはできても、誰かのためにという理由で刃を振るう彼を、サラは受け入れられなかった。

 「わがまま言ってるってわかってるけど、それでもカゲノブがやる必要はないよ。ねえ、もうやめよう?」

 カゲノブの道を変えようとする一言だった。

 「……今更止めたところで何も変わらないよ。俺がヴァイデンライヒ家に、リチャード様に仕える限りこれは変わらない。それに、覚えているだろうサラ。あの夜、勝手な理由をつけて人を殺そうとしていた。でも俺は違う。俺は、そんな自分勝手な奴からみんなを守るために殺しているんだ」

 守ったものだから己が殺しても問題ないだろうと、そんな考えの人間が貴族には多くいた。

 身分という領域においては上位者である貴族。

 人間的な価値では身分差など存在しないのだが、それを理解できない貴族にとって市民など己の欲求を満たす存在にすぎない。

 ならばその間違えを正してやろうと、カゲノブは修羅に堕ちている。

 「俺だけしかできないんだ。他の誰でもない、俺だけがセイリオスである必要があったんだ」

 ほかには務まらない。

 リチャードは貴族であり、本質的にカゲノブ達底辺の気持ちを理解できないだろう。

 マークはそもそもセイリオスたる力を持たない。

 もともと高貴な身分で生まれながら、底辺を進み続けてきたカゲノブにしかこの道を歩むことが出来ない。

 「違うよ。カゲノブじゃなくてもいい。誰かを守るために誰かを殺すなんて、そんな役目が必要とされるわけがないよ」

 だがそれは違う。少なくともサラという少女にとっては違った。

 誰かを殺す役目を背負う必要があるのは、間違っている。

 その役目自体があることは知っている。しかしそれを背負うのはカゲノブではない。

 「セイリオスが必要とされているのはわかるよ。でも、もうカゲノブは十分に役目を果たした」

 おそらく、カゲノブの役目はベレッタの敵を討った時点で終わっている。

 ヴァイデンライヒ家に仕えたからこそその役目が伸びているのだ。

 そして、カゲノブはそれを知ったうえでそれを成しているのだ。

 「…………サラにとって、俺は他人だろう。なんでそこまでするんだ」

 「馬鹿言わないで。血だけが、人を繋ぐものじゃない。父さんも母さんもカゲノブのことを家族だと思っている。私だって、そうだよ」

 「…………」

 「お願い」

 少女の願いは届いている。

 ただカゲノブはそれを受け入れることが出来ない。

 既に己が戻れないところにあると知っているから。

 修羅は、人に戻ることが出来ない。

 「少しだけ、待ってほしい」

 だが答えは出す必要があった。

 カゲノブにとっての今後を決める選択は、彼の手の中に無い。

 黄金の男だけが、彼を支配しているのだから。



§ 



 カゲノブはヴァイデンライヒ家別邸に訪れていた。

 ここにはリチャードが気に入っている風呂があり、彼は本邸ではなくこちらにいることが多い。

 「聞きたいことがあります」

 いつの日かの再現。

 人払いを済ませ一つの部屋にて二人は向き合っていた。

 「セイリオスと名乗る男が、ヴァイデンライヒ家は人体実験をしていると。その証としてこの本を渡されました。事実ですか」

 リチャードはカゲノブから本を受け取りパラパラとめくる。

 「事実だ。すべて正しい」

 彼は表情一つ変えずにそう言った。

 「アスクウィス商会は、このことを知っているんですか」

 「私とヴァイデンライヒ当主しか知らんことだ」

 「何のためにそんなことを」

 「ヴァイデンライヒの目的のためだ」

 「それが貴族としての義務ですか」

 「そうだ。私はすべてのためにそうしている」

 「間違っている」

 「それはお前が決めることではない。私と、その先にある者が決めることだ」

 「……セイリオスが、何のためにあるか知っていますよね」

 腰にある刀に手をかける。

 「悪を滅する。ああ、お前ならばいずれそうすると、受け入れられなくなるだろうな。だが――」

 カゲノブの背に強い力がかかる。耐え切れず、地に伏せる。

 「お前一人では不可能だ」

 アーネストがそこにいた。

 「ぐ……」

 その存在にカゲノブは不意を突かれた。

 統星による探知は、己含め二人の人間しか反応していなかったのに、アーネストは現れたのだ。

 「お前には己の信念がない」

 リチャードが話す。

 「セイリオスという役目があったからこそお前は輝き、必要とされてきた。だがそれを取り払ったとき、カゲノブという男は何を望む? 母を殺され、親しき友を殺され、失ってばかりのお前は負け続けている」

 「負けてなどいない……!」

 「失うことが勝利なのか? 違うだろう。お前は、お前の周りにいる人間を守り抜くことを勝利としているはずだ」

 思い返せば、母やサラ、ベレッタを失う、または失いそうになった時にこそカゲノブはその力を発揮していた。

 「今回の件、お前は悩んだだろう。目に見える危険はない。あるのは未来のリスク。それでもまだ失われていないならと、解決策を探し続ける振りをしてきた」

 所詮は紙面上のもの。孤児院に関わった年数の浅いカゲノブにとっては名を知った他人にすぎない。

 数年後という未来で、もしかしたら知った顔が実験に使われるかもしれないという程度にしかとらえていない

 「サラという女性が危険にさらされて初めてお前は動いた。結局のところ、お前はその場その場に流されている。私という存在につくか、それとも向こうにつくか。今でもわかっていないだろう」

 「サラのことを知っていて、なぜ何もしてくれないのです。それこそあなたの信念に関わるでしょうが!」

 「リチャード・ヴァイデンライヒという貴族は確かにそうするだろうな。だがここにいるのはリチャードという男だけ。ヴァイデンライヒの名がない私など所詮お前とさして変わらん。ただ己の欲に従って進むだけの存在だ」

 貴族ではない、一個人として関わっている。

 「だからこそお前という存在を容認できている。ヴァイデンライヒであれば、お前のことなど殺している。彼女もこちらが守ればいい」

 カゲノブがいなければサラという存在は何も知らぬままヴァイデンライヒに実験死体を流しているだけ。

 かかわったからこそ、それを知る可能性が出てしまい危うい立場になってしまった。

 求めているのは必要以上に疑わない存在。

 カゲノブとサラという存在が消えたところで困る者など極僅か。

 「お前という存在が関わったからこそ、彼女は今危険にある。もう一度悩むといい。お前の選択次第では望む未来を創ることが出来るだろう」

 リチャードのその言葉を最後に、カゲノブは意識を奪われた。

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