誘い
部屋に戻ってからカゲノブは男の残した本を開いた。
あの後現れたアーネストは別の第二王子派による襲撃を受けていたらしく、到着が遅くなったと言った。
カゲノブはセイリオスと名乗る男との接触があったことを話すか迷ったが、結局話さないことにした。
どうしても孤児院の子供たちがどうなっているか知りたかったのだ。話してしまえば本の内容は知らぬまま。仕えるうえではその方がいいのかもしれないが、カゲノブはヴァイデンライヒ家の悪を知ることを選択した。
「統星による人類種の新たなる領域について……?」
本に載っていたのは、ヴァイデンライヒ家へと仕えることになった孤児院の人間たちの人体実験の記録だった。
成人後から死ぬ直前の老人まで範囲は多岐にわたり行われている。
実験の内容については詳しく書かれていないが、結果は書かれていた。
「一人も適合者がいない」
すべてに失敗と、廃棄のマーク。
失敗した理由や考察、それぞれの差異が記されていたが結局のところ第一段階から実験は進んでいない。
この実験では成果を得られていないことを示していた。
「なぜ……」
誰に向けた言葉だったのだろうか。
ヴァイデンライヒ家に、貴族という存在に黒い部分があるのは知っている。
己が担う暗殺がまさにそれだろう。だがそれでもこのエデフィスで見れば正しいことをしているとカゲノブは思っている。
ゆえにそれをある程度は受け入れたうえでこの選択をしたつもりではあったし、納得もしていた。
しかしいざこれを見ると、己の中に湧き上がってくる感情があった。
スラムの人間を相手にした時とよく似ているそれはカゲノブを包み込んでいく。
「…………大丈夫だ」
零れる言葉。
安心する。この言葉だけはカゲノブにとって絶対的な意味を持っているものであったから。
もう一度その本を読みなおし、内容を覚えたカゲノブはそれを燃やし消した。
未だ知らぬ己の本質がそこにあるとは気が付かないまま、道を変えずに歩み続ける。
§
「ねえ、どうしたの?」
「え?」
あの日以降も仕事を受け続けているカゲノブ。
一人殺すたびに、セイリオスと名乗る男がヴァイデンライヒ家の悪が書かれた本を渡しに来ていた。
早い時は殺す前の段階でその本を渡す。
内容はどれも人体実験に関わる者であり、名前は日に日に増えている。
孤児院の子供たちの名前はないことを確認してはそれを燃やしているが、己の中に湧き上がる感情は大きくなっていくばかりだった。
それを振り払おうと今日もシャーロットに日記を届けた後に孤児院の手伝いをしていた。
「最近ずっと考え事してるよね」
そんなカゲノブの変化を、サラは見抜いていた。
ここ最近、来るたびに子供たちの人数を確認しては安心したような顔をし、その後、本人は気が付いていないのであろうが、難しい顔をして作業をしている。
「ヴァイデンライヒ家でなにかあったの?」
「いや、何もないよ」
「本当に?」
「うん」
「じゃあ、そんな顔しないでやって。子供たちだって近づきにくいし、そんな顔してる人を手伝わせるほど、うちは困ってないから」
「か、顔?」
「……ほんとに呆れた」
ベレッタに似てきたなぁと、サラの言葉と表情を見てカゲノブは彼女を思い出す。
夢ではずっと彼女と出会えている。その時にかわすやり取りと今のサラはそっくりだったのだ。
「ベレッタ姉はほんとにすごいわ……」
「ご、ごめん」
同じことをサラも思っていた。
このような顔をするカゲノブを見るたびにベレッタは的確なアドバイスを与え問題を解決してきたのだ。
「疲れているのは分かるけど、それで手伝いに来られても困るのよ。楽しくやってもらわないと意味ないわ。義務感とかそういうもの出来てるんなら別にやらなくていいわよ。私は必要だから、楽しいからやってるの。カゲノブ、今あなたは――」
「楽しいよ。ただちょっと悩み事っていうのかな。ちょっとそれが気になってさ。ごめんね。ここで悩むことじゃないよね」
どっちもないでしょう。
そう言おうとしたサラに、カゲノブが被せて話す。
「…………そうね。判ればいいわ」
確認が怖かったのだろうか。
カゲノブが遮ってまで行ってきたその言葉に嘘があるようには見えなかった。
そのままカゲノブは別の作業に移る。
「なんでよ……」
この時間が辛く感じるとことがある。
サラという人間はそもそも人を責めるとこを良しとしていない。商人の娘という以上、強きが必要になるからこそ己に嘘を吐いて過ごしている。
一つ仮面が剥がれれば誰かに依存しなければ生きていけない無垢の乙女なのだ。
依存する相手はいる。当人は向けられている感情に自覚などしてないだろうが、彼が困っている姿を見たら己のことのように思い、心が痛むのだ。
「駄目。集中しなきゃ」
それでも乙女は強く生きる。
彼女の目的を達成するためには努力を重ね結果を出し続けなければいけないのだから。
§
カゲノブが帰った後の孤児院に一人の人間が訪れていた。
「お久しぶりですね」
「……? 誰ですか」
「ん、あれ? あーそっかそっか。これじゃあ、だれか分からないですよね。失敬。これでどうでしょう」
「……ああ、貴方ですか」
「特別なショーがありましてね。深夜にこそっと来ていただきたく」
「夜に女性を誘う意味を分かっているのかしら?」
「パートナー様も来られますよ。俺は案内人です」
「……」
差し出された手。
少しだけ悩んだが、彼が来るなら行ってもいい。
その案内がどんなものかも知らず、その手を取った。
§
「やあ、セイリオス」
「お前か」
その男と、必ず出会うようになった。
こちらが誰を殺すのかもう知っている。
「今日はさ、渡す本がないんだよ。だから代わりに、とびっきりのプレゼントをあげようと思って」
殺すのを止めることはない。いつも殺し終った後にこの男は何かしらのアクションを起こす。
そして今日はもう、すでに殺している。
「あそこ、みえるかい?」
その男が指さした先にあるのは貴族街にある家にしては小さな家。
カーテンの引かれた窓に僅かな隙間が出来ており、そこから誰かが覗いていた。
目が合った瞬間に、瞳が大きく開かれる。
「サラ……!!」
「知ってるでしょ、彼女」
良く見知った彼女がそこにいた。
「今日の君のお仕事を見てもらっていたんだ。ああ、もちろん俺が彼女の傍で守ってたから、傷一つないよ。誓ってもいい」
「ふざけるな。彼女は関係ない人間だ」
「関係あるでしょう。君の、大切な人じゃないか」
孤児院のことを知っている時点でサラに関する情報も持っていることは知っていた。
それでもここまでアクションを起こしてこなかったことから、興味があるのはあくまでセイリオスであるカゲノブであり、その関係者を巻き込まれることは予想外だった。
「大丈夫さ。俺の目的は悪の排除。君の心配しているようなことはない。ただ、いつまでも悪の側にいるのであえばそのかぎりではないんだけどね。大丈夫、君がヴァイデンライヒを殺した後のことは上が上手くやってくれるさ。だから、安心して殺してきてくれ」
破滅への誘い。
カゲノブにとってヴァイデンライヒという存在とサラという存在を天秤に傾けた時、どっちに傾くかなど決まっているのだ。
愚かなことだと分かっている。この男の言うことを無視してリチャード、あるいはアーネストに全てを伝えればサラも、己も守ってもらえるだろう。
だがそうしないのは、この男の渡してくる本があるから。
孤児院の子供たちの未来が消えているとなればサラはきっと悲しむ。いや、きっとそれ以上に怒りを持ちヴァイデンライヒへと立ち向かっていくだろう。それはカゲノブにとって望ましくないことなのだ。
どちらを選んでも簡単ではない。
だが、一つだけ基準を作りそれによって決めるのであれば、答えはもっと前から出ている。
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