もう一人

 「おはよ」

 「おはよう、サラ」

 この日もカゲノブは孤児院に来ていた。

 ここ最近はヴァイデンライヒ家からの依頼もなく、暇な日々が続いているのだ。

 それを知ったサラがカゲノブを孤児院の手伝いをしろと引っ張て来ているのだ。

 もちろんリチャードはそのことを許可しており

 「お前に求めることがないのは私の落ち度だ。こちらから指示を出すまでは孤児院に行っても構わん」

 とむしろ行くように勧めていた。

 加えて、シャーロットについても聞きたいと話しており、交換日記という形式でリチャードはシャーロットと交流している。

 一度内容を教えてもらったが、数字と図形のみの日記でありカゲノブはそこで二人のやり取りを理解することを止め、交換日記配達員となった。

 「カゲノブ!!」

 「シャーロット、ちょっと待ってね」

 「待てない。遅い男はダメだよ。この一秒が私にとって大事なんだから」

 カゲノブの声が聞こえた途端、孤児院の奥から件の少女は走ってくる。

 この年頃の少女と言えばままごとをしたり、少しお姉さんぶって生活したりするものだがシャーロットはリチャードとの交換日記の方が重要らしい。

 貴族との交換日記に盛り上がった女性陣であったが、内容が恋愛じゃないと分かるとすぐさま別の話題に興味が移っていた。

 「はい」

 「ありがとう!」

 リチャードからの日記を渡すときらきらと目を輝かせてシャーロットは部屋に向かっていった。

 「変わってるわね」

 「日記のこと?」

 「そ。初めはシャーロットがヴァイデンライヒ家に行くもんだって思ってたけど、なんか違うみたいだし。まあ、さすがにあの年齢の子に魅力を感じたっていうなら少し不安にあるけど」

 「リチャード様には婚約者がいるからね。とても綺麗な方だったよ」

 「レイナ様にあった事あるの?」

 「一度だけヴァイデンライヒ家に来ているところを見たんだ。話したってわけじゃないんだけどね」

 「ふーん。ま、いいわ。流石にそれは選択肢に入らないだろうし」

 「何の話?」

 「なんでもない」

 機嫌がころころ変わるサラに疑問を持ちながらもカゲノブは作業に取り掛かった。



§



 カゲノブは酒場にて、久しぶりにマークと飲んでいた。

 次から次へと注文していき、止まることなく飲んでいく。

 「うめぇええ……」 

 「凄い幸せそうな顔してますね」

 「お前がいなくなってから中々飲みにいけなくなっててな。最後に飲んだのはいつだったか……忘れたわ」

 「いいことじゃないですか。お酒、あんまり体にはよくないですよ」

 「この歳になるともう体に良いもん悪いもん関係なしに、受け付けるもんだけ食っていくんだ」

 「それがお酒なんですね」

 「正解だ」

 迫る老いには抗えない。三十代前半の男の言葉であった。

 「ヴァイデンライヒ家での仕事はどうだ?」

 「良いですよ。少し厳しいというか、実力不足を感じるときはありますが、俺にあった場所だと思っています」

 殺しをしているとは言わない。

 己にあっているのは人を殺すことであり、そのために訓練を行っていると知ればこの人はきっと悲しい顔をして己を止めようとするだろう。

 それはきっと互いに望む関係ではない。

 「あんまりいいうわさは聞かねえけどな」

 「うわさですか?」

 「おう。ヴァイデンライヒ家が大公爵家ってのもあって、そこの使用人は死ぬまで雇われ続けるらしい。子供を作っちまえばその子供もヴァイデンライヒに使われ続ける。生活は保障されてるが自由は許されない。でもまあカゲノブと俺がこうして飲んでいるとこがあると、本当にただの噂だったみたいだな」

 「そうでもないみたいですよ」

 否定したのはカゲノブにとっても聞き覚えのある声だった。

 「ミーティアさん?」

 「はい。こんばんはカゲノブ。お連れの、マークさん? は初めましてですね。ミーティアといいます」

 「ミーティアってあのミーティア?」

 「どのミーティアかは分かりませんが、おそらくあのミーティアであってますよ」

 「サインください」

 マークはミーハーであった。

 嫁への土産が出来たとホクホクである。

 「お二人の話についつい興味を持ってしまいまして。俺も混ざっていいですか?」

 「おう。酒の進む話は歓迎だぜ」

 「では先ほどお話の続きを。ヴァイデンライヒ家の黒い噂です」

 「死ぬまで雇われるって話か?」

 「いいえ。ヴァイデンライヒ家では人体実験が行われているという話です」

 「……そりゃあ、噂でもやべえんじゃねえのか」

 飲んでいた手が止まった。

 今のミーティアの発言は捉え方によっては貴族に対する不敬にもあたる。

 この国に限らず人体実験は禁じられている。

 今ほど統星者という存在が地位を持っていなかった過去に、統星という技術をより完全なものとするために多くの統星者が各国で実験を受け死んでいる。

 それが原因で統星者による叛逆を受け滅びた国が現れてからは、各国で統星者に地位を与え人体実験を禁じることによって事なきを得た。

 それを貴族、しかも最高権力者に近い存在がしているとあっては再び統星者による叛逆が起こる火種となる。

 「俺と、もう一人だけが知っていますね。それから聞いた話です。どうします?」

 聞きますか、という問い。

 「……俺は勘弁だ」

 「でしたら今日は俺と、カゲノブ、マークさんの三人が記憶をなくすくらいいっぱい酒を飲んでいた、ということになりますね」

 聞かないのであれば忘れる必要がある。

 「かんぱーい!」

 明るいミーティアの声とは対照的に、二人の表情は暗いまま。

 一人は知ってはいけないことを知ってしまった恐怖から。

 もう一人は己の中によく知った、されど理解のできないものが生まれたことに対して。



 §



 「大丈夫」

 それを久しぶりに聞いた気がした。

 ヴァイデンライヒ家で過ごしている間、彼女たちは唯こちらを見つめるだけ。

 手を伸ばせば届く距離で見ている彼女たちとは、近くも遠いところにいると感じていた。

 それが今の夢では近く感じる。

 手を伸ばさずとも、触れれる、触れられている。

 戻ってきている感覚がある。

 「こっちにおいで」

 至近距離でそう囁く。

 きっと体の距離ではなく、目に見えない距離のことを言っている。

 いずれは見えなくてはいけないもの。

 まだ、それが見えることはない。

 だから彼女たちが消えるまでに見つける必要があるのだ。



 §



 久しぶりの夜はいつもより長かった。

 貴族を殺し合流地点に来たカゲノブ。そこにはリチャードの代わりに来ていたアーネストはおらず、別の影があった。

 「初めまして」

 「誰だ」

 「ヴァイデンライヒの存在を嫌うものとでも言っておきましょう」

 「……第二王子派か」

 纏う気配は強者のそれ。深く被ったフードによって容貌はうかがえないが、知ったところでこの存在は下っ端、または切り捨てていい存在だろう。

 逆にここで所属を話したということは、どうにかする自信があるということだろう。

 「戦いに来たわけではありません」 

 全身に統星を巡らせ一撃で決めようとしていたカゲノブの行動に反し、その存在の目的は話し合いだった。

 「時間がないので単刀直入に。ヴァイデンライヒの暗殺を共に行いましょう」

 「何を言っている……?」

 「貴方は悪を犯した貴族を裁いている。それは間違いないでしょう。ですからそれに従って、悪であるヴァイデンライヒを殺してほしい、と頼んでいるのです」

 「…………」

 どちらか分からなかった。

 セイリオスであるカゲノブを雇っているのはヴァイデンライヒ家であるが、そのことを知っての接触であれば、この交渉に意味がないことになる。

 カゲノブ自身もヴァイデンライヒ家に関わったことで貴族には少なからず黒い部分があることを承知であったし、己自身の生まれもそういうことをやる家だったため、敵対する側から見ればヴァイデンライヒを悪と言っていても不思議ではない。

 だがそれを考えたとしても、目の前の存在は主を裏切って殺せと言っているのだ。

 少なくともカゲノブ自身は己を雇うヴァイデンライヒ家を裏切ってまでこの第二王子派につくつもりはなかった。

 「ヴァイデンライヒは悪じゃない」

 「なぜ?」

 「彼らは市民の味方であり続けている」

 「なるほど……どうやら見えているものが違うようですね。ヴァイデンライヒの悪を知らない」

 ばさり、と一冊の本が宙を舞いカゲノブの元へと落ちた。

 「孤児院の子供たちがどう扱われているかそこに書かれています。一度読んでみるといい」

 「ッ!」

 一閃。統星により強化された抜刀はその存在を襲うも、当たらず。

 カゲノブの一撃よりも早くその存在は攻撃範囲から離脱していたのだ。

 僅かに残る星の残留から、向こうも統星による強化があったのだろう。

 「時間です。また会いましょう。もう一人のセイリオス」

 「もう一人?」

 「我が名はセイリオス。悪を裁く正義の剣であり民を守る希望の光の守り手。同じ道を歩めることを願います」

 セイリオスと、そう名乗った男は闇夜に溶けていく。

 初撃を決められなかった時点で実力差ははっきりしている。統星使って決まらないのであれば追いつけるかどうか、追いついたところで返り討ちにあうだろう。

 結局何もわからなかった。あの男が己よりも強いということ、第二王子派であること、何よりも己の正体を知っていること。

 知られているのは己だけ。向こうのことは分からない。

 ただ一つだけ男のにつながる手掛かりと考えられるのは残された一冊の本だけだった。

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