大丈夫 下
「本当にいいの? お父さん」
「うん。カゲノブ君のためだ。娘を救ってくれた人を、見捨てるなんてできないからね。今度は私が彼を助ける番だ。それに、将来サラを支えてくれるのが彼であったらいいとも思っているからね」
「なぁ!? 何言ってるのお父さん! カゲノブとは別にそんなんじゃないから!!」
「あっはっは。そんな照れなくてもいいじゃないかサラ」
「本当に違うから!! カゲノブは、その、まだ弟みたいなものだから!」
「まだ、かぁ。じゃあいつかは変わる時が来るね。お父さんは期待して待っているよ」
「んもー!!!」
サラの怪我は深くなかった。傷は残る形となったが、カゲノブが早急に連れて行ったこともあり回復も早かった。
カゲノブが男達を殺したことに関しても裏がとれたためお咎めはなかった。
しかし、それが明るみになった日からカゲノブと関わる者が目に見えて減っていた。
外部から来た男が犯罪者だったとはいえ街の人間を殺したのだ。商人などもともとこの街に関わりのない人間たちはともかくとして、警備隊など二人の男と関係のあった人間はカゲノブから距離を置いており、中にはありもしない噂話を流すものもいた。
「じゃあ、行こうか」
そこでサラの父は自らが指揮を執るアスクウィス商会へとカゲノブを入れた。
犯罪で、しかも娘と商売道具が狙われた街に残る必要はない。育ってきている後進にこの街での商売を任せ本拠地を置いているエデフィスに戻ることにしたのだ。
サラもカゲノブも成人まであと少し。いずれこの商会を継いでもらう。それが早くなり、また後継ぎとなる候補が見つかったようなものだった。
「俺で良かったんでしょうか」
「いいに決まってるじゃないか。腕は立つ、頭も回る、なによりサラが気に入っているんだ。これを手放すなんて商人じゃないね」
「カゲノブは商品じゃないでしょう」
「人的価値で、という意味だよサラ。いや、でも確かに僕の言い方も悪かったね。ごめんよカゲノブ君」
「いえそんな……」
変わっている、と感じていた。人的価値というのはカゲノブにとっても納得のいく扱い。サラを救ったことによって確かに己の価値は上がったのだろう。
宗家で育ったカゲノブにとって人間の価値付けというものは重要になってくる。
正しき判断をできねば、ひっくり返されてしまうから。カゲノブは身をもってそれを体験している。
「サラを任せたよ」
目の前にいる男は娘を預けるに足る存在だと評価をしている。
しかし実際はどうだろうか。失いたくないという感情からサラを守ったが、己の殺した警備隊の男達もまた街にとっては己よりも評価の高く必要とされた人間たちだったのかもしれない。
喪失から新たなる日々を得たカゲノブ。
だが、己がすべきことは見つからず、ぼやけたまま。
未だ、彼は時代に流されていた。
§
エディフィス城下町に置かれた孤児院を任されたサラとカゲノブ。
初めは戸惑うことがありつつもアスクウィス商会からのサポートによって今ではそこでの生活に慣れ始めてきていた。
基本的に午前中は孤児院の子供たちと共にお勉強、午後は昼寝か遊ぶか。夕飯を食べ終った後、暗く成りきる前にサラを送り届ける。それがカゲノブの日課となっていた。
カゲノブ達が来る前にいた前任が使っている部屋をカゲノブは住居としていた。孤児院の一つとなりにある小さな家だった。といっても庭がつながっており寝る場所だけが違うという状態になっていたが。
「よーう。元気かぁ??」
「マークさん。おはようございます。みんな元気ですよ」
「そりゃよかった。これ、やるぜ。うちのが持ってけって。最近人気だっつう駄菓子らしい」
「ありがとうございます」
「おう。じゃあ、俺は行くぜ。なんかあったらすぐ呼べよ」
「はい。お気をつけて」
新たな出会いもあった。
この地区を担当している警備隊のマークという男。既婚者にもかかわらず良く夜遊びをしては妻に怒られている。
初めは警戒したものだったが、マークの性格が明るいことに加えて直ぐに顔に出る単純さから隠し事ができるように見えず今ではこうして孤児院に駄菓子を持ってくるまで仲が深まっている。
「これ、マークさんから。みんなで食べてって」
「あら。これ、マグメントで売り出されてたものじゃない」
「最近有名だって」
「ええ。サラがやる気を出していたわ。これがエデフィスに来たらきっと人気になるから負けないようにしなきゃって。自分で考えた商品を出すとか色々やっているみたいよ。……サラが来る前にコッソリ食べちゃいましょうか。みんな! 早いけど休憩しましょう」
もう一人、ベレッタという少女と出会いがあった。
前任がいたころからこの孤児院に手伝いに来ている。彼女もこの孤児院出身で仕事の合間を縫って子供たちに勉強を教えたり食事を作ったりしていた。
「あ!」
「うふふ。バレちゃったわ。サラも食べる?」
「くっ……敵の作ったものを食べることなんて」
「食べ物に罪はないわ。食べないなら誰かに」
「食べる! 頂戴」
「はいはい。……そんな顔して食べないの。美味しいでしょ?」
「……美味しい」
「じゃあ今度はこれより美味しいものをサラが作ってくれる?」
「勿論よ!」
サラとカゲノブにとっては歳の近い大人のような存在だった。特にサラは同年代の友人が少なかったこともありベレッタによくなついていた。
「…………」
このごろ人と出会うと、よく比べる。これまで己が生きてきた人生を。
宗家にいたころよく己に関わってきた本物の姉妹より、血の繋がっていないこの二人の方が姉妹だとカゲノブには思えた。
「カゲノブ?」
「大丈夫。何でもないよ」
「そう。何かあったら言うのよ」
「うん。ありがとう」
己を見つめる蒼い瞳に偽りはなかった。
本心から心配をしている。
それどうしようもなく嬉しくて、苦しかった。
§
孤児院の手伝い以外に、もう一つカゲノブには習慣にしていることがあった。
困っている人の手助けをすること。これはカゲノブがこの街に来る前から行っている事であり、人にものを頼まれたら優先する用事がない限りは手伝っていいた。
カゲノブの実力も一定程度あることから警備隊に欠員が出た時は代わりにと街の警備をしていることがあった。
「痛ぇぇぇ!」
暴漢の取り締まりもその中の一つだった。スラムに近づくにつれてその数も多くなり、周辺を警備した時には多い時で五人以上取り締まった。
「いいだろうが! もうこれくらいしねえと生きてけねえんだ」
皆決まって同じことを言っていた。他者から奪わないと生きていけない。
それを聞くたび、カゲノブはそれに対する嫌悪感が増していった。
ため込んでいたそれが爆発するのは、必然だった。
「やめてくれっ!」
気が付いたら殺していた。
ほかの人間よりも長く言い訳を続け、挙句の果てに己を羨ましいと言った。きっとそれが気に入らなかった。
カゲノブが西側に来て数年がたっている。その間に少なくない数の人間を見てきていた。それと比べ、間違いなく己は他よりも不遇だったと言える。
生まれた時から運命が決まっており、抗うことは許されない。
唯一残されていた安らぎは奪われ、守ろうと抗えば、否定される。
「大丈夫。俺は、大丈夫だ」
サラを救ったあの日からカゲノブが口にしている言葉だった。
これを口にすれば、己の所業が正当化されると感じるから。
「……あそこでいいか」
殺した場所がスラムだったこともあり、空き家にその人間を突っ込んだ。
血を払い、返り血と臭いが付いていないか確認した後、孤児院へと戻り、何事もないようにふるまった。
その日以降、カゲノブがスラムにおいてタブーとされる存在となる。だがそれがスラムの人間以外に伝わることはない。彼らは、人的価値のないものだから。
価値なきものの言葉を信じるものなど、いなかった。
§
一人になると堕ちていく感覚がある。
スラムで人を殺したあの日からカゲノブは己の何かに触れた人間を、その人間が行ったように殺せば知れるかもしれないという狂った理由の元、殺し続けていた。
知りたいのだ。この感覚の正体を。
東にいる時に読んだ書物にはその行為を、人の道を外れた修羅が歩む道だと書かれていた。
「地獄か……」
それに殺された者は地獄へ逝く。
善であろうと悪であろうと。
「いいな。そこは」
許されることはない。
認められることはない。
まるで己のようだと感じた。
この思考に浸かっている間は気持ちが良い。溺れているようで、しかし呼吸はできる。ギリギリで生かされている感覚が己を支配して、癖になった。
「人が人を裁けぬのなら」
殺した。殺して、未だ答えは見つからない。
だが間違ってはいない。幸いにも、己の何かに触れた人間は貧民街にいるものと、貴族と呼ばれる存在が多かった。
価値と呼ばれるものが、重なっていたから。
己が知ったことは、己の手の届く範囲であればすべて実行してきた。
「俺は修羅になろう」
そこは修羅の歩む道。
人のままでは分からない。ならば、人でなくなればいい。さすれば全ての価値が一つになる。
破滅の道を歩みだした。
§
その日の夜は星も、月も見えなかった。
サラを送り孤児院へ戻ったカゲノブにベレッタが話しかけてくる。
「カゲノブ」
「ベレッタ?」
「貴方最近夜に出かけているの?」
問い詰めるというよりはただ疑問に思っている言い方だった。
「……その、マークさんに誘われて」
人を殺しているなど言えない。
それはきっとこの人を悲しませてしまうだろうから。
「呆れた。サラが泣いちゃうわよ。年頃だから仕方ないだろうけど、上手く隠すのも必要になるからね」
「うん。ごめん」
「なんで私に謝っているのよ。じゃあ、今度サラと一緒に遊びに行ってあげなさい。最近、あの子頑張り過ぎているから。はい、これ」
「これって……」
「流行りのセイリオスが出てくる劇団のチケットよ。私はその日用事あるからサラと言ってきなさい」
渡されたのは二枚の紙きれ。
入手が難しいと言われてるそれをあっさりとベレッタはカゲノブに渡した。
「じゃあ、私は帰るわ」
帰りの準備は終わっていたのか、ハンドバッグを持つベレッタ。
「送るよ」
「いらないわ。そんなことよりサラとのデートの準備でもしてなさい。また、明日ね」
そのままベレッタは帰っていった。
「カゲノブ! お風呂入ろ」
子供たちがカゲノブの服を引っ張る。今日は週に二回ある入浴日であった。
「うん。入ろうか。準備はできてる?」
「出来てる!」
その場ですっぽんぽんになる子供たち。
「どう?」
その中で一人の少女がカゲノブに問いかける。
「どうって……」
「ロリコンだから嬉しいでしょ」
「誰がそんなこと言っているんだい?」
突然不名誉な疑惑を掛けられるカゲノブ。犯人を知るためにノータイムで質問をした。
「サラねえとベレッタねえが言ってた。おっぱい小さい子が好きなんだって。時々わざとタオルだけで前に出ても鼻息荒くしないから、ロリコンっていうとくしゅなおっぱいが好きなんだって」
だからあんなに危ない恰好をしていたのかと、カゲノブの中で一つの謎が解けた。
「色々と言いたいことがあるんだけど、俺はロリコンじゃないってことだけは知っていてくれ」
「おっぱいは好きなの?」
「好きだよ」
「ちいちゃいの?」
「どっちも」
「どっちも……」
幼女がカゲノブに対して向ける視線が理解できない者へ向けるそれと同じになった。
だが嘘は付けなかった。否定するともっとひどいことになりそうだったから。
カゲノブとて男。彼も女性の性的な魅力にはきちんとかかっていた。
成長期にあるサラとベレッタの肉体は異性から見て魅力的に育っている。
意識しないようにと視線を向けず生活してきた紳士的行動が、女性陣にとっては別の紳士的な行動と認識されていた。
今ならまだ矯正が間に合うと恥を忍んで、または面白がってタオル一枚でカゲノブの前に出たというのにカゲノブは全くの無反応。
風邪ひくよ、乙女なんだらか肌は隠して、と正論を言われ撃沈した二人が結論したのは、イエスロリータノータッチオッパイ。
限りなく特殊な性癖だった。
「ほら、風邪ひくから向こう行ってから脱ぎなさい」
「そんなこと言ってカゲノブ興奮しそうなんでしょ?」
「しません。女の子がそんなこと言っちゃいけません」
「はーい」
服を着た子供たちはそのまま風呂へと向かっていく。
「カゲノブこれ!」
「ん?」
風呂場に向かう途中、風呂場から何かを持って向かってくる子がいた。
「ベレッタねえのやつ」
「ヘアゴム……」
「サラねえがあげたやつだ」
サラとカゲノブが成人したとき、ベレッタから祝いの品を貰ったのだ。そのお返しにとサラがベレッタにあげた物が花のアクセサリが付いたヘアゴムだった。
カゲノブが見かけるときはほとんどこのヘアゴムをつけている。
「んー」
今日の事に関しても気を使ってもらっていた。
お礼を含めて子供たちが風呂に入り終った後に届けに行こうと決めたカゲノブだった。
§
「まだ間に合うかな」
人通りの少なくなり始めた城下町を一人歩くカゲノブ。
「明日でもいいんだけど……まあ、早い方がいいよな」
ベレッタの忘れたヘアゴムを、何故だか分からないが今日中に渡したい気分だった。
彼女の家は貴族街に近い。
貴族ではないがお金のある市民の家に生まれた娘。それがベレッタだった。
彼女元来の気質が世話好きであったこともあり初めは親の手伝いで行った孤児院へのボランティアを続けるのは当然のことだった。
知らず知らずのうちに彼女の優しさに影響を受けているものは多い。
良くも、悪くも。
「…………え?」
灯りの消えたベレッタの家。
彼女のいる部屋の窓は不自然に開いており、そこから一人の男が出てくる。顔も隠さず、身にまとうのは安物のパンツとシャツ。恰好からはそこらにいる男と変わらない特徴のない人間の一人だった。
ただ一つを除いて。
彼が持っていたのは血濡れたナイフ。
そのナイフをあらかじめ待機してたのであろう他の男に渡している。
周りを見れば彼ら以外にも数名いた。
「旦那様、こちらへ」
「ああ」
貴族とその家に使える執事だろう。服装は違うが主従関係が見て取れる。
あっという間に、彼らは闇夜に消えていった。
それをカゲノブは追わなかった。
そんなものよりも、目が離せないものがあったから。
それは、彼が否定したい光景。
「ベレッタ……」
空いた窓から見えるベレッタの姿。
服は破かれ乱れている。近づけば近づくほどに強くなるよく知った臭い。
真白のベッド、その中心に紅く染まったベレッタがいた。
「死んでいる、のか」
問わずともわかる。理性は肯定し、感情は否定していた。
首を一突きだった。
身体中にできたあざを見れば、もっと前から死んでいたかもしれない。
たった数時間で、彼女は変わった。
「また、いなくなる」
彼は失った。
母のような温かさを感じさせてくれた女性を。
「帰ってきてくれ」
抱きしめた彼女から溢れる血だけが、カゲノブに温かさを感じさせた。
§
「後は貴方の知っている通りです。あの夜に殺し、出会った」
目をつぶりカゲノブの話を聞いていた仮面の男。
「それが君のすべてか」
彼の中で必要なものは既に得たのだろう。
己を偽っていた仮面を外した。
「リチャード・ヴァイデンライヒだ。カゲノブ、私は君のセイリオスとしての活動を支援しよう」
カゲノブは彼の名を知っていた。
同時に、今まで感じていた圧倒されるような感覚にも納得がった。
「私の持つものだけでは限界があるからな。君の力を手に入れられることは私にとっても、ヴァイデンライヒ家にとっても益になる。文字通り、セイリオスとなってもらうことになるな」
口調自体は願うものだが、その内容は犬になれと言っている。
「一生、ではない。然るべき時に、君を開放しよう」
魅力的な提案ではない。己のやったことが回りまわって帰ってきているだけ。
「一つだけ、条件があります。それを叶えてくれるのであれば」
「聞こう」
我儘。重石をさらに乗せていくようなものだが、もはや重みも分からないほどアンフェアな取引をしているのだ。この際、言うだけ言ってしまおう。
「俺は――」
嗤うリチャード。
契約は、成された。
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