大丈夫 上
カゲノブの生まれは宗家であった。
東の武芸者の中でも特に優れた有国の家に男児として生まれたカゲノブは幼いころから次期当主候補として日夜厳しい修業が続いてた。
彼の母親が貴家ではなく平民、いわゆる一夜の過ちによってできてしまった子であることもあり他の兄弟姉妹からは見下されていた。飯が捨てられているのは当たり前、酷い時には直接殴られることもあった。
それでも彼が宗家にて修業を続けるのは、母の支えがあったからだろう。
「大丈夫。あなたはきっと幸せになれるわ」
それが母の口癖だった。根拠などどこにもなかったが、一緒にいる時間はそれを無条件で信じることが出来た。
生まれてから十年を迎えたころ。
分家によって宗家が潰された。
なんてことはない。誰もがみな宗家当主の椅子は欲しい。三世代続いてきた有国の宗家はいともあっけなく消えた。
宗家から落ちた人間がたどる道は人以下の存在。奴隷だった。
ただ、カゲノブにとってはさほど変化を感じるものではなかった。
結局のところ己を虐げてくる存在と方法が変わっただけ。母はその容姿から夜の街で使われているが、会おうと思えばいつでも会える。
昼頃、皆が活発に働いているときに抜け出して、ちょうど休んでいる母に会いに行った。宗家にいたころより少しだけやつれていたが、それでも彼女の言うことは変わらない。
「大丈夫。私は大丈夫」
口癖は変わっていなかった。
二年が過ぎたころ、カゲノブは自由になった。高貴な方によってお前は買われたと奴隷だったころの管理人から言われた。
何にせよ自由になったのだ。
カゲノブはそれを伝えるために母の元へ向かった。
「ああ。美しいなぁ。お前はやはり美しい。どんな姿になっても、俺を男として自覚させてくれる」
男がいた。
達磨になった母を抱きしめ舐め魔回しながら、何かをぶつぶつと言っている。
殺すことに迷いはなかった。男が持ってきていたのであろう龍が描かれた真白の鞘に納まった刃を抜き、首を切り落とした。
初めて、彼は人を殺した。しかし彼にとってそんなことは重要ではなかった。今は母の安否が大切。
「大丈夫。大丈夫。大丈夫。大丈夫。大丈夫…………」
光を失った母は生きていた。口癖を言い続けている。
カゲノブは母を背中に縛り付け、部屋に転がっていた手足を拾う。鞘に納めた刀を腰に下げすぐさま逃げ出した。
奴隷身分である母を治すには非合法、裏にいる医師しか出来ないこと。
向かう途中、いつもより力が出ていることに気が付いた。火事場の馬鹿力というやつなのだろうか。走っても息が切れることはなく、速さは増していった。
「助けてくれ!!」
扉を破った先にいる医者は目を見開いていた。
すぐさま母を下ろしてその姿を見せる。
「あ……? 死んでるじゃねえか。どこを治せってんだよ」
何を言ってるんだと、医師の襟をつかむ。
カゲノブにはまだ母の口癖が聞こえている。
「とんでもねえな、この餓鬼は」
医師の言っている言葉の意味を理解する前に、カゲノブは意識を失った。
§
目を覚ました時、母の声は聞こえなかった。
ふと隣に気配を感じて視線を向けると、四肢のつながった母がいた。
全身が悲鳴を上げるほどの痛みに襲われる。おそらく筋肉痛だろう。
よろけながらも母を窺った。
「母さん……?」
のぞき込むと、母は安らかな顔をしていた。
かたり、と扉が開く音がした。
「死んでるぞ。治せって言ってたから手足はつなげてやった」
扉から出てきたのは、治してもらうように頼んだ医師だった。
「なんで……」
「なんで? 俺に死者を蘇らせる力なんざねえよ。ヨモツの鬼ならできるかもしれねえがな」
「母さん。起きてくれ。大丈夫だって、言ったじゃんか」
「聞いてねえのかクソガキ。死んでるっつてんだろうが」
顔に衝撃が走った。殴られたと認識するのに随分と時間がかかった。
「よく聞け。俺はお前の母親もお前の気も直してやった。だが面倒ごとを抱え込むつもりはねえ。白い鞘なんつうとびっきり愉快なもん持っているお前はさっさと出てけ。んで、二度と東に戻ってくんな」
男の背後から幾人か男達が現れる。皆顔に布を巻いており顔はうかがえない。
「お前の母親はこっちで処理しておくからさっさと消えろ。……っち、なんでこんな目に。厄日じゃねえか」
未だ母が死んだという現実を受け入れられないカゲノブを男たちが持ち上げ、外に連れ出す。
「山を越えさせろ。門は抜けられねえ」
医師が男達の中でも特に体格が良かったものにそう告げていた。
「ヘマだけはするんじゃねえぞ」
医師は母の残る家に戻っていく。
「待って……母さん」
体は動かない。馬に乗せられたカゲノブは、別れの言葉すら告げられずに生まれた地を去ることになる。
§
カゲノブを連れ出した男たちは山賊だった。医師に助けてもらった恩がありそれを返すためカゲノブを国から出そうとしているらしい。
揺れる馬上でカゲノブはそう聞いた。
「お前の居場所は、もうねえんだ。このまま山超えて西側に行くしかねえ」
カゲノブが殺した男は東側でも特に位の高い貴族。
そういえば一度、母にあっている姿を見たことがあることをカゲノブは思い出したが、もはやそれはどうでもいいこと。
山賊の男達ともに山越えに向かった。
§
四日過ぎたころ、食料が尽きた。
山のふもとにある村とそこに来ていた商人を殺し、食料を奪った。
初めて男を殺した時のように上手くはいかなかった。
刃が途中で止まり、相手が苦しんでいるたことをよく覚えている。
その日、山賊の男たちに殺しの技術を教わった。
過去に習っていた有国の武術に通じるところがあり直ぐに扱うことが出来た。
次は、上手く殺せるようになった。
§
山を越えた。
山賊の男たちに食料やらなんやら渡された。
「達者でな」
付いてこないのか聞いたが、笑って首を振っていた。
早くいけと急かされて、山を下り始めた。
§
山を下った先にある小さな街に着いた。
何処から入り込もうかと、町の周りに生えている花を踏み荒らしながら探していると、一人の少女に怒鳴られた。
「みんなで育てた花を踏まないで!!」
後に知ったことだが、この街で生育される花は大陸の中でも一級品となるものであり、それを売り出して街を保っていたそうだ。
もちろん、そんなことを知らないカゲノブはただただ困惑していた。
何と答えればいいか迷っている間に少女の親や花を育てた街の人間が集まってくる。
「こいつ! 花を踏んでたの! みんなで一生懸命育てたのに」
涙目になって話す少女を彼女の母親が抱きしめていた。
父親や町の人間はカゲノブの容貌を見て何か感じることがあったのだろう。
「君はどこから来たんだい?」
山の向こう側をカゲノブは指差した。
僅かに父親の顔がゆがんだ。
「そっか、よく頑張ったね。今日はゆっくり休もう。花のことは後で謝ればいいさ」
ぎゅっと抱きしめられた。父を知らないカゲノブにとって、初めて知った母以外のぬくもりだった。
街の宿に連れていかれ、風呂に入れられた。
「汚い! 臭い! なんで私がやんなきゃいけないの!!」
途中入ってきた少女がギャーギャー騒いでいたが、それ以上に宗家の時でも数えるほどしか入ったことのない風呂の誘惑には勝てず、少女が何を言っていたかは覚えていない。
湯を上がり少女に連れていかれた先の部屋で、布団に包まれ寝た。
その日初めて母と過ごした日々を夢に見た。
「大丈夫」
彼女は変わらずそう言っていた。
§
町の人間からカゲノブは東から逃げてきた子供という扱いになった。山のふもとにあるこの街には時折そのような事情を持った東の人間が来ることがある。
「違う! その種はこっち」
だからと言ってただ飯食わせるほどではない。働かざるもの食うべからず。
カゲノブは街で花を育てることになった。
その指導役としてカゲノブを見つけた少女、サラが選ばれた。
奴隷時代の癖が染みついていたのか、それともサラの指導が良かったのか、はたまた性質が上手くかみ合ったのか。サラから教えてもらったことはすぐにできるようになった。
「ぐぬぬぬぬぬ」
サラはそれが気に入らなかった。
花を踏み荒らしたと思いきや、それを上回る量の花をいとも簡単に育てることに加え、言われたこと、教えたことは涼しい顔で何でもこなしてしまう。
「なんで怒っているの?」
宗家、奴隷時代と出来ないことは悪として扱われてきたカゲノブにとっては、少女が怒っていることが理解できなかった。
出来ることは当たり前。それをさらに良くしていく。それがカゲノブに課せられた日々だった。
だがそれを知らないサラにとってカゲノブの言葉は火に火薬を投げ入れるようなものだった。
「負けるもんか」
サラにとってカゲノブは弟のような存在だった。
しかし今では勝っているのは身長くらいだろう。それもあと数年もすれば追い越されてしまう。
自らを姉と思いこんでいるサラにとってその尊厳は守りたいものだった。
「見てなさい!」
「何を」
「私を!」
「見てるけど……」
「どう? 感想を言いなさい」
「え……最近ちょっと太ったよね」
「花の養分になーれ!」
「サラ!? フォーク投げるの止めて!」
正直に言ったのに、とカゲノブは思う。
身近にいた母は完璧であったし、それと比べて最近よく食べて健康的に育っていくサラに対して思うことなど太ったな程度。気を使ってお世辞を言うスキルをカゲノブは持っていなかった。
大体がサラの逆鱗に触れてからカゲノブは学ぶ。
何でもできると思われていた少年は、女性の扱いだけは知らなかった。
周りは二人の関係を微笑ましく見守っていた。
そんな日々に変化をもたらしたのは、雨の降る夜だった。
厩舎にいる馬が騒ぎ始めたのだ。
その声に起こされたカゲノブの部屋にサラが来る。
「様子見に行きましょう」
万が一に備えてサラは小さなナイフと猟銃、カゲノブは真白の鞘に入った刀を。
こちらに来てからも野生が街に近づく時があり、その度にカゲノブは大人たちと共に借りを行っていた。
体を動かすことが習慣になっているカゲノブにとって、空いた時間はサラと話すか稽古をするかの二つ。技術は鈍っておらず、体が成長していることもあり、むしろより良くなってきている。
「閉まってるわね」
厩舎に来た二人。扉は開いていなかった。
「なんで騒いでるのかしら?」
サラがその扉に手をかける。その直前に。
「え?」
閉まった扉から飛び出した刃に貫かれた。
「サラッ!!」
カゲノブが倒れるサラを受け止める。
「あーあ。気が付いたのが悪いんだぜ。運がないな」
「こんなことやってる俺たちに言われたくはないだろうよ。てか運がないのは俺らだろ? 失敗続きの人生。小遣い稼ぎに馬売ろうとしたら見つかる。んで、誤魔化す為にこの子供たちを殺す」
「救いようがない屑だな俺達。まあいいだろ。街の安全守ってきたんだ。一人や二人殺したところで、俺たちがいなかったら死んでたかもしれない人間よりは少ないだろ」
二人の男が出てきた。
どちらも街の警備隊服を身に着けており、片方が持つ軍刀は血で汚れている。
「何を――」
言っているんだ。そう言い切る前にカゲノブの服が引っ張られていることに気が付く。
「カゲノブ……私はいいから、逃げて」
うっすらと瞳を開けたサラが、カゲノブに告げる。
「大丈夫だから。私は、大丈夫」
その姿が、母と重なってしまった。
「優しいねえ。まあそっちの男の子も殺すから全然大丈夫じゃないけど」
下種な男の顔。倒れ伏せるサラ。
あの時が、蘇る。母を救おうとしたあの日を。
「嫌だ」
無意識にこぼれた言葉は否定だった。
このままでは同じ。
「嫌だ」
母を医師の元まで運ぶあの瞬間、カゲノブは母を救えるという万能感に支配されていた。
治すのはカゲノブではない。医師が治すのだ。
ならばそこまで生かすことが出来れば母は助かるだろうという子供特有の理の繋がらない事を信じて。
だが母が死んで以降、その日のような万能感は戻ってこない。ただ己が無力であることだけがカゲノブを支配していた。
「嫌だ」
無力ではサラを救えない。あの時の母とサラの状態はまるで違う。
まだ、サラは助けられる。
「消えろ」
否定したのは己の無力、そして過去の出来事。
「俺は、救う」
万能感がカゲノブを支配する。
西側では統星術と呼ばれるそれは、全身に力を巡らせ身体能力を倍以上に膨れ上がらせる。カゲノブが生まれた地の影響もあり、その効果は並み以上のもの。
「何を救うかわからんがあ?」
不可視の抜刀。認知するよりも早く放たれたそれは二人いた男のうち、サラに傷を負わせた男の首を落とした。
そのまま隣で固まっている男の首も落とされる。
「大丈夫」
暗い夜の雨に赤が混じる。
不思議とその冷たさは不快ではなかった。
「カゲノブ?」
「サラ。大丈夫だよ。だからもうちょっとだけ待っててくれ」
二人を殺したカゲノブはそのままサラを抱え医師の元へ向かった。
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