黒と黄金
警備隊の朝は早い。日が昇りきる前に詰め所に集まり情報交換後、街の見回りを開始する。
寝ている酔っ払いを起こしたり、所々に撒き散らされている汚物を処理したり、にゃーにゃーと朝からファイトするキャットたちを眺めてニヤニヤしたり。
それが終わったころには街は喧騒に包まれる。
店は開き客呼びが始まるのだ。
エデフィス城下町が目覚める。
「ふあ……」
「おん? 寝不足か」
「ええ。ちょっと夜更かししちゃいまして」
「寝不足になるほど激しい夜だったか。あとでコッソリどの店の子か教えてくれ」
「マリーさんに言いますよ」
「ジョークだジョーク」
「顔にめちゃくちゃ知りたいって書いてますよ」
「そ、そんなわけないし」
そんな訳あった。マークの顔には隙あらば聞きだしてやろうと書いてある。
あとで彼の妻であるマリーに話しておこうと決心したカゲノブであった。
浮気駄目、絶対。
「あ、カゲノブ! なんか警備隊の人、大変だったんだって?」
少し上機嫌にカゲノブへ話しかけてくる少女。昨日までは今のような明るさは見られていなかった。
「大変だった?」
「ベレッタ姉を殺したクソ野郎が死んだって。それで今貴族街は警備隊の人たちが集まって調査してるって聞いたけど」
「ああ、例の。俺達は貴族街の方には呼ばれてないから、詳しいことは分からないけど」
「セイリオスが出たって話だぜ」
カゲノブの横からマークが割って入る。
「いつもは朝になってから分かることが多いんだが、今回は警備隊の笛が鳴ったらしくてな。集まってみたらあら不思議。貴族様は死んでいましたってとこだ」
「ざまあないわね。ああ、どんな人なんだろうセイリオス様。きっと素敵な笑顔を浮かべる王子様のような方に違いないわ」
「やたら具体的だね」
「こういうのはイケメンって相場が決まってるの。不細工だったら正体は謎のままでいいわ」
世の中顔なのだ。
「世知辛いなぁ」
「あ、別にあれよ。知らない人よりも身近な人の方が私は大事だと思うから。いくらセイリオス様がイケメンだったとしても顔だけで選ぶわけじゃないから」
もじもじしながら明らかに特定の個人に向けたメッセージを伝えるサラ。
「サラは誰に言っているんだい」
伝えられた当人は全く気が付いていないようであったが。
「こりゃ駄目だ。諦めろサラ」
「諦めませーん。ねね、カゲノブ。今日さ、うち来なよ。みんなまだ寂しいみたいだし、カゲノブが来てくれれば喜ぶと思う」
うちというのはサラが暮らす孤児院。捨て子など訳ありの子供たちがそこに集められており、その孤児院を経営する家の娘がサラなのだ。
普段は商会を継ぐために家族のもとで働いているが、孤児院の経営を任されてからはそこに住み込んでいることも多々ある。
カゲノブは一時期そこに入っていたことがあり経営を任される前に遊びに来ていたサラと、ボランティア活動出来ていたもう一人の少女とは年が近かったこともあり特に仲が良かった。
「ベレッタ姉がいないって夜に泣いてる子もいてさ……」
ベレッタというカゲノブの一つ年上の女性。
ボランティア活動で孤児院に来ていた彼女は一つ離れたとは思えないほどの母性にあふれ孤児院の子供たちにとって母であり姉のような存在だった。
それが貴族によって殺された。
その当時はサラは泣きながら怒り貴族を殺しに行くと言いカゲノブが必死になって止めたのだ。
今日になりセイリオスという市民にとって希望の存在に貴族が殺されたからこそ明るくふるまっているように見えるが、彼女も昨日の夜は孤児院の子供たちに隠れて泣いていた。
失った傷が癒えることなどないのだ。
「うん。夕方になったら行くから」
「ほんとっ! じゃあ、待ってるから」
手を振りながら商会へ向かっていくサラ。
「頑張ってんな。傍にいてやれよ。歳近くて頼れる奴はお前しかいないんだ」
「はい」
「よっしゃ! 今日も一日頑張りますか!!」
二人は街の警備を再開した。
§
人という生物の歴史に一度現れるかどうかという才能を持った芸術家がその全てを注ぎ込んで作り上げた彫刻。それすら陳腐に見えてしまいそうな、人として完成した肉体がそこにあった。
その男は器用に仮面を指先に乗せてクルクルと回している。
見る者が見ればその仮面に驚きを覚えるだろう。だが今は男一人しかいない。
先祖の趣味で作られた湯船。景観よりも機能性、また湯の良さ体感することを追求して作られたそれはシンプルではあったが大人数が同時に浸かれるほど広く、また段差によって深さが変えられたものだった。
男は段差に腰掛け、足だけを湯につけている。
曰く、身体すべて浸かってしまっては長く味わうことが出来ないから、らしい。
備え付けられた灯りがその男を照らし、神秘的な光景を作り出していた。
「統星はあった。才能も、伸びしろもある。足りないのは覚悟か」
一人、呟く。
この男の癖であった。一人になると思考の海に潜り、特にこのような空間は男にとって好ましくあるのか、一度入ると中々出てこない。
「リチャード様」
「どうした」
ゆえに付き人に時間の管理を任せることがある。
しかし今回は時間を告げる呼びかけではなかった。
「ゾーイ様が呼んでおりますが」
「断れ。私にはやるべきことがある」
「承知いたしました」
妹の呼び出しは無視してリチャードは昨日会った黒衣の男に対して思考を深めていく。
「セイリオスの行動は事件から早くとも一週間後に起こっている。だが今回は二日後。ヴァイデンライヒから情報を流したとはいえ、それを鵜呑みにするほど阿呆ではない」
一週間という時間は情報の裏付けに加えて、復讐のプランを立てる時間も含まれているのだろう。
そしてもう一つ気がかりなものがあった。
「あの男にあったのは復讐心と怒り。……どちらが焦らせた?」
復讐心と怒り。その両方が男から常に感じ取れた感情だった。
復讐心はおそらく関係者だったから。己を修羅と認識することによって殺しをセイリオス自身の中で正当化している。
復讐の形をまったく同じように行うのはその実力の誇示。加えて尻尾をつかませないためと考えていたが、修羅という存在を模倣していたところを見ると、自然とそうなったのだろう。逃亡の仕方を見れば分かる。警備隊の笛などという持つ者が限られているものを使えば、直ぐにでも絞り込める。
今回の復讐劇は、あまりにも杜撰すぎたのだ。
「だが復讐者であり続けている」
復讐者であり、正体が明らかになってもいいのであれば、セイリオスは既に捕まっている。
今回の件によって急に気が変わったのならば、己と対峙した時点で諦めているだろう。
であれば復讐心ではない。
「残ったのは怒り」
もう一つ。黒衣の男から感じた感情こそが今回二日という時間で復讐を始めるに至った理由だろう。
「どちらにせよ変わらんか」
黒衣の男の正体は既に掴んでいる。ヴァイデンライヒ家の情報網はこの国の王族とはまた違う独自なものであることに加え、今回はセイリオスに隙があり過ぎた。
「アーネスト」
「ここに」
音もなく、男の背後に現れる。
長身であり服を押し上げるほど発達した筋骨隆々なその男はリチャードとはまた別の意味で人を圧倒する存在だった。
「セイリオスを堕とす。暫くはお前に任せることになるぞ」
それに対して頭を下げて答えるアーネスト。
説明は不要。リチャードの考えを理解できる数少ない男であった。
§
孤児院に着いたカゲノブを迎えたのはちびっ子達だった。
初めは来訪者に対しして警戒していたが、カゲノブと分かったとたん、机や椅子の下、果ては天井から飛び出てくる子もいた。
「わっとと……久しぶりだね、みんな」
カゲノブの元へ突っ込んでくる子もいれば他の子を呼びにいく子、皆自由に活気づいて動いていた。
ベレッタが死ぬ前は暇を見つけてはここに来ていた。
ここ最近は個人的な事情もあり足を運ぶことが無くなっていた為、少しだけ来ることが怖かったが、それでもこうして迎えられたことでその不安は消えた。
「サラはどこだい?」
子供たちに己を呼んだ女性の居場所を聞く。
「誰かとお話ししてる」
「お話?」
「うん。すっごい偉い人だから邪魔しちゃダメって言われた」
子供たちの中では最も年齢の高い子が答えた。
「偉い人……支援してくれている貴族の誰かかな」
孤児院は商会の資金だけで成り立っているわけではない。
商会と関係のある極一部の貴族に支援をしてもらうことで少なくない数の子供たちを養うことが出来ている。
もちろん、その代わりに支援してもらった貴族の家に使用人として仕えたり、国の騎士団や警備隊に所属しその恩を返すのだ。
カゲノブの場合は少し特殊な事情で孤児院に住んでいたが、成人した人間がこの孤児院に残ることはほぼない。
「じゃあ、サラが来るまで待ってようか。ご飯の準備はできたかい?」
「まだ、これから!」
「よーし。じゃあ俺も手伝おう」
「カゲノブ」
懐かしきご飯係。サラが来るまでその手伝いをしようとしたカゲノブの意気込みは一歩目から止められた。
サラが来たのだ。
「サラ。どうしたんだ?」
「うちにお金出してくれてる貴族様が来てる。私だけじゃなくて貴方にも話を聞きたいんだって」
「話って、何を?」
「分からないわ。けど、貴方のことを名指ししたの。客室にいるから、よろしくね。……やらかしだけは止めてよ」
基本的には何でもそつなくこなすが時々やらかすことのあるカゲノブにサラは少しだけ不安になっていた。
「了解。大丈夫だよ」
「カゲノブご飯は?」
夕飯の準備に入ろうとしていたところで呼ばれたカゲノブへ子供たちが聞いてくる。
「私が手伝うわ」
「サラのは美味しくないから嫌」
「なんですって!?」
怒れるサラから逃げる子供たち。その様子を見送りつつカゲノブは貴族が来ている客室へと向かった。
客室の前では一人の男が立っていた。帯剣していることから貴族としての護衛としても見て取れた。
カゲノブがこれまで見てきた中で最も背が高く、戦士として優れた肉体を持っていることを窺わせる。
「主が中でお待ちだ」
扉が開かれ、その中に一人の男が腰掛けている。
「っ!!」
その姿を見て離れようとしたカゲノブ。しかし後ろに護衛の男がおりそれは叶わなかった。
「昨夜以来か、セイリオス」
仮面をつけた男がそこにいた。
「そう構えなくてもいい。君がセイリオスであることは私とそこにいる男しか知らん」
それが事実かどうか確認する術をカゲノブは持たない。
仮面から見える黄金の瞳が、己をすべてを見透かしているようだった。
「座り給え。アスクウィス商会の娘から聞いているだろう。私は君と話をしに来たのだ」
座るカゲノブ。ソファに沈む感覚が、この時だけは不安に感じた。
「一年程前より、サラ嬢がこの孤児院を経営するにあたり護衛、そしてともに経営することになった。その実力から街の警備隊の仕事に参加することもあると。合っているかね?」
「合っています」
確認だと聞いてくる仮面の男。
全て正しい情報だった。
「まあ、先ほど彼女からから聞いた話だ。間違ってはいまい。私が知りたいのはここに来る前の話。その目と髪はこちら側の人間ではないだろう」
黒髪黒目を指していた。漆黒の色は西側の人間では出せない。
カゲノブが大陸の東側から来たことを顕著に現わしていた。
「何故、貴族である貴方が一介の平民に過ぎない私の過去を気にするのでしょうか」
「セイリオスとしての君を見て疑問を抱いたからだ。興味があると言った方がいいな」
警備隊としてのカゲノブではなく、セイリオスとしてのカゲノブ。そちらが気になったと言う。
「興味……」
「そうだ。君が自らを修羅という理由。そして執拗なまでに復讐を行う理由。君の過去がその理由を教えてくれる。勿論、ただとは言わんよ。この話はここだけで終わらせよう。必要なら、セイリオスとしての活動を支援してもいい」
つまり、話さなければカゲノブがセイリオスであることは仮面の男によって露になる。
「どうかね」
逃げ道は、無かった。
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