Khaos era

一ノ瀬 しんじ

月光照らす

 正しいかたちなどすでに崩れ去っている。

 この世界に秩序は存在しない。


 その日の夜は雲が空を覆っていた。

 大陸の西側では最も巨大な国ウルビス。経済、武力、芸術と主要なジャンルで最先端を走り続けている。

 その首都エデフィスにある貴族学院では新たに最上級生となった生徒たちだけの舞踏会が開かれていた。

 今後貴族社会で生きてい行く上で必要な学習の一つという名目のもと開かれたそれであったが、参加する大半の貴族が社交界デビューは済ませている。この日初めて参加する貴族もいたが、それでも学習ではなくお遊びの意味合いの方が強かった。

 学院の制服を一部改造しアクセサリーでその身を彩り、出来うる限りの準備を整え、家と関係のあるものと踊ったり、もしくは思いを寄せる相手を誘ったり。

 「とても美しい」

 ここにも一人、名前を知ってもらえと親からの指示で学院にて最も力を持つ男に近づく女学生がいた。

 深窓の令嬢と呼ばれていた彼女は未だ社交界デビューを果たしておらず、今日この日に初めて舞踏会に参加していた。貴族としての格も高く彼女が男に挨拶に行くことを阻めるものもそういない。

 印象付けとしては完璧に決まっていた。あわよくばその先の関係を、という思いで進んだ令嬢を待っていたのは人生最大の衝撃。

 「え、と……」

 「初めての舞踏会で緊張しているのか? 私もそうだったよ。どうかな美しき姫。私が貴女の手を引く初めての王子になっても?」

 男はその答えを聞く前に令嬢の手を取った。あっ、と令嬢が声を出した時には既にホールの中心に向かってエスコートを始めている。

 「私に一時の夢を見させておくれ」

 中心に立ち、男のリードによって令嬢は舞う。

 既に音楽など聞こえていない。ただ、目の前にいる男の、全てを飲み込んでしまいそうな美しい黄金の瞳に囚われていた。

 「ありがとう。今宵君の王子となれたことに私は誇らしくあるよ」

 音楽が止まり、男の手が離れる。

 「あ……」

 去る背中に令嬢は手を伸ばし、直ぐに引っ込めた。

 貴族の娘のプライドが、令嬢の気持ちを抑えたのだ。

 「大丈夫。また、逢えます」

 恋に落とすはずが恋に落ちていた。きっと家にいる父は呆れるだろう。けどいいのだ。

 今日この日、自らにも恋が許されること知った乙女は、長い冬を超えようやく春を迎え咲いた大輪のような優しい笑みを浮かべていた。



§



 幼き日の思い出は色褪せていない。

 第一王子である己はいずれ王となりウルビスを繁栄させていく。毎日父を見本として、それを超えるために努力をしていた。

 しかしそれに対して飽きが来てしまっていた。このまま努力を続ければ己は父を超え歴史に名を刻む王になれる、そう知ってしまってから。

 父が己に秘密で会っている存在がいると知ったのは偶然だった。

 剣術の稽古をさぼり、猫たちの日向ぼっこスポットで横になっていると父の声が聞こえた。

 誰か来ているのかと声のした方向へ向かいコッソリと覗いたそこにいたのは、ウルビス建国時よりこの国の王家を支え続けた最も力を持つ大公爵ヴァイデンライヒ家。

 今でも鮮明に思い出せる。

 そこには二人の男と、それらの存在に勝る輝きを持った少年がそこにいた。

 後姿しか見えなかったが、風に揺れる黄金色の髪は母や妹たちの持つ宝石よりも美しくあり、気が付けばそれに見惚れていた。   

 父はその存在の大きさに気が付いた様子はない。だが話しているヴァイデンライヒ家当主はもう飲み込まれていたのだろう。時折隣の息子に向ける視線は親としてのものではなくどこか遠い存在を見るようなものだった。いずれ父もああなると幼いながら悟った。

 リチャード・ヴァイデンライヒ。それが彼の名前だった。

 彼はすべてが己の先に行っていた。武術、学問のどれで競っても己は二番目。点数によって評価する学問では並ぶことはあったが、本質を問われたならば己は負けである。

 天井が見えなかった。

 父の天井は見えた。他国の王子や王の、権力者たちの天井も多く見た。

 己は勝っていた。どの存在も敵ではない。

 そんな己が初めて格下となった。

 必死に己を追いかける弟の気持ちが分かった。これが敗北者の気持ちだと。

 サボっていた稽古も真面目に取り組んだ。知らない学問も必死に覚え、新たなる発見もした。

 それでもあの日みた彼の輝きには――

 「未だ届かず、かな」

 「どこを見ているアーサー」

 「君だよ君。また女の子誑かして、罪な男だ。あの子、ハニーベール家の妹さんなんだからここまで大事にされていたのに、君が初めてじゃあもう満足できなくなるだろうね。僕にもそのテクニックを教えて欲しいよ」

 戻ってきたリチャードをアーサーはニヤニヤしながら迎える。

 超えるべき壁を変えたとはいえ、元来の性格まで変わることはなかった。

もともとサボったり遊んだりすることが大好きなアーサーはリチャードが令嬢と踊り、落とすたびにこのようにからかっていた。

 「私は貴族として彼女を迎えたにすぎないよ。いずれ綺麗ではない世界を知る。始まりくらい夢を見てもいいだろう」

 卒業した後、令息、令嬢は戦場か政治の場にて戦う日々が始まる。学生時代の今しか楽しむことが出来ない。

 ならばそれを受けられないことはあってはならない。

 「私はそれを与えられる。与えない理由などない」

 ノブレスオブリージュ。

 貴族の義務と責任であるそれを、王族を除けば貴族の中で最も高い地位にいる己は手本として示さなければならない。

 たとえそれが同じ貴族という括りにいようとも、格が下であれば己は上の者として導く必要がある。

 「私は貴族としてそうあるだけだ。何か間違っているか? アーサー」

 それがリチャード・ヴァイデンライヒの信念だった。

 貴族としての義務を体現するその存在は多くの貴族に影響を及ぼしている。

 「いや。いいんじゃない」

 あの日から微塵も変わらないその輝き。それを受け入れる者もいれば、疎む者もいる。しかし疎ましいと感じ排除に動いたとしても彼なら全てを圧倒する。結果として残っているのは受け入れた者。

 アーサーは、未だ後者として存在していた。

 「にしても、どこであんな誘い方覚えたの? 答え聞く前に連れて行くなんて君じゃなきゃただの誘拐犯になっていたよ」

 しかしそれはそれ、これはこれ。

 アーサーの関心は先ほどのリチャードの口説きについて移っていた。

 「女の子の口説き方、君がブームを作ってるんだから。僕もそれに乗りたい」

 リチャードだからこそ許される誘い。おそらく己がやったとしてもそれは権力によるもので、純粋な関係を築くのは難しいだろう。彼との地位はさほど変わらないというのにこの差は大きい。王の血を持つものとして気になることだった。決して王宮にいるメイドにやろうとかそんな邪な考えはない。

 「流行りの劇団からだ。ゾーイも喜んでいたからな。最近の令嬢にはあれくらいした方が喜ばれる」

 「多分それが許されるのはほんの一部だけだね」

 リチャードは許される側だったのだろう。

 婚約者のいない令嬢と強引に踊るなど、大公爵家であり学院で最も優れている男だからこそ。

 「どんな内容だったの?」

 「義賊の男が望まぬ婚約をした令嬢に恋をしその令嬢を救うために暗躍する、というものだったよ」

 劇のクライマックス。義賊の男が令嬢の部屋に忍び込み、答えを聞く前に唇を奪いそのまま二人は月下で踊る。

 隣ではしゃぐ妹の反応と後に聞いた感想からリチャードはそれを一部再現した。

 「義賊、ねえ。まるで狙ったようじゃないか」

 「セイリオスか?」

 「うんそれ」

 劇団が流行っている理由は内容が多くの女性に受けたことに加えて、最近になってエデフィスにて出没する義賊の存在もあった。

 困っている市民に対してどこからともなく現れ必要とするものを用意したり、或いは一緒に問題を解決したり。お手伝い屋のような存在だった。

 しかしそれだけで有名にはならない。何でも屋など街に幾らでも存在するのだから。

 その義賊が最も行っている活動こそその名が貴族に知られるまで広がった原因である。

 それは市民に対して権力を使い好き勝手する貴族に対して罰を下すこと。最も近い出来事だと誘いを断った娘に対して私刑を行った貴族が罰せられていた。

 「凄いよねえ。やられたことをやり返す、それがすべて成功しているんだから」

 義賊が行う裁きはたった一つ。

 同じことをやり返すのだ。

腹を裂かれて殺されていれば、腹を裂いて殺す。首が落とされていれば、首を落とす。拷問の上に死んだのであれば、拷問によって殺している。

 その怒りに触れたら火傷では済まない。

 貴族からは噛みついてくる厄介者として、市民からは太陽の如き輝きをもたらす希望の存在として『セイリオス』と呼ばれていた。

 「まるでどこかの誰かさんみたいだね」

 横に座る男に目を向けるアーサー。この男の強さと信念を知るからこそ義賊をやっていても何の違和感もない。

 「私は好ましく思うよ。己の力をより良いと考える方向へ使う。それがあっているかどうかは別としても、力を腐らせていない」

 「僕にはいまいちわからないけどねぇ。まあ君が言うんならそうだろうね」

 そう結論付けるアーサー。

 義賊の件については王宮でも話題となっておりよく聞く話。

 アーサーは直感であるがリチャードとその義賊の行動原理は被っていると考えていた。

 持つ力を考える正しき道に使う。

 今日リチャードに聞き共感もあったことから、ほぼ間違いないだろう。

 「こっちは動かないからさ。何かあったらヴァイデンライヒが動いてちょうだいね」

 ならばこれは王族である己が動いても解決はしない。動くのならば大公爵家であるヴァイデンライヒが動いた方がいい。

 きっとそっちの方が上手くいく。

 「任せたよ。僕は踊ってくるからさ」

 グラスを置き、視線を向ける令嬢の元へと向かうアーサー。

 リチャードはそれを無言で見送った。

 未だ続く舞踏会。

 富を得た貴族のいる世界に、夜が訪れることはない。



§



 「ぶえっくしょぉい!!」

 「ぎゃああああ!!!!!」

 エディフィス城下町。その酒場の一席にて盛大に口に含んでいたものを正面に座る同僚へと発射した少年がいた。

 「あ、すいません」

 「お、おんまええええ!! 口に含んでたもん全部俺の飯にまでかかってるじゃねえか! なんでくしゃみなんてするんだよぉ」

 少年の名前はカゲノブ。この西側では珍しい黒髪黒目の容姿をしている。

 彼は上司であるマークと警備隊の仕事が終わった後、夕飯を食べていた。

 「いやぁ、なんか誰かが俺のこと噂している気がして。つい」

 「お前マジでぶっ飛ばすぞ」

 噂されていた気がするからなどという理由で晩御飯を台無しにされたのだ。

 酒場で飲む程度の収入があるとはいえ笑って許せるほどマークの心は広くなかった。

 因みにカゲノブはマークよりも一回り年下である。

 「大体誰がお前のことを噂するんだよ。お前の顔が広いことは知ってるが、お前を話題に出すほど困ってる奴なんていないだろ」

 「妻に歓楽街のお店の人の話するよりマシだと思います」

 「やめろ思い出させるな」

 酒に酔った勢いであの子は良かったなどと口にした男の家には鬼が降臨していたらしい。

 曰く、地獄ですら生ぬるいと感じるような貴重な体験をしたとのこと。

 「話題に上がるんなら、今流行りのセイリオスだろ」

 替えの注文を待つ間、男は巷で話題の話をする。

 少年の眉が少しだけ動いたが、マークはそれに気が付くことなく続ける。

 「その刃は正義のために振るわれる。銀に輝く白刃の前にはたとえ王であろうと逆らえない。強きを挫き、弱気を救う。太陽の如き輝きを齎す希望の星。その名はセイリオス。くぅ。かっこいいねえ」

 「マークさんは強きに従ってますもんね」

 「馬鹿お前。子供産んだ後の女は恐ろしいんだぞマジで」

 そう言いつつもマークは酔うといつも子供を育てている妻に対して感謝を言っている

 素直じゃない男だった。

 「しかしセイリオスもどこまで行くのかね。未だ捕まっていないのは実は正体が貴族だからって話もあるくらいだし」

 「どーなんでしょうかね」

 「なんだ、興味ないのか? 俺がカゲノブくらいの年頃だったら絶対真似してたぞ。んで痛い目見る」

 「オチまで完璧にわかってるのにやるんですね……」

 「やっぱかっこいいもんはかっこいいだろ。全身を隠す黒衣に銀の刃とか堪んねえよ」

 「そ、そうなんですか」

 「おう。他にもまだまだあるぞ。セイリオスの使う武器には実は――」

 注文が届いた後もマークのセイリオス解説は続いた。

 熱の入ったその解説により帰宅が遅くなり、妻に怒られるとビクビクしながら帰ったのは余談である。

 なお次の月のお小遣いが少しだけ減ったらしい。



§



 今宵は月明かりが綺麗だ。

 吸い込まれるような黒空に女神の零した涙の如き美しくもどこか儚い輝きを放つ星々。

 真ん丸の月が放つ魅力は人に光という安心と同時にその輝きによって未だ人が知らぬ空という大きな未知を隠していた。

 人は夢に潜る。その未知に魅了されないように。

 人は灯りに囲まれる。その未知から目を逸らす様に。

 「よく笑う娘だった」

 一人、異端がいた。

 全身に黒衣を纏い影を駆ける。

 「泣いているよりも笑っている方が幸せだからと。弱さを見せず、皆を励ましていた」

 一本の刀を持っていた。刃を収める鞘は、真白。黒衣を纏っていることも相まってそれはひときわ美しく見える。

 「死ぬべき人では、無かった」

 ある貴族の住む家の屋根で止まった。

 「人が人を裁けぬならば、今宵俺は修羅となろう」

 貴族は先日、一人の町娘を犯していた。名前はベレッタといった。

 今日と同じように満月の夜。ベレッタを連れ去り、一通りの行為に満足した後、殺した。夜盗の仕業に見せかけるために。

 勿論、治安を守る警備隊によって事件はそれはすぐに夜盗ではなく貴族の仕業だと判明した。しかし警備隊はほとんどが市民で構成されている。貴族との身分差が事件の真相を明るみにすることを許さなかった。

 人(市民)では人(貴族)を裁けぬ。

 故に復讐を誓う家族は一人の修羅へと希った。

 「地獄に堕ちるがいい」

 銀刃が煌く。

 黒衣の男は寝室で寝る貴族を殺した。

 後はここを離れるだけ。刃を収めた黒衣の男は、再び闇夜に紛れようとして――


 「見事だ」


 灯りの消えた街路。その中心で月明かりに照らされた一人の男が立っていた。

 金装飾の仮面を付けており顔は分からないが、その立ち姿一つとってもすべてを圧倒する覇者の風格がある。

 経験が危険な存在だと告げていた。

 「修羅、だったな。東に伝わる鬼神の一柱。自称したというよりは暗示か?」

 「…………」

 「何処へ行く?」

 逃げる黒衣の男を阻む仮面の男。

 (ここで、捕まるわけにはいかない)

 懐から笛を取り出し、それを吹く。

 貴族街に独特の音が響く。

 「警備隊か」

 緊急時に使用するためにと警備隊に支給されたそれは、この貴族が住む貴族街では特に効果を発揮する。

 セイリオスの存在が出始めてからは現場へ駆けつけることが遅れると警備隊の人間の命も危うくなるのだ。

 勿論、そういった理由を除いたとしてもこの貴族街にいる警備隊は選抜された精鋭が集まっており、一分もしないうちに集合する。

 黒衣の男は仮面の男が己を止めに来ないと分かると、すぐさま逃走のため影に向かう。

 「ああ、駆けるがいい。今のお前にはそれしかできないだろうからな」

 去る背に仮面の男の声が聞こえたが、それに答える暇などない。

 黒衣の男は、影に消えていった。

 残されたのは仮面を外し笑みを浮かべる男だった。

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