死の匂いは甘く香る

もちづきもちこ

死の匂いは甘く香る

 僕は知っている。最近会えない日が増えたのは、彼女が病院に通っているからだということを。今日みたいなデートの中、時折スマホの画面を見るのは、薬を飲む時間を確認しているからだということを。そして、あの小さなポーチの中には大変強い闘病薬が入っていることを。


 ◆◆◆


「死ぬ間際、人って体から甘い匂いがするんだって」

 ある昼下がりの喫茶店、お茶を楽しむ恋人たち。何でもない日常の1コマに、もしかしたら僕・五十嵐拓実の言葉は異質すぎたのかもしれない。

「いきなりどうしたの」

 向かいの椅子に姿勢よく座る涼子は飲んでいたホットココアのカップをテーブルに置き、首を傾げながら笑った。彼女の後ろにある大きな窓の外では、時々吹く木枯らしに人々が首を縮こませながら足早に通り過ぎていく。

「久しぶりのデートだってのに、とんでもないトピック出してくるじゃん」

「ごめんごめん。この間テレビで見たのを思い出したから。なんか、メイプルシロップに似た匂いがするんだって」

「へえ、なんか不思議。死ぬってマイナスなことだと思ってたけど、臭くないならありかも」

「いやいや、臭くなくてもいきなり嗅いだほうはびっくりだよ」

「それもそっか」

 涼子はふふふとおかしそうに微笑む。伏し目がちに笑う姿を見ていたら前のめり気味になって否定するのが少しバカらしく感じて、椅子に深く腰を下ろし直した。コーヒーはすっかり舌に優しい温度になっている。


「好きな人の匂いも、いい匂いに感じるらしいよ」

 カップから唇を離した彼女が言う。

「へえ」

「『いい匂いだなぁ』って感じる人は、遺伝子の形?がかけ離れてるんだって。で、離れてれば離れてるほど相性がいいんだってさ。つまり、遺伝子レベルで惹かれてるってことみたい」

「ロマンチックだね」

 そう返せば、まるでその答えを待ち望んでいたかのように

「ね!」

と嬉しそうに頷く。こんな些細なことで、まるで自分がした大発見がノーベル賞を受賞したみたいに喜ぶんだな、君は。

「確かにたっくん、いい匂いだもんな〜」

「そう? 汗臭くない?」

 僕は香水どころか柔軟剤の匂いも気を使わない雑な男だ。体臭なんか気にも留めていなかった。

「臭くないよ、むしろ嗅ぐとホッとする」

「え、なんか変態みたい」

「ちょっとひどくない? 人の“愛の言葉”を変態呼ばわりとか」

 頰を膨らませていても全く怖くない彼女がおかしくて、ふはっと吹き出す。僕が笑う姿につられて彼女もクスクス。2人の笑い声と控えめな音量で流れる店内BGMが空中で混ざる。


「私の匂いは?」

「涼子の匂いねぇ……いい匂いだと思うよ」

 内心どきりとしながら、できるだけ自然な口調で答える。

「本当? ちょっと苦し紛れじゃなかった?」

「本当本当。甘くていい匂いする」

「ふうん、ならいいけど〜」

 言葉と反し、彼女はあまり納得していなようだった。スマホを手前に傾けちらりと画面を確認し、涼子はカバンからポーチを取り出す。「ちょっとお手洗い行ってくるね」と、それを右手に持って席を立った。


「本当、甘くていい匂いなんだよなぁ……」

 僕はひとり項垂れた。外では木枯らしが一層強く吹いている。

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