アンサンブル
川野りこ
【君のうた】番外編
hanaの音をはじめて聴いた時……。
これがmiyaの探し求めていた歌姫だと思った。
僕だけじゃない。
akiもhiroも、高校生になったばかりの十五歳の少女の歌声に震えたんだ。
大きなステージで五人でライブをする。
そんな未来が見えた気がした。
これはwater(s)になる前の話。
僕がまだhanaと同じ十五歳で、クラシックの世界にいた頃の話だ。
僕の父は有名なヴァイオリニスト、ソリストだ。
演奏旅行とやらで、年間の半数以上を海外で過ごしている。
だから、親が家にいる方が稀だったけど淋しくはなかった。
音楽好きの祖父母が側にいてくれたから。
ーーただ…父と比べられる度……。
何度、ヴァイオリンを辞めようと思ったか分からない。
「
「
「ヴァイオリンのテストも一位だったよね」
「さすが
「青山先生、またオケと共演するんでしょ?!」
うるさい。
うるさい。
……耳障りな音ばかりで嫌になる。
「……ありがとう」
圭介は思いとは裏腹に、和やかに微笑んで人当たり良く応えていた。
彼は練習室へ入ると、楽譜を思いきり床に叩きつけていた。
「はぁー……」
思わず大きな溜息を吐くと、楽譜に八つ当たりした事に後悔があるのか、すぐに譜面台へと楽譜を整えて置いている。
こんな時は……譜面に囚われる事なく弾きたい。
圭介は楽譜を開く事なく、即興で曲を弾いていく。その音色は彼の外見とは異なり、力強さが印象に残る曲だった。
彼は集中して弾いていたのだろう。気づくと日が暮れている時間となっていた。
帰ったら、また練習しないとな……。
圭介の手は、ヴァイオリンを弾く指先をしていた。長年弾いている為、弾く度に出来ていたタコは、すっかりと硬くなっている。
彼は軽く背伸びをすると、ヴァイオリンをケースにしまい自宅へ帰るつもりだったが、携帯電話の着信に気づき、電話を折り返した。
『ケイ、やっと出たー! これからアキと飯行くんだけど、ケイも来れるか?』
「……行く」
『じゃあ、この間の喫茶店で待ってるからな』
「うん、分かった」
彼は先程までとは違い、晴れやかな気分で友人の待つ喫茶店へ向かうのだった。
「ケイ、お疲れ」
「お疲れー」
「アキ、ヒロ、お疲れさま」
圭介は二人の待つ、店内奥の六人掛けの席に腰を下ろした。テーブルには飲み物が二つ並んでいる。
「待ってくれたのか? 悪いな」
「いいって、俺らのがここ近いし。とりあえず頼もう」
「だなー。ケイは何にする? ナポリタン?」
三人はこの喫茶店でよく集まっているのだろう。メニュー表を見る事なく、注文を決めていく。
「うん、ナポリタンにする。アキはオムライス?」
「あぁー、そんでハンバーグトッピングで」
マスターに注文を済ませると、コンクールで使う楽譜を広げていた。三人は楽器が違う為、それぞれ違う楽譜が並んでいる。
注文したメニューがテーブルに並ぶと、楽譜をそれぞれ鞄に入れ、学校生活の話となった。
彼の通う
各教室にグランドピアノがあり、隣接した付属大学と講堂や体育館等は共有している。
音楽を続けていくには適した学校だが、一学年の定員は四十名と狭き門の為、明宏と大翔の二人は受験したものの不合格だったのだ。
コンクールで入賞した事のある二人でさえも入学するのが厳しい高校に通う圭介は、まさにエリートだ。
青山家は音楽一家であり、彼自身も物心着く頃からヴァイオリンを習っていた。
音楽は好きだし、別にどうってわけじゃないけど……。
学校は耳障りな音ばかり聴こえてきて、嫌になる時がある。
だから…アキとヒロに声をかけられた時、嬉しかったんだ……。
純粋に音を褒めてくれた事に。
圭介は居心地の良い空間に気が緩んでいたのだろう。学校とは違い、嘘のない表情を浮かべている。
「ヒロは吹奏楽部どうなんだ? 金賞常連校って、聞いたけど」
「まぁーな。練習は厳しい所もあるけど、オケ好きだからいいんだけどさ」
「ん、けど?」
「ケイのヴァイオリンとアキのチェロが在れば、もう少しやる気が出るんだけどな」
「チェロだけ入部しても微妙だろ? 吹奏楽部はその名の通り管楽器だけが多いし。それに俺は、レッスンつけて貰ってるからいいんだよ」
きっぱりと告げるアキに、ヒロが抗議したくなるのも分かる気がする……。
彼らに合うまで、他の楽器のコンクールを見た事もなかった圭介は、自分の無知を思い知っていた。
明宏のチェロ、大翔のサクソフォンは、彼にそう思わせるほど、惹かれるものがあったのだ。
コンクールにおいては、楽譜通り弾くことは絶対条件であり、順位がすべてだが、順位に関係なく惹かれるものがあるとすれば、それがプロの演奏家に必要な個性なのかもしれない。
三人はお皿を空にすると、再び楽譜を広げている。今度はコンクール用ではなく、彼らで合作したものだ。喫茶店内にはアップライトピアノがあり、時折彼らは演奏させて貰っていた。
「マスター、ピアノ借ります」
「どうぞー、今日はケイくんがピアノかい?」
「はい」
習っている楽器は違うが、三人ともピアノは人並みに弾ける為、日により弾く人を変えていた。無論ピアノを弾かない日もあった。
圭介がピアノの前に腰掛けると、その側の椅子にチェロを持った明宏が腰掛け、二人と視線の合う位置に立つ大翔は、サクソフォンを首から下げて構えている。
圭介の合図で三人のハーモニーが店内に響く。その音色は鮮やかで、夏の暑さも忘れそうな爽やかな演奏だった。
マスターは、今年の新緑の季節から店へ通い始めた高校生の演奏家を見守っていた。元調律師でもあるマスターの耳が聴いても、彼らの放つ音はまだ若くも心地よい、青い春の匂いを感じさせるような音色だったのだ。
店内では音楽好きの常連客が拍手をしていた。壮大な拍手喝采ではないが、彼らにとっては人前で演奏出来る良い機会であり、音を発信出来る数少ない場所でもあったのだ。
圭介は彼らの放つ音色の輝きに包まれていた。
「マスターの店で弾いてる時が楽しいなー」
「確かにな。オケも良いんだけど、好きな曲を毎回弾けないしな」
明宏の言葉に大翔が頷いて応えると、圭介も二人に同意していた。
「ーーもっと三人で弾きたいな……」
思わず溢れた圭介の言葉に二人は顔を見合わせると、彼の肩に腕を乗せていた。
「ケイー!」
「週一くらいでアンサンブル、本格的に続けてかないか?」
「ヒロ、それいいじゃん!」
二人の言葉に圭介が断る理由はなかった。
「勿論!」
彼らは自宅に帰ると、それぞれの場所で練習をすぐに始めていた。
その音色は、ジャズの要素が散りばめられた三人で作った曲だった。
「はぁー……」
「ケイ、ため息多くないか?」
「そうか? ちょっとね……」
「この間も優勝してたのに、何があったんだよ?」
「いや……」
僕の弾くヴァイオリンは自己主張が激しい人が多い。
専攻楽器で占いが出来そうなくらいだ。
僕もそれに含まれるんだけど……。
正直、面倒くさい。
他人に言ったって、半分も伝わらないからクラスメイトにも、親にすら言った事ないけど……。
「ーー親が演奏旅行について来ないかって……」
「ケイの親って、ヴァイオリニストの
「そう……。久々に日本に帰って来たと思ったら、勝手な人達だよ」
圭介の口にする言葉には、時折憤りが混じっているようだ。
自分の好きな事を仕事にする親を尊敬はしているが、干渉はされたくないのだ。
「夏休みの一週間くらい、付き合ってやったら?」
「うーん…考えとく」
「あっ、これ行く気ないやつだなー」
「ケイ、分かりやすいな」
「ヒロには言われたくないよ!」
「えーっ」
彼らは顔を見合わせると、笑みが溢れている。圭介も自然と笑えていたようだ。
行きたくない理由は分かってる。
今までなら、聴くのも勉強になるから、何でも手当たり次第触れるようにしてたけど……。
質の悪いモノをいくら聴き込んでも、そこからは何も生まれないって学んだ。
父さんの共演者は、一流と呼ばれる人達ばかりだ。
聴いて損はない。
分かってる……。
僕は、彼らと音楽を
だから、昨夜の父さんの言葉が許せなかったんだ。
圭介は親とのやり取りを思い返していた。
「ケイ、お父さんの演奏旅行について来ない?」
「なんで?」
「なんでって…去年までは、夏休みの度について来てたでしょ?」
「僕は残るから、母さんだけついて行ってよ」
「圭介、予定があるのか?」
「……うん。アンサンブル演ってて」
「……どこかに所属したのか?」
「えっ? 違うよ。友達と演ってるんだ」
「へぇー、ケイの友達ねー。今度、連れて来てよ」
母は何やら嬉しそうに、ご飯を食べている。
穏やかな雰囲気で、家族団欒の夕食を終えるはずだった。父の言葉を聞くまでは。
「本気なのか?」
「えっ?」
「アンサンブルって、誰と組んでるんだ?」
「同い年の子だよ」
「……クラスの子か?」
「ううん、武蔵野の子」
次々と質問をしてくる父に、視線を逸らしたまま圭介は応えていた。
「圭介…遊びなら、やめておきなさい」
「なっ!」
「クラシックの世界でやっていくつもりなら、遊んでる場合じゃないだろ?」
「……っ、ごちそうさまでした!」
圭介は勢いよくテーブルを立つと、自室の扉を思いきり叩きつけるように閉めるのだった。
二度と父さんの顔なんて見たくない!
って、家に帰らない訳にはいかないけど……。
どうせ六日後には、演奏旅行に行くんだから、それまで無視して過ごすしかない。
あの後、母さんがフォローしてたけど、正直よく覚えてないんだよな……。
「ケイ、次は作った曲演らないか?」
「うん!」
圭介は二人と視線を合わせると、迷う事なく弾いていた。自分たちで作った曲に自信があったのだ。彼は、しなやかな柔らかさのある温かな音色を響かせていた。その音に、明宏と大翔の二人は微かに笑みを浮かべている。
圭介はコンクールで優勝する程の実力があり、音楽と真摯に向き合っていた。彼の音は、聴く者を魅了させる力を秘めていたのだ。
ーー楽しい……。
遊びなんかじゃない。
このアンサンブルは、僕が初めて続けたいと思った場所なんだ……。
三人での演奏は、絶妙なハーモニーを生み出していた。譜面通り弾き終わると、彼らはハイタッチを交わしているのだった。
圭介は自室にこもって一人、練習をしていた。一日たりともヴァイオリンに触れない日はないが、父と言い合いをした為、リビングに居たくないのだ。
とはいえ、修人は有名なヴァイオリン奏者だ。
音楽を、特にヴァイオリニストを志す者なら、知らない者はいない。
その為、日本に戻ってからも忙しく活動していた。今日も朝から何処かに出かけたようだ。
「ーー…よし……」
先程までクラシックを弾いていた彼の手元には、手書きの楽譜が置かれている。彼は時折、指で弦をはじきながら弾いていた。滑らかに指が動いていく。彼は手元も譜面も殆ど見ていない。体が動きを覚えているようだ。彼は目を閉じると、二人の音を想い浮かべながら、奏でているのだった。
「ケイ、いつもと違ってたな」
「あぁー。親の事で、また色々言われたのかもなー」
「確かに。青山修人は、クラシック界で有名だからな」
「そうだな。でも、俺はケイの音が好きだけどな」
「それは俺もだよ! 悔しいくらい、いい音を出すからな」
「あぁー……」
明宏と大翔は、喫茶店に集まっていた。今日は土曜の為、大翔の部活が休みなのだ。
「ケイと早く演りたいなー」
「だなー」
二人は、圭介に声をかけた日の事を想い出していた。
入学早々意気投合した彼らは、同年代の奏者を見に様々なコンクールに出場し、また見学もしていたのだ。
彼ら自身もコンクール入賞を果たす事は今までに何度もあったが、物足りなさを感じていたのだ。
譜面通りに並ぶ音の羅列に。
「この間の、ケイの音…よかったな……」
「あぁー」
二人は同じ音を想い浮かべていた。
彼の弦の音だけは、他とは違って聴こえていたのだ。
繊細な中にある力強さ。
しなやかな柔らかさに、温かみのある音色。
同世代は、まるで相手にならないのだろう。
青山修人の「天才の息子」と、呼ばれるだけあった。
本人はそう呼ばれる事を嫌っている為、圭介自身に彼らも告げた事はないが、実力が抜きん出ていたのだ。
「それにしても、面白い奴だよな。見た目は王子っぽいのに、中身は熱い奴だし」
「ん? アキに言われたくないと思うぞ?」
「ヒロにだけは言われなくないなー」
「おい!」
音楽に対しての熱量は三人とも強いのだ。
「おっ、来た!」
「悪い…遅くなった」
「お疲れー」
「お疲れさま」
三人が揃うと、いつもの喫茶店をアンサンブルの音色で包んでいた。この数ヶ月で常連となった若き音楽家達に、マスターも常連客も温かな拍手を送っているのだった。
「何処で練習する?」
「せっかくみんな夏休みだから、明日は一日練習したいよなー」
「そうだな……。僕の家で演る?」
「ケイ、いいのか?!」
「う、うん。二人がよければ」
「行く!」
圭介の提案に喜ぶ、二人がいるのだった。
ーー何で…今日に限って父さんがいるんだよ?!
彼からは、また大きな溜め息が漏れそうになっている。
「……父さん、ピアノの部屋使うから、入って来ないでね」
「あ、あぁー……」
何とも気まずい空気が親子の間に流れている。二人は、あの日以来まともな会話をしていなかったのだ。
話しかけられた修人も戸惑っているようだ。話したくないと思っていた彼は、珍しく家にいる父を無視し続ける事は出来ず、話しかけていたのだ。
そんな気まずい空気の流れていた午後、待ちかねていた二人が青山家にやって来た。
「お邪魔します」
「ケイの家、広いなー」
「二人とも、いらっしゃい」
いつもと変わらずしっかり者の明宏と興味津々な様子の大翔、二人の変わらない様子に、圭介から自然と笑みが溢れている。
「あっ、ケイ。これ、差し入れ」
「ありがとう。奥の部屋、先に行ってて?」
「はーい」
「了解」
リビングにいた修人のオーラに気圧されそうになりながらも、二人は会釈をし、揃って挨拶をしていた。
「こんにちは」
「……こんにちは」
まだ四十代の修人は見た目よりも若く見える。息子の友人に微笑んでいる表情は、圭介に似ていたのだろう。明宏と大翔は顔を見合わせると、友人に向ける笑顔を見せているのだった。
「ケイのお父さん、やっぱり若いな」
「そうか? 若作りなだけだよ。ヒロはお姉さんがいるんだっけ?」
「うん、三個上だから大学生だな。アキは、弟だよな?」
「あぁー。今、小五だな」
彼らは話しながらも、演奏の準備をしていく。
広い防音設備の整った部屋の中央奥には、グランドピアノが置かれていた。三人は、ピアノの前に椅子を並べると、それぞれ持ってきた楽器をケースから取り出している。譜面台に手書きの楽譜を置くと、準備は整ったようだ。
「とりあえず通しでやるか?」
「そうだな」
「あぁー」
半円状に並べた椅子に座った彼らは、中央に座る明宏のチェロに合わせ、弾き始めた。普段、クラシックを演奏する彼らのアンサンブルは、描いた楽譜に忠実だが、時折態と早弾きしたり、音を弾ませたりと、弾き方を変えていた。ジャズの独特のリズムを刻んでいるようだった。
楽しい……。
今までクラシックしか弾きてこなかったのを後悔した事もあるけど……。
知らないなら、これから知っていけばいい。
二人と合わせている時の圭介は、いつも楽しそうにヴァイオリンと向き合っていたのだ。
「集中したなー」
「お茶にするか?」
「賛成!」
三時間程、続けて演奏していたようだ。
彼らが部屋を出ると、修人は出かけたのだろう。リビングには誰もいなかった。
「座ってて。プリン、持ってくるから」
「サンキュー」
「ありがとう」
大翔と明宏がキッチンからダイニングテーブルに視線を移すと、白い封筒が置いてあった。
「ケイ、テーブルに封筒あるぞ?」
「封筒?」
圭介は二人の差し入れたプリンと紅茶をテーブルに置くと、白い封筒を開けていた。圭介宛になっていたのだ。中には、今日の夜に行われるコンサートのチケットが三枚入っていた。
ーーそういえば…クラスメイトがオケと共演とか言ってたっけ……。
「ケイ、どうかしたのか?」
「急用?」
「いや……。二人とも、これから時間あるか?」
楽器ケースを持ったまま、彼らはコンサートホールを訪れていた。大々的にオーケストラと青山修人の写真が載ったポスターが、ホール前の柱に貼られている。
封筒には、今夜の彼のチケットが入っていたのだ。
ーー僕だけだったら、行かなかったけど……。
明宏と大翔が素直に喜んでくれたから、ここに来れたんだ……。
修人は息子の性格を分かっていたのだろう。
ただ三枚のチケットを用意したのは、それだけではなく、聴いてほしいと思ったからだ。音楽と真摯に向き合う彼らに。
すぐに開演のブザー音がなり、オーケストラの壮大な音色が響いていく。圭介は久しぶりに聴く生の音に、瞳を輝かせていた。それは彼だけではなく、明宏も大翔も同じだった。時折、強さも感じさせるような温かな音色が、観客を魅了していたのだ。
彼の弦の音が会場を包み込んでいた。
「ーーすご……」
久しぶりに間近で聴く父の音色に、彼は素直に溢していた。
ーーすごい……。
オケに負けてない……。
何て言えばいいんだろう…違う景色を見たみたいだ……。
スタンディングオベーションが起こり、最大限の賛辞が舞台へ注がれる中、彼は動かずにいた。
「……ケイ?」
拍手をする明宏と大翔が、座ったままの圭介に視線を移すと、彼の瞳は微かに濡れているようだ。
「ケイ! 俺たちの夢だな!」
恥ずかし気もなく告げる大翔に、圭介と明宏は顔を見合わせると、迷いなく応えているのだった。
「あぁー」
「いつか……」
いつか、こんな広い舞台で演奏出来るような自分で在りたい。
ただ漠然とした奏者としてだけでなく、彼のような一流と呼ばれる人と演奏したい。
彼らの目標が定まった日となった。
修人と視線が合うと、彼は大人気なく自慢気な表情を浮かべている。それは、「俺のいる世界はここだ」と、圭介に告げているようだった。
一人で父の楽屋を訪れていた圭介は、彼の目をまっすぐに見つめていた。
「ーー父さん…かっこよかった……」
「……ありがとう」
声が小さくなりながらも素直に告げる彼の言葉に、修人は頬を緩ませ、息子の頭を撫でていた。
「ーー演奏旅行には行かない……。明宏と大翔と音楽をやりたいから」
はっきりとした口調で応えた彼に、修人は自分の学生の頃を想い出していたようだ。
「あぁー、好きにしなさい」
「うん」
ーー敵わない……。
幼い頃から目標だった父さん。
今なら分かる……。
『…遊びなら、やめておきなさい』
あれは僕に向けた言葉だったんだ。
ーーコンクールで優勝しても、俺じゃなく…周囲は青山修人の息子とだけ見ていた……。
分かってる。
父さんの真似をしていた僕は、そう言われても仕方なかったんだ。
『自分の音とよく向き合ってみて?』
母さんが、フォローするように言っていた意味が分かった。
……これから…どうするかは、自分次第。
僕の父は有名なヴァイオリニストだ。
それは変わらない。
いつか……青山圭介の父って、言わせてみせる。
迷っても捨てられなかったのは、音楽が、ヴァイオリンが、好きだったからだ。
彼の気持ちの捉え方次第で、見れる景色は変わるのだ。
十五歳の彼らにとって、舞台に立つ奏者は憧れの存在だった。
拍手喝采を浴びる彼らは、スポットライトの光だけではなく、その人自身が光りを放ち、輝いているように映っていたのだ。
この日から、手探りだけど色んな事に挑戦するようになった。
躊躇する要素は何処にもなかったんだ。
これは十五歳の僕が、クラシックの世界から駆け出した話だ。
「kei、お疲れー」
「お疲れ」
「……お疲れさま」
圭介の側には、あの頃と変わらずに明宏と大翔がいた。これから大学内の練習室で、音合わせを行うのだ。
「二人が来るの楽しみだな」
「あぁー」
「早く演りたいな」
そう言った彼らは、あの日に誓った夢を現実にする為に、今も音楽と真摯に向き合っていた。
重い扉が開くと、待ちかねていた少年と少女が姿を見せるのだった。
「
アンサンブル 川野りこ @riko_kawano
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