§1-12 配当騒動(後編)
「ラ、ライナス様。あの、ちょっと……」
午後、宿に帰ってきたところで、マレーがおそるおそる声をかけてきた。なんだか腰が引けていて、これから悪事を告白しようとしている少年のようだ。
「どうしました?」
「あの、これどうすればいいですか?」
と、肩に背負っていた袋をどさりと下ろす。見れば、そこには大量の金貨が入っていた。
サングインの言っていた『ボンの尻馬に乗った』結果のようだ。
「なるほど。それで、いくら賭けたんです?」
ライナスは内心苦笑いしながら、それをおくびにも出さずにマレーに尋ねた。
「ライナス様が100倍くらいだって仰ってたから、調子に乗っちゃって……持ってきていた銀貨を3枚、です」
配当は5412万クラウド。金貨だけでおおよそ6.5
白金貨なら5枚ですむのだが、商会同士の取引、いわゆるB2B以外の場合、大抵は金貨で支払われる。一千万円札を貰っても使える場所がほとんど無いからだ。
「これ、やっぱりお返しした方が? そりゃ、ちょっとくらいはいただきたいですけど」
「マレーが自分のお金を自分で賭けたんですから、とっておけばいいんじゃないですか? お金はあっても困らないでしょう?」
「で、でも……なんというか、まさかこんなことになるなんて」
「持ち慣れないお金を持つのが心配なら、必要になるまでうちで預かっておいてあげましょうか?」
「お、お願いします! なんかもう泣きそうなんで! 俺はおみやげ用にちょっとだけあれば良いんで!!」
そういって、袋から金貨1枚と銀貨2枚を取り出すと、残りを全部ライナスに押しつけて、速攻で逃げていった。
「って、ここで渡されても、困るんですけど……」
12歳の体に6.5
宿の廊下で途方に暮れていると、今度は姉様たちの部屋の前で、侍女のハルシオネが泣きながらアリエラ姉様に何かを訴えていた。
貴族にあるまじき状況だが、使用人との距離が近いリネア家内部ではそれほど珍しくも――いや、やっぱり珍しいな。
「どうしたんです?」
「あ、ライナス! やっと戻ってきた。あなたのせいですからね」
「ええ?!」
いきなり自分のせいにされたライナスが、驚いて話を聞いてみると、タルカスを応援しようと、アリエラがタルカスへの賭けをハルシオネに頼んだのだそうだ。
主家の長女のあまりに自信満々な様子を見て、どうやら彼女も尻馬に乗ったらしい。うちの侍従はみんな目敏いなぁ、などとライナスは内心感心していた。
「それならどうして泣いているんです? タルカスはちゃんと勝ちましたけど」
「それがよくわからないんだけど、多すぎますとか叱られますとか……」
「多すぎます? って、ハルシオネ、一体いくら賭けたんです?」
「あの、銀貨1枚です……」
それを聞いてアリエラは、なんだ、といった顔をした。
「それなら、ライナスが思うとおりになっていたとしても100万クラウドくらいでしょう? 確かに大金ですが、それくらいなら手当だと思えば――」
「姉様」
ライナスは、またかとため息をつきながら姉の言葉を遮った。
「え? なに?」
「姉様は、いくら賭けられたんですか?」
アリエラは突然照れたように顔を染めて、胸の上で左右の人差し指をあわせてもじもじし始めた。
「えーっと、ほら、タルカスと結婚するとしたら入り用でしょ? だからこっそり貯めていた金貨を10枚ほど……式だってあるし、彼、あんまりお金はないはずだから、持参金も入れて1億クラウドくらいあればなーって」
(姉様ったら、ちゃっかりしていますね。この分だと母様も何かしでかしていないか心配です。父様は……絶対何にもしていないと断言できますけど)
「姉様、良いことを教えて差し上げましょう」
「なに?」
「姉様への配当は、大体18億クラウドになります。金貨1万8000枚ですね」
「……はい?」
その言葉を聞いたアリエラは、一瞬呆けたような顔になった。
「どこかのバカな貴族が欲をかいたせいで、タルカスのオッズは、最終的に1804倍になりました。今や世紀の番狂わせなどと話題になっているようですよ」
「えええ?!」
「だから、ハルシオネの配当も、1804万クラウドなのです」
「そうなんです! 金貨で10枚くらいだったら、こっそり持ち帰ってもばれないかなと思って受け取りに行ったら大変な量の金貨で、もうどうしていいか……仕事中についでに買ったなんて知られたら、絶対マレーネ様に怒られます!」
マレーネは今回連れてきている二人の侍女の片方で、リネア家の侍女長だ。母様の実家から母様と一緒にリネア家に来た、筋金入りの母様命な人だった。
上品で優しげなおばさまだが、怒ると母様でも頭が上がらない。
「これは早急に、なんとかしなければなりませんね」
ライナスがそう呟いたとき、アリエラが廊下の奥を見て嬉しそうに声を上げた。
「タルカス!」
が、すぐに、一緒にふたりの女の子がいるのを見て、気温が氷点下に下がっていく。
「あ、アリエラ様」
「……タルカス、その年端もいかない少女達は何? まさか、あなた、そういう趣味が……」
「は?……って、違います! 違いますから!!」
慌てたタルカスはアリエラに必死に説明していた。
その姿は、サンボアと闘っていたときよりもずっと真剣だった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
その日の夕食後、アンブローズとエトワが泊まっている少し広い部屋に、全員が集まったところで、アンブローズが切り出した。
「皆に集まって貰ったのは他でもない。今回のタルカスの騒動で、思っていた以上の事がおこったとライナスから聞いた」
アンブローズが使用人を見回すと、みな真剣な顔をしていた。
「本来ならちょっとした役得ですむような話なのだが、額が額で、皆それぞれ困っているようだという話を聞いて、一応話し合っておこうと思ってね」
アンブローズの話が一区切りしたところで、サングインが手を挙げた。
「そのことですが、皆で話し合ったんですがね。うちには従士が8人と使用人が8人しかいないでしょう?」
「人手不足で申し訳ない」
「いや、それは仕方ありませんやね。ま、そういうわけで大した人数もいないわけですから、今回の余録は均等にみんなで割ろうってことになったんでさ」
使用人達がそろってこくこくと頷いた。
「賭けたお金に差があるのではありませんか?」
「そんなの誤差みたいなもんでしょう」
「まあ、みなさんがそれでいいのでしたら。どうですか父様?」
「もともとそのお金は皆のものだろう? 皆で納得したのならそれで構わない。ではこの話はこれで」
「いや、待って下さい。それでも結構な額になるんで、一旦アンブローズ様に預かって欲しいんです」
「預かる?」
「丁度、この1期の間、タルカスの訓練を優先するのに皆でフォローしていた訳ですから、タルカスが勝ったことへの報償ってことでどうですかね?」
「……全部でいくらになるんだ?」
賭けられていたお金は、サングインが金貨1枚、テニーが銀貨2枚、マレーが銀貨3枚、ハルシオネが銀貨1枚だった。配当は、金貨2886枚と銀貨4枚だ。
アリエラは我関せずと左手の薬指を見ながら微笑んでいる。
実はタルカスも、連れてきたミルカとヨルカを助けるために、自分に銀貨1枚を賭けていたが、思った以上の倍率のおかげで使い道のないお金になってしまった。それで、はたと思い立って、アリエラに指輪を買ってきてプロポーズをしたのだとか。
あまりの素早さに、みんなで呆れたものだが、これはこれで仕方がない。その分は別でいいかと殴られながら祝福されていた。
指輪はミスリル銀製で、魔石を加工したラインが3本刻まれているだけのシンプルな見た目だが、それぞれに中位の魔法までをチャージすることができる、一種の魔道具だった。
チャージされていない部分は黒っぽい色だが、チャージされると属性に応じてルビーやエメラルド、そしてダイヤのように輝くのだ。
本来なら非常に高価なものだが、それを払える層には地味すぎて売れず、必要としている層には高額すぎて売れない悪循環の中、不良在庫と化していたのをタルカスが目に留めた。
アリエラの属性は、火・風・闇で、回復手段がない。この指輪に回復魔法をチャージしておけば――
そう考えたタルカスは、値下がりしていたそれを即決で購入、今はタルカスたっての願いで、ルヴェールが聖属性の、欠損を補うことは無理でも、ちぎれた手足を繋げることくらいはできる中位の中でも最上級の回復魔法を3回チャージしているため、白く輝いていた。
なお、値下がりしていたとはいえ、お値段なんと1800万クラウド。タルカスにとっては思いきったとか言うレベルではなかった。
そんな心遣いにアリエラはすっかり喜んで、今もニマニマと指輪を見ながら満足そうに微笑んでいた。
タルカスが連れてきた二人の姉妹は、お風呂に入って着替えた後、疲れていたのだろう、ぱたりと活動を止めてしまった。今は、アリエラの部屋のベッドで眠っている。
「すると、使用人一人当たり1804万クラウドか。ううむ……こんな大金を一度に貰ったら、使用人をやめてやりたいことを始めてしまうんじゃないか? それはちょっと困るのだが」
「それは大丈夫じゃないですかね。ここにいる俺たちにそんなつもりはないですから。向こうに残ってる奴らも同じでしょう」
またも使用人達がこくこくと頷く。
大金とはいえ、一生遊んで暮らせるかというと難しい。せっかく良い職場に勤めているのに、それを棒に振るということは考えられないようだった。
「そうか? それならいいが。では領に戻ったら、タルカス勝利の報償として皆に渡すこととする」
「ありがとうございます」
「いや、礼を言われてもな。なんだか私達ばかりが得をしているような気がするんだが」
「もともと、ライナス様がいなけりゃ、こんな金は手に入ってないんですから、そこは気にしなくても良いんじゃないですか?」
「わかった。それでは皆ご苦労だった。では解散」
アンブローズがそういうと、皆、憑き物が落ちたようにすがすがしい顔で、自分達の部屋に引き上げていく。
ハルシオネなんて、貰う金額は変わってないのに、すっかり笑顔になっている。自分だけ得をしたという罪悪感から解放されたからだろう。
それにしても――
「サングインが素直に出すとは思いませんでしたね」
「ボン、俺をなんだと思ってるんですか。これでも一応古株ですからね、自分だけいい目をみるなんてことはできませんよ。背中から刺されることを気にしながら戦場に立つのは御免です」
げに恐ろしいのは人の嫉妬ですぜ、と真剣な顔をしながら部屋を出て行った。
皆が退出し、ライナスと両親だけになると、アンブローズが声を掛けた。
「ライナス」
「はい?」
「お前だろう、私たちの冒険者時代の口座に100億クラウドを入金した、アエニル=サニルとかいう謎の人物は」
「お借りした、金貨200枚に利子を付けて返しておいただけですよ。これで僕もちゃんと学院に通えますね」
ニコニコと天使のような笑みを浮かべながら、12歳の息子が100億クラウドを親の口座に入金した話をしているのを見て、アンブローズは、彼が本当に初代の生まれ変わりなのではないだろうかと、親バカをさらに悪化させていた。
「99億8千万クラウドの利息は些か多いようにも思うが?」
「なんと、税引き後のお金ですよ。まあ、いいじゃないですか父様。領地の開発にもお金はかかりますし」
「そこは助かるが……」
小さな村とはいえ土地は肥えている。
治水や新畑の開墾を始めとして、お金さえあれば出来ることも数多くあるのだ。
「それに、デボンヌ伯爵領の免税契約を生かすためのプランにもお金は必要ですから」
「お前のプランは実行すると危険なものが多いからなぁ……それで、たった2千万クラウドの元手で、一体何をしたらこんな金額になるんだ?」
「先日お話ししたとおりのことを実行しただけなんですが、ちょっと演出が効き過ぎたのと、思ったより欲深い方が多くて……最終的な利益が予想の18倍になりました」
それを聞いたアンブローズは、一瞬唖然とすると、目と目の間をもみほぐしながら、疲れたように首を振った。
「ただまあ、そのうちの半分の取り立てはこれからなんですけどね」
「デッカード隊長の頼みの件か?」
「はい」
「あまり無理をして踏み込むな。金よりも正義よりも、命が大切だからな」
「もちろんです」
自分の息子の優秀さに、誇らしい気持ちになっていたアンブローズは、その笑みを見て、また何かをやらかしそうだなと内心頭を抱えていた。
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