§1-11 配当騒動(前編)

「おつかれ、タルカス。なんとかうまくいきましたね」

「ライナス様……一体何がどうなってるんです?」


観客席へ戻ってきたタルカスが、開口一番、混乱した顔でそう言った。


「タルカス。重要なことは伯爵の刺客を倒して姉様を守ったってことですよ」

「それはそうですが……」

「これで目的は果たしましたし、これ以上は意味がないので次の試合は棄権したほうがいいでしょう」

「え?」

「え? って、このまま出場します? 今の試合を見て、リベルトーン様あたりが大変やる気になっていらっしゃると思いますが」


それを聞いてハッと顔を上げたタルカスが、即座に返事をした。


「棄権してきます」

「そうですね、サンボアとの戦いでダメージを負って、これ以上戦うのは無理、って感じでいいでしょう」

「わかりました。あ、ライナス様」

「はい?」

「この後少し約束があるのですが、出てきても良いですか?」

「構いませんよ。タルカスのお仕事はここまでです」

「ありがとうございます」


タルカスはライナスの言葉に頷くと、棄権を伝えるために本部へ向かって駆けだしていった。


「ボン!」


それと入れ替わりにサングインが、顔を見せる。なんだか随分焦っているようだ。


「なにかあったのですか?」

「あったどころの話じゃありませんよ!」


サングインは、どんなに凄惨な戦場でも平気な顔をして渡り歩いてきた、一線級のたたき上げだ。この男が慌てるなど、ただごとではない。


「ボンはタルカス戦の最終オッズをご存じで?」

「最後は2:7の異常オッズだったはずですが、策がうまく嵌っていれば、最後の四半小刻で雪崩が起こっているはずです。最終的に100倍くらいにはなって欲しいところですが……ダメでしたか?」

「ボン、落ち着いて聞いて下さい」


サングインは、そこで溜めて、自分も深呼吸すると、一気に説明した。


「サンボア×タルカスの最終オッズは、1803:1でした」

「……はい?」

「1803:1です」

「ええ?!」


さすがのライナスも驚いた。


「ええとつまり金貨100枚が、180400枚になるわけだから……180億4千万クラウド?!」


リネア領の税収は、年に2億クラウドだ。

リネアにとって、それがいかに桁外れの金額かは言うまでもなかった。


「今すぐ換金したら、商業ギルドで取り付け騒ぎが起こりそうですな」

「それ以前に重すぎて、持って帰れるわけがないでしょう」


しかし想定外の倍率だった。これはつまり、あの最終オッズを見て大金を賭けた者がそれだけ大勢いたということだ。

税と商業ギルドの取り分で2割だから、1804倍になるには……サンボアにはタルカスの2254倍賭けられていたということだ。

タルカスには最低でも金貨100枚が賭けられているから、225億4千万クラウドもサンボアに賭けた奴らがいるということだった。


「そいつら全員バカじゃないですか? 王都に次ぐとはいえ、7万ちょっとしかいない街のイベントなんだから規模感ってものがあるでしょう?」

「どうやら、中央貴族のデボンヌ伯爵がサンボアを参加させるのに動き回ったせいで、北部以外でも注目されていたのが原因のようです。相当な数のチェッカーがいたみたいですぜ、あのホールに」

「げっ、それって北部以外の貴族の懐からも相当毟ったってことですよね。八百長を疑われたりしたら、家ごと抹殺されかねないんじゃ……や、ヤバイじゃないですか! どどど、どうしよう? サングイン」

「どうしようたって、どうしようもありませんぜ。ボンのまっとうな稼ぎなんですから、大人しくポケットに突っ込んでおけばいいじゃないですか」

「入りきらないって!」


思った以上の倍率で慌てているライナスを見て、サングインが腕を組んでニヤニヤしている。


「神算鬼謀たぁ、ボンのためにある言葉かと思っていましたが、その様子を見て、ちょっと安心しましたぜ」

「そうだ! みんなにボーナスとか」


何の解決にもならないことを言い出すライナスを、サングインは、珍しいものを見るような目で見ていた。


「そりゃあれば嬉しいですが、あいつ等みんなボンの尻馬に乗ってましたから」


どうやら、従士の3人は持ってきていた小遣いを全部タルカスの勝ちに賭けたようだった。


「所詮は小遣いですから、まあ、銀貨の1~2枚だと思いますが、それでも結構な小金持ちですな」


銀貨を1枚賭けていれば、1804万クラウドになる。一生遊んで暮らすのは無理だとしても、結構な大金だ。

それを聞いて我に返ったライナスが、ちょっと困った顔をした。


「うーん、それちょっと拙くないですか? 今回お付きで来た人と来てない人で差ができすぎるような……まあ、今はいいか。もしかしてサングインも?」

「へへへ、まあそれなりに」

「お金持ちになっても、仕事はさぼらないように」

「それはもちろんでさぁ」


どんなにあっても、使えば金は無くなりますからね、と、サングインはうそぶいた。

流石は遊び人の誉れも高いサングイン。どんだけ使うつもりなんだ、こいつはと、ライナスは少し呆れていた。


「それとボン。ノミの方ですが、1回戦に賭けられたカネは金貨67枚です。金貨5枚を越えると受けられないってところが多くて」

「まあ、それは仕方ありませんが……って、1回戦のオッズって何倍だったんです?」


サングインがにやりと笑った。


「33枚は公式でタルカスの相手に突っ込みましたからね。最後は4.8倍でした。それを全部2回戦のタルカスに賭けさせた連中は、きっと今頃パニックでしょうぜ」


つまり、ノミ屋はサンボア×タルカスのタルカスへの賭けを、金貨換算で321.6枚分引き受けたということなのだ。しかも自発的に。


「そんな枚数が掛けられたのに、公式へ保険も掛けなかったんですか?」


大きなオッズに大量のカネが賭けられたとき、通常ノミ屋は他のノミや公式で同じ目を買うことで、保険をかける。


「なにしろタルカスの相手はサンボアですからね。それこそ無駄だと思ったんでしょう」


今更サンボアが八百長をするはずはない。その信用がゴラムにとっては裏目に出たということだ。


「ノミの手数料は1割ですからね。つまりオッズは2029.5倍ってことです。払いは――」

「金貨652687枚と銀貨2枚ですね」

「流石ボン、計算が速い。って、652億ですか? ゴラムにそんなカネがあるんですかね?」

「なけりゃ、あるだけ毟ればいいんですよ。正義は我にありですから」


公式のオッズであたふたしていたのがウソのように、冷徹な発言をするライナスに、まあ、こっちのほうがボンらしいっちゃらしいよなと、サングインは苦笑した。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


ミルカは約束通り、朝からコロシアムの3番口の前で待っていた。

タルカスの試合が何時に終わるのかわからなかったのと、コロシアムに入るお金がなかったからだ。


約束したのは第4試合の後だ。

コロシアムから4回くらい大きな歓声が聞こえてきたから、そろそろじゃないかな。そう考えてきょろきょろしていると、向こうから歩いてくるタルカスを見つけた。


「タルカス」


その声に気がついたタルカスが、こっちに向かって駆け寄ってくる。


「ミルカ、待たせたな。そっちは妹か?」

「うん、ヨルカ」

「そうか、ヨルカよろしくな」


ヨルカは恥ずかしそうに姉の後ろに隠れながら、微かに頷いた。


「それで、ちゃんと賭けられたか?」

「うん。昨日貰った銅貨でパンを買った残りの11枚を、全部タルカスに賭けた。そうしたら、銅貨52枚と賤貨8枚になって、またパンが買えた」


ミルカは嬉しそうにヨルカの頭をなでながらそう言った。

タルカスはいまさらながらこの歳できちんとお金を数えられるミルカに、微かな違和感を感じたが、そういうこともあるのだろうと深く考えなかった。


「今日は?」

「今日も残りを全部タルカスに賭けた」


そう言って、ミルカが差し出した賭けの受け取りを見たところ、本当に全部賭けたらしく、銅貨51枚と賤貨8枚が記録されていた。

ただ、彼女たちに必要な額は、金貨10枚だったはずだ。ライナスの思惑通り100倍くらいになっていたとしても、その半分くらいにしかならない。

仮にそれで妹だけが助かったとしても、ヨルカ一人では生きていくことは難しいだろう。なけなしの銀貨を1枚、自分に賭けておいて良かったとタルカスは胸をなで下ろした。


「じゃあ、商業ギルドで配当を受け取って、それから金を返しに行くか。場所は知ってるな?」

「うん」


ふたりと手を繋ぐと、タルカス達は商業ギルドへと向かった。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「おめでとうございます。こちらが配当金になります」


ミルカが預かりを渡すと、戻ってきた盆の上には、金色に輝く貨幣が大量に積まれていた。


「え。タルカス。これ……」


どうしようという感じでミルカがタルカスを見上げる。

なんだそれ……、一体何が。とオッズ表を見上げると、そこには燦然と 1803:1 の文字が輝いていた。


「1804倍?!」


それはつまり、銅貨51枚で、金貨90枚以上になる予想もしなかった倍率だ。

はっと我に返ったタルカスは、急いで自分の懐から財布代わりの皮の袋を取り出すと、僅かな中身をポケットに移し替えて、袋をミルカに差し出した。


「と、とにかくこれに入れろ」

「うん」


硬貨が100枚以上入りそうなその袋が、ミルカが一所懸命詰め込んだ金貨でパンパンに膨らんでいる。

タルカスはそれをミルカの首に掛けてやった。


「重い」


金貨100枚だけでも、大体1.2Kgカグラだ。子供の首には重いだろう。

ふと顔を上げると、何人かの男達がこちらを見ていた。


(うーん、これは失敗したな。こんな小さな女の子が900万クラウド以上を持ち歩いていたら危なくて仕方がない)


「とにかく、金を返しに行くぞ」

「うん」


タルカスはまわりに気をつけながら、ミルカとヨルカの後を付いていった。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


金は簡単に返すことができた。

男達は驚いていたが、返されてしまっては仕方がない。タルカスが付き添っていたこともあって、何事もなく証文は破棄された。

タルカスは、姉妹を家まで送っていったが、どうにも誰かがつけて来ているような気がしてならなかった。


家とは名ばかりの、うち捨てられたあばら家で、タルカスはミルカと視線の高さを合わせるためにしゃがみこんだ。


「なあ、ミルカ」

「なに?」

「沢山のお金を持っていると危ないから、一旦俺のところに来るか?」


ミルカは妹を見たあと、タルカスと視線を合わせて言った。


「タルカスの言うとおりにする。そうしたら、私たちは助かったから」

「そうか」


タルカスは大切なものだけを袋に詰めさせると、彼女たちを連れて宿へと向かった。しかし、彼女たちは結構汚れている。そのまま部屋に上がるとアースクが激怒するかもしれない。


アースクは昼寝する土竜亭の主人で、アンブローズやエトワの昔馴染みらしい。普段は明るく気さくな男だが、怒ると大変恐ろしい。

宿についたら、すぐ風呂に入れてやるつもりで(なんと土竜亭には、あのランクの宿には珍しく風呂があるのだ)、途中、着替えや必要なものをいくつか買っていくことにした。


(そういえば、俺も自分に賭けていたんだった……)


ただ、ミルカの借金を払ってやろうと賭けた銀貨1枚だから、配当があるという実感が湧かない。

タルカスは実直で無駄遣いもしない男だったので、1800万クラウドなんて大金は正直使い道がなかった。


(……アリエラ様に指輪でも買って差し上げようかな)


そんなことを思いついたタルカスは、ちょっとニヤケながら、少女二人の手を引いて宿へと向かった。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


ライナスが賭けを証明する預かり証を呈示して、配当を要求すると、商業ギルドの受付嬢はひっくり返りそうな勢いで立ち上がり、あわててギルド長の部屋へと報告に行った。

そうして現在、ライナスは、商業ギルドの奧にある一番豪華で重厚な応接室で、ダリネルシア商業ギルドのギルド長、エイビス=マレンコフと向き合っていた。


「なんといっても高額ですので、今すぐ全額の現金化は勘弁していただきたいのです」


ふくよかでひと当たりの良さそうなえびす顔のエイビスが、額に汗を浮かべながら笑顔を張りつけてそう言った。


180億クラウドが賭けの配当とはいえ、大口の貴族の賭け金は言ってみれば信用取引だ。ギルド口座の数字が動くだけでしかないため、賭け金の全額が現金としてこの場にあるわけではない。

もちろん、そんな数の金貨がギルドに常備されているはずも無く、かといって支払わなければギルドそのものの信用が失われる。


苦肉の策として、無償で商業ギルドの会員に登録して口座を作成し、そこに入金することで、今すぐの現金化は勘弁して欲しいとお願いされたのだ。


そもそも、金貨は1枚12gグラ程度の重さがある。180億クラウドを全部金貨で支払われたら、それだけで 2000Kgカグラ以上の重さになるのだ。持って帰れるはずがない。

ライナスはアエニル=サニルと名乗ってカードを作ってもらい魔紋を登録した。linus linea をひっくり返しただけの安易な名前だが、ライナス=リネアで登録すれば、いろいろと問題が付いてきそうだったからだ。


この世界にはしっかりとした戸籍など存在しない。だから各種機関に登録した名前と魔紋が自分自身を証明する。

つまり、このカードを使える者がアエニル=サニルなのであって、アエニル=サニルがそのカードを使っているわけではないのだ。


ライナスは、その口座に80億4千万クラウドを、以前金貨200枚を下ろした個人口座――両親が冒険者時代に使っていた口座をそのまま使っているらしく、名義はエトワローズとなっていた。ベタだ――に100億クラウドを入金して貰った。


「それでは僕は商人として活動できるのですか?」

「もちろんです。商業ギルドのルールに従っていただければ、何の問題もありません」

「わかりました。今後ともよろしくお願いいたします」


にっこりと笑って握手を交わしながら、エイビスは無茶な現金化が回避できたことに、ほっと胸をなで下ろしていた。

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