§1-10 サンボア×タルカス
タルカスはコロシアムの片側に立ちながら、異様な圧力を感じていた。
正面の20
ただ離れて向かい合っているだけで、額から汗が流れる。
司会の男が、彼我の紹介をしているのか、何かを話しているが、まるで耳に入ってこなかった。
その声がとぎれると同時に、戦闘開始の鐘が鳴る。
あっというまに距離を潰して近づいてくるサンボアは、平地の戦で使われる巨大な重戦車を彷彿とさせた。
そうして、最初の一太刀が振るわれた。
「ふーん、タルカスもなかなかやるじゃないですか。曲がりなりにも、あの剣戟を凌いでいる」
ふたりの戦いをのんきに眺めながらライナスが呟いた。
なるほど、サンボアの剣閃は速い。だが、目に見えない程でもない。
それより脅威なのはその圧力だ、一合受け流しただけで、並の剣なら折れても不思議はない。一度でも受け損ねたらそれで終了。コロシアムであっても死にかねない。
その連撃が、いつまでも続くんだから、それは相手にとって悪夢のようなものだろう。
(くっ、だめだ、剣圧で潰される。って、これ本当にどうにかなるんですか?! ライナス様!)
まるで嵐のような斬撃を捌きながらタルカスは焦っていた。それはまさに爆嵐のふたつ名通りの攻撃。誰が見てもタルカスが潰されるのは時間の問題に見えた。
「あー、さすがにもうダメですかね」
サンボアが鋭く薙いだ剣をまともに受けたタルカスの剣が大きく泳ぐ。息つく間もなく大上段から繰り出された鋭い打ち下ろしに、誰もが勝負があったとそう思った瞬間、ライナスが、その力を行使した。
刹那、会場の歓声も、踏みならす足の音も、今しがたまで鳴り響いていた戦いの音さえもが一瞬にして消え去って、全てが凍り付いた世界が現れる。
視線の先には、とどめを刺される寸前のタルカスが、最後の斬撃を受け止めようと剣を合わせたところだが――
「あのまま振り切られたら剣ごと体を潰されかねませんね」
そう呟いて席を立ち、コロシアムのステージに降りようとしているライナスの視界には、奇妙なカウンターが表示されていた。
013:027:08:22 - 000:000:00:00
そうしてしばらくするとその表記が更新された。
013:027:08:23 - 000:000:00:01
時間停止。
アーティファクト、例えばある種の非常に稀少なアイテムボックスの中には、時間が遅延したり停止するものもあるらしいが、それは付与された魔法の力だ。何をするにも魔力を使うし、魔力が切れたらそれまでだ。
しかしライナスのこれは魔法ではない。スキルのような技術ですらない。言ってみればリネアという家に希に現れる体質だった。
だからどんな鑑定にも引っかからないし、使っている間は時間が止まっているのだから決して直接認識することはできない。つまり他者にとってこの力は、無いのと同じだった。
この能力は最初、命にかかわる事象が起こると自動的に発動した。今でもそのトリガは有効だったが、任意に使用できるようになるまでは結構な時間が必要だった。
なにしろ最初は時間が止まっているなどとは思いもしなかった。幼い彼にしてみれば、いきなり周りが石になった世界にしか見えなかったからだ。
幸いにして、この力は、意識しなければ、危機が去った時点でその発動が解除された。
再び世界が動き出したときは、安心して泣きだしてしまい、周りを困惑させたことは、今となっては忘れたい想い出だ。
それから何度か同じ目にあっているうちに、賢いライナスはどうやら時間が止まっているらしいことに気がついた。
1年も経つうちには、積極的にその力を使えるようになり、表示されている数字が、左から、年:日:半刻:カウントで、半刻数は24で1日に、カウントは60で1半刻になるということも理解できていた。
そうして、左側のカウンターが、一生のうちに停止させた総時間を、右側のカウンターが、現在停止させている時間を意味しているようだった。
興奮した彼は、ことある毎にその力を発動させた。そうして、その能力を使い続けた結果、静止した時の中で13年の時間が過ぎ去っていたのだ。
つまり彼の本当の年齢は、すでに13歳年上の25歳と言えるかも知れない。
また、どういうわけか、世界の時間が止まっている間、自分自身の外見に変化は起こらなかった。
それが、言ってみれば、止めた時間分だけ寿命が縮んでいるようなものなのではないかと気がついたのはつい最近のことで、それ以降、以前のように通常入れないような場所で本を読むために時間を止め続けるなどという使い方は控えている。
リネア男爵家の初代、英雄デリトルレーヴェンの伝説の数々――傷が一瞬で癒えたとか、荒れた農地を一夜にして麦で満たす奇跡を行ったとか――はどうやらこの力を使っていたのではないかとライナスは考えていた。
彼は、停止した時間の中で、畑を耕し、麦を捲き、そうしてそれが実るまで、それ以外の世界の時間を止め続けた。早死にしたのはそのせいだろう。
確かに止まった時間の中で、動かしたい対象を選ぶことはできる。現にライナスの体のまわりは意識しなくても適切に時間が流れるようになっているし、通常の光は時間停止の影響を受けていないようにみえる。そうしなければ鏡に映ることもできないだろう。
しかし太陽や星の位置は変わらなかったし、足の裏に接触した部分だけ時間停止を解除しないように意識すれば、水の上だって空だって歩いていけた。
昼夜のない止まった時間の中で、初代がどうやって麦を育てたのか、ライナスにはまるでわからなかったが、この力は意志に反応して非常にフレキシブルに機能するから、おそらく麦畑全体に向かって、麦を育てたいと思っただけなのではないかと彼は考えていた。
もちろんやってみるつもりはなかったが。
「人の体を動かすときは気を遣うんですよね」
例えば、頭だけ時間停止を解除すると、人はあっというまに失神する。
脳は酸素を消費するが、それ以外の部分は時間が停止しているから、血液が流れてこない。つまりは頸動脈を完璧に絞められているのと同じ状態になるわけだ。
同様に、関節を曲げるために腕や足だけ停止を解除すれば、それは根本で止血されているのと同じ状態になる。頭ほどではないにしても長時間の処置は難しいだろう。
ライナスは、無属性魔法で身体を強化すると、タルカスの位置を動かして、右手で剣を相手の首に当て、左手でバランスを取ったカッコイイポーズを作り上げた。
サンボアは、剣が地面に当たる直前に調整し、片膝を付いた空振りのポーズに設定する。これで時間が再開すれば、あの勢いで地面を叩いて、決めの効果音にふさわしい凄い音が出るだろう。
「うーん、あの辺かな?」
と少し離れたところの地面を深くえぐる。
目指したのは、タルカスが目にもとまらぬ早さで動いてサンボアの背後をとり、技で勝負を決めた、というストーリーだ。抉れたところが強く踏ん張ったところ、の、つもりだった。
くるくると周囲を回って確認し、そのポーズに満足すると、まわりの土を集めてきて、舞い上がる土埃を演出する。まあ、適当なところへ投げつけて時間を停止させるだけなのだが。
そうしてとことこと、元の席まで戻ってカウンターを確認すると、時間の停止を解除した。
013:027:08:34 - 000:000:00:12
「それじゃ、リスタート」
ザバッ!!と大きな音と同時に、土煙が巻き上がり、会場全体が息を呑んだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
剣が泳がされたとき、タルカスは死を覚悟した。それでも最後まで抵抗しようと、サンボアの上段に合わせて剣を引き戻してみたものの、体勢不十分で押しつぶされることは確実だと思っていた。が――
(な、なんだこりゃ? どうして、サンボア殿が跪いていて、俺はこんなポーズを取ってるんだ???)
目の前ではサンボアが膝をつき、自らは彼の首に剣をあてて変なポーズをとっていた。混乱したタルカスだったが、その瞬間、彼はライナスの言葉を思い出した。
『いいですか、これはヤバイと思ったら、次の瞬間には相手の首筋に剣をあてていますから、目を閉じたりせず、慌てずに対処して下さい』
(これのことか!)
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
タルカスがオタオタしているのを見たライナスは、せっかくカッコイイポーズをとらせたのにと憮然としていた。
もっとも、絶体絶命、叩きつぶされると思った次の瞬間には、相手の首に剣の刃を当ててポーズを取っているのだから、混乱しても仕方がない。
場内は、何が起こったかわからず、水を打ったように静まりかえっていた。
ライナスはまわりを見回して、ひとつため息をつくと、勢いよく立ち上がって、演出を追加した。
「あ、あれは、秘剣『朧月』!」
それを耳にした瞬間、タルカスの顔が、『は? ライナス様、何を?!』とゆがむ。
それを見て、観客席は次第に音を取り戻し始めた。
「なんと、朧月?」
「そう言われれば、何をしたのかよくわからなかった
「朧月?」
「秘剣……あれが?」
「まさかここで朧月を拝めるとは」
いかにもな名称とはいえ、テキトーに言った朧月を知ってる人がいるわけ?! とライナスは驚いたが、ともあれ、これでタルカスは、秘剣『朧月』の使い手だ。しかも相手が王国にこの人ありとまで謳われた剣士サンボア。その名声も相まって、一躍有名人になるだろう。
「くっくっくっく、アリエラ姉様を持って行くからには、これくらいの箔は付けてもらわないといけませんよ、ね」
実は、ライナス、隠れシスコンであった。
……いや、あんまり隠れていないかもしれないが。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「くっ、まいった」
サンボアはがっくりとうなだれて、負けを認めた。
その瞬間に、観客席が爆発し、怒号のような勝者をたたえる歓声が巻き起こる。
サンボアはゆっくりと立ち上がると、タルカスに握手を求めた。
「連撃を受け流していたときは油断を誘っていたのか? 確実にしとめたと思ったんだが……しかし、まさかこの俺が何をされたのかわからんとは。その若さでなんという技量。今でも信じられんが、世の中は広い。完敗だ」
タルカスは、まさかここで『実は私にもさっぱりわかりません』と言い出すわけにもいかず、曖昧な笑みを浮かべてその手を握りかえした。
観客席では銀髪で背が高く、一見優男風に見えながらも隙のない男が、驚愕の眼差しで握手をするふたりを見つめていた。
男の名はリベルトーン。ダリウス第2騎士団副団長の彼は、ダリウス騎士団で1,2を争う使い手で、今期北武会3連覇が期待されている実力者だ。
「なんだ? 今の技は?」
あのサンボアが無名の男に敗れるという信じがたい結果もさることながら、その偉業をなした技が全く理解できなかった。
タルカスの動きそのものは、よく鍛えられているとはいえリベルトーンの目から見ればまだまだ荒く、発展途上のように思えた。
しかしそんな男が最後に繰り出した技はどうだ?
目を閉じたリベルトーンは、今のシーンを思い返してみる。
サンボアの連斬が容赦なくタルカスに襲いかかる、タルカスはそれを
かろうじてタルカスが剣を割り込ませるところまでは見えていた。当然そんな不完全な体勢でサンボアの一撃が受け流せるはずもなく、剣ごと潰されるはず――が、結果は見た通りだ。
土煙で隠されたとはいえ、あそこからどのような動きをすればあんな体勢になるのかまるでわからなかった。
「わからん。いくら考えても俺にはできん」
どんな技でも、一度見ることさえ敵えば、大抵は想像できるものだが、今目の前で使われた朧月は、そもそも何をしたのかすらまるでわからない。気がついたらサンボアが跪き、その首筋に剣が添えられていた。
リベルトーンの脇を冷たい汗が流れた。このまま当たれば確実に負ける。しかも、勝ち進めば数時間後、準決勝で必ず当たるのだ。
対策を練るには時間が足らない。いや、時間があったとしてもダメだろう。なにしろどんな技なのか見ていてもわからないのだ、防げるはずがない。
リベルトーンはサンボアと当たる以上の絶望と混乱にたたき込まれていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「い、今のはなんだ?」
北武会の貴賓席では、思わず椅子から腰を浮かせたヨシュアが、握手を使用としているタルカスとサンボアを見下ろしながら言った。
周りの貴族たちも、ほとんどが凍り付いたように固まって目を大きく見開いていた。子飼いのチェッカーから連絡を受けて、大きくサンボアに張っていた連中だ。
予想もしなかった結末に、中には隠し財産の大部分を突っ込んだ者もいたようで、硬直がとけたとたん、椅子に深くもたれかかり、がっくりと首を落としていた。
しかし、根っからのギャンブラーであるヨシュアは、きれいに負ける美学についても人一倍こだわっていた。
そう、見苦しい敗者は、賭けの崇高さや、その美学を台無しにしてしまうのだ。
ぐっと奥歯を噛みしめると、会場の歓声と共に勝者に拍手を送っていた。
「あれは、リネアの者だったか?」
その試合を観戦していた、領主のダリウス辺境伯は、お付きの男に尋ねた。
「は。かの家の従士長の息子だと伺っております」
「ふーむ。リベルトーンとどっちが上かな?」
お付きの男は護衛も兼ねた、ダリウス第1騎士団の副団長だ。一対一での戦いでは、第2騎士団副団長のリベルトーンに一歩譲るが、騎士団の運用においては勝っていた。
そんな男だが、主の質問の答えに窮した。
技術と言うことであれば、圧倒的にリベルトーンに軍配が上がるだろう。タルカスという男も優秀ではあるようだが、いかんせん若い。経験不足も否めなかった。
しかし、あの最後の技は……一言で言うと訳が分からない。何しろここから見ていても、何をしたのかまったく分からないのだ。
「騎士としての技量でしたら、リベルトーンが勝りましょう」
それを聞いたダリウス辺境伯は、笑いながら言った。
「だが勝敗はわからない、ということか」
「はっ」
サンボアだって、技量と言う点なら、タルカスよりも遥かに勝っていたのだ。
だが、負けた。
しかもどうして負けたのか、外から見ていても分からない。後で会うことがあったら本人に聞いてみたいと、彼は考えていた。
「流石は救国の英雄家。次世代も育っておるようだな」
ダリウス辺境伯は嬉しそうに笑った。
リネア家はダリウス家の寄子だ。
そんな話を聞くともなく聞きながら、ヨシュアはサンボアの処遇について考えていた。
ここから見ていても、彼が手抜きをしたとは思えない。約束した料金はきちんと払うべきだろう。もっとも彼が受け取るかどうかは分からないが。
ヨシュアは、ライナスの掌の上で踊らされているかのような奇妙な感覚に、なんとなくタルカスに金貨1枚を賭けていた。
その途方もないオッズのおかげで、この賭けに起因する彼の損害はほぼ穴埋めされ、お釣りまで来たのだ。
残念ながらアリエラは得られなかったが、そのたぐいまれな嗅覚が、彼が優秀な文官であることを証明していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます