§1-07 悪巧み
懇親会も終わり、リネア一行は、『昼寝する土竜亭』なんて、いかにも冒険者向け風で、ふざけているようにすら聞こえる名前の宿に戻ってきていた。
通常、北部の貴族はダリネルシアに館を構えているものだが、なにしろ倹約を旨とするリネア家のこと、滅多に使わない屋敷など不要という考えで、いつもこの宿の東棟の2Fを貸しきりで利用していた。単に館を構えるカネがないとも言うが。
そんな懐事情を
それもそのはず、この宿の主人のアースクは、以前はアンブローズとエトワとともに冒険者をやっていた男で、引退した後この宿を開いたらしい。
戦争の後、領地を貰ったはいいけれど開発する金がなかったふたりは、しばらくの間、この宿を常宿にして冒険者でその金を稼いでいたのだ。
館がないと連絡が取れずに不便だという話もあったが、常宿があるなら同じ事だとアンブローズが押し切った。
アリエラやルヴェールの時は、この後すぐに領地へ戻ったらしいが、今回はタルカスが北武会に出場しているため、聖探祭の終わりまでここにいることになっていた。
聖探の儀から3日間は、聖探祭と呼ばれるお祭りなのだ。残りの2日は、家族で親しい貴族との社交や、お祭りをゆっくり楽しむ予定だった。――ライナス以外は。
「調べが付いているだけで16カ所もあるのですか。さすがに多いですね」
あの後ライナスはアンブローズにデッカードを紹介してもらい、各ゴラムのノミ屋の場所や注文方法を教えてもらった。
ライナスがそのメモを見ながら、宿の部屋で計画を練っていると、ドアがノックされて、タルカスが入室してきた。
「本戦のトーナメントの組み合わせが発表されました。出場者は32名。都合5回戦で優勝者が決まります。初日は1回戦16試合が行われ、2日目は優勝戦まで15試合が行われます」
タルカスが会場で発表されたばかりの組み合わせ表を開きながら説明する。
「じゃあ、2日目は4連戦ですか? 凄いハードスケジュールですね」
「大抵は10分もあれば決着がつくみたいですから」
それは、回復魔法が存在することを前提とした、過密スケジュールだった。
「それで、タルカスの1回戦の相手は?」
「ここです」
彼が指さした先は、第7試合で、相手の名前はオルトマンと書かれていた。予選から上がってきた男らしいが詳細はわからない。
「予選から勝ち上がった人ですか。見ましたか?」
「ええ。でもなにしろバトルロイヤルでガチャガチャでしたから、正直よくわからないところもあります。ただ、皆同じようなレベルでしたから、隠し球でもない限り勝てると思います。それより問題は2回戦ですよ!」
「おやおや、目の前の勝負に集中しないと、足下をすくわれ――」
からかうようなライナスの台詞が、1回戦第8試合のところに書かれていた名前を見た瞬間、終わりを結ばず虚空へと消えていった。
ライナスは、しばらくそれを見つめた後、絞り出すように言った。
「あのおっさん、奮発しましたね」
第8試合の一人目の推薦人に、デボンヌ伯爵の名が記され、後はただサンボアとだけ書かれていた。
「同名の剣士って線は?」
「名の知られた剣士に同じ名前はありません。それに――」
「賭けに神聖性を感じているヨシュア様が、無名の剣士など雇うはずがありませんね」
サンボア――爆発するような重い剣撃を嵐のように振るうところから付いた2つ名が、爆嵐。
王国主催の武闘会で優勝することなんと4回。もはやこの国では知らぬ者などいない剛剣の使い手だ。いったいどんなコネで引っ張ってきたのか、そっちの方が気になるほどだ。
「これはまいりましたね。相手がライナスでは100倍どころか、下手をすると賭けが成立しない可能性すらあります」
サンボアに賭ければ100%勝てるとはいえ、倍率が1倍では意味がない。賭け数が少なすぎて、不思議な倍率になったりするくらいならともかく、最悪賭が成立しないことだってありえる。
成立しなければ、ノミの賭けも不成立になるだろうし、成立したところでベット数が少なすぎて低倍率になってしまっては作戦の意味がなくなってしまう。
なんとかして高倍率の賭を成立させなければならないわけだが……
(めんどい。眠い。お
「どうするんですか!?」
「どうするって……そりゃなんとかして勝つしかないでしょう。勝てそうですか?」
「彼の方がずっと年上ですからね。あと100年くらい修行していれば、
ベッドの端に腰を下ろして、タルカスは頭をかかえた。
「まあまあ」
「まあまあじゃありませんよ。こうなったのも、半分以上はライナス様のせいじゃないですか!」
「それは心外ですね。アリエラ姉様に抱きつかれて、つい
「ぐっ。そりゃ、アリエラ様に面と向かって『お慕い申しております!』なんて迫られたら、どんな男だって嫌といえるはずがないでしょう」
「ほう、実は嫌だったわけですか?」
「そんなわけないでしょう! 滅茶苦茶嬉しかったですよ! ただちょっと……びびりましたけど」
タルカスにとっては絶対に勝てない相手とはいえ、負ければアリエラはヨシュアのもの。その葛藤やいかに。
ほどよく煮詰まっているタルカスを見ながら、男が成長するのはこういう時なんですよね、などと無責任なことを考えていたライナスは、さらに無責任っぽく声を掛けた。
「大丈夫、タルカスは勝てますよ」
「気休めはよしてください。そりゃ、それなりに腕には自信がありますけど、まさか相手がサンボア殿とは」
「それだけ姉様が欲しいと言うことですよ。とにかくサンボアのことは忘れて、明日の1回戦に集中してください」
それを聞いてタルカスはふと顔を上げた。
「まさかライナス様……サンボア殿を闇討ちして不戦勝にしようなどと」
「……姉様と言いタルカスと言い、僕は信用がないですねぇ」
はぁとため息をついたライナスは、わざわざ悲しい顔を作って椅子の背に体を預けた。
「あ、いや、そういうわけでは」
「大体考えても見てください。闇討ちごときでサンボアをどうこうできますか? タルカスがやってみます?」
「あー……すいません、無理です」
「ですよねぇ。まあ、サンボアのことは明日勝ってから心配すれば良いんですよ。明日負けたりしたら明後日の相手に関係なく、姉様は伯爵家へ行ってしまいますよ?」
「はっ! そうでした!!」
サンボアのインパクトで、それすらも忘れていたらしいタルカスが、がばっと顔を上げる。
「まずは1回戦突破です。おー!」
「お、おー!」
やけくそ気味に気勢を上げて、タルカスは自分の部屋へと帰っていった。
ライナスも従士達の部屋へと移動して、そのドアをノックした。
「サングイン、テニー、マレーいますか?」
返事を待たずにドアを開けて部屋に入ったライナスに、またかと眉間を揉みながら引き締まった体の中年の男が立ち上がった。
「ボン、ノックは相手の返事を待ってから部屋にはいるものだと何度言ったらわかるんです? ……で、何か御用で?」
立ち上がった男――サングインがあきらめたようにそう言った。
血のように暗く赤い髪のサングインは、アンブローズの従士で、タルカスの父親と並んでリネア領叩き上げの古株だ。ライナスのことを
「ノックするなんて、進歩してるじゃないですか。それはともかく、明日、ちょっとやって欲しいことがあるんです」
サングインは、ライナスの顔をじっと見た後、ため息をついた。
「はぁ。また、めんどくせぇ事を考えてらっしゃる顔だ。やっかいなのは勘弁してくださいよ」
そう言って、ライナスを迎え入れた部屋のドアを閉じた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ライナスは、明日以降の予定を3人に向かって説明した。
「それじゃあ、明日はここに書かれた場所まで行って、ノミ行為に参加してこいってことですか?」
サングインが確認する。
「そうです。最終的には、主要なゴラムのノミ屋に明後日の第4試合、サンボア×タルカスのノミをうけさせるのが目的です。金貨数枚ずつ、全部で100枚くらい」
「1カ所じゃだめなんで?」
「それだとゴラムがひとつ潰れるだけですからね。できるだけまんべんなく資金力を削ぐのが目的です」
「なんで、ボンがそんな面倒なことを……」
「渡世の義理って奴ですかね」
「12のボンの渡世に、どんな義理があるのですやら」
「しかしそれですと、アンブローズ様達の護衛がおろそかになりそうですが」
一番若くまじめなマレーがそう言った。熟れた桑の実を思わせる赤紫の髪の実直な男だ。
「明日から2日間は、姉様達は父様や母様と一緒に行動されるそうです。あの4人に護衛が必要だと思います?」
知る人ぞ知る救国の英雄のペアに、あわせて6属性を操る娘がふたり。彼らを傷つけようと思ったら、ちょっとした軍隊が必要だ。
「確かに。下手をしなくても俺たちの方が弱いかもしれません」
がっくりと肩を落としてマレーが呟いた。
「というわけで、心おきなくこの計画に没頭してください。父様の許可も取ってありますのでご心配なく」
「ライナス様。賭けるのは100枚程度と言うことですが――」
それまで黙って聞いていた、テニーが手を挙げて尋ねてきた。
オレンジに近い黄褐色の髪をした、マレーよりも2歳上の彼は、リネア家従士内では若手のリーダー格だ。
「最初の話ですと資金は金貨200枚と伺いましたが」
「いいんですよ。何しろ相手がサンボアですから、公式のブックメーカーで100枚は使う予定なのです」
3人とも、何の話だろうと頭をひねる。
「今回の件、ノミ屋側に賭けを受けさせるのはそれほど難しくないのです」
なにしろ相手はサンボアだ。どんなにタルカスに賭けられようとも、呑んじゃうことになんの不安もないはずだ。
もっとも初見の客の賭けに対しては、安全装置としてのルールがあるに違いない。初見で大金を賭けるような輩には、裏がある可能性が高いからだ。そこが若干ネックになっていた。
「3人はそれぞれ聖探祭を見物に来た、結構裕福な観光客になってもらいます。で、よくわかってないけれど第7試合のタルカスに賭けたら当たっちゃった! あら嬉しいと調子に乗るわけです」
そこで多めの配当を得れば、ノミの連中は、次のサンボア戦でタルカスに賭けるよう促すに違いない。どうせ払いは北武会終了後。手元に現金があれば躊躇もするが、ただの数字なら実感がないため調子に乗る人間も多いのだ。
それに今回は100%サンボアの勝ちは動かない組み合わせだ、払い戻しの回収手段としては願ってもないことだろう。
これなら、向こうから促されるという自然な流れで、初見でも違和感を抱かせずに大金を賭けることができるに違いない。そうライナスは読んでいた。
「ボン、賭けはともかく、俺にそのカバーは無理ですぜ」
「なぜです?」
「残念ながら、この辺の歓楽街には顔が売れてますから」
サングインは、独身で根っからの遊び人。今でこそ控えめだが、以前は、飲む打つ買うはお手の物だったらしい。
「それでは仕方ありませんね。じゃあそちらはテニーとマレーを中心に動いて下さい」
「わかりました」
「それはともかく、ノミ行為のオッズは当然正規のオッズに依存しているわけです。今回は、そちらの方が問題なんですよ」
「問題?」
テニーが不思議な顔をして首をかしげた。
「考えても見てください。明日の第7試合でタルカスが勝ったとして、第8試合はサンボアが勝ちますよね?」
「まあ確実にそうなると思います」
「その第8試合ですが、サンボアの相手に賭ける人がいると思いますか?」
「私なら賭けません」
そう、相手に賭ける人が全くいなければ賭は成立しない。つまり流れるのだ。
「だから賭を成立させるためにも、負けそうな方に賭けなければなりません」
「それはわかりますけど、それなら、金貨1枚でもいいのでは?」
「それではだめです」
「ええ?」
「少額では、異常なオッズになる可能性があります。例えばタルカス:サンボアなのに1:20とかですね。今回の目標では、最終的なオッズを100:1くらいに調整する必要があるのです」
「それなら、両方に賭けることで100:1のバランスになるように調整すればいいんじゃありませんか?」
良いことを思いついたとばかりに発言するマレーの言葉に、ライナスはゆっくりと首を振った。
「商業ギルドの手数料は10%だそうです。そして1試合の賭けを司る経費はおよそ金貨5枚」
実際のテラ銭は20%となっていた。領主に納める税と商業ギルドの取り分が10%ずつなのは、庶民の娯楽に重税を課さないようにしようという王国の配慮だ。パンとサーカスはここでも大切なのだ。
「ほー、なぜそんなことをボンが?」
「それは簡単です。手数料は公開されていますし、払い戻しルールのひとつに、掛け金のトータルが金貨50枚を越えない場合というのが記載されていましたから。逆に言えばそれを越えないと利益が出ないってことでしょう」
つまりは配当金を移動させるコストが収入を上回るなら、不成立にさせた方が安く上がると言うことだ。
リネア家の予算は金貨200枚。それをオッズを成立させるために使ってしまうと、ノミ屋に賭ける分や、もっと大切なオッズを調整するための原資がなくなってしまうのだ。
「なら1回戦のタルカスで資金を水増しすればいいんじゃないですか?」
マレーが良いことを思いついたとばかりにそう言った。
「残念ながらそれもダメなのです」
「なぜです?」
「万年1回戦の選手と新人の戦いに、それほど多くの賭け金があつまるとは思えません。だからその試合で金貨の100枚もタルカスに突っ込んだりすると、オッズが滅茶苦茶低くなる可能性が高いのです」
「え? それでも多少は増えますよね?」
「マレー。この賭けの目的は、ゴラムからカネを毟り――ごほん。資金を干上がらせるために行うのです」
「はい」
「つまり、1回戦のオッズは高止まりさせた方が、ノミ屋の負担を増やせるのです」
それを聞いたサングインは、ノミ屋のシステムを理解しているだけに、その悪辣さに気付いて唸った。
ノミ行為はオッズを公式のブックメーカーに依存しているが、当然のことながら、そのオッズはノミ屋で賭けられた金額を考慮していない。
裕福な観光客を装って1回戦のタルカスにかけた場合、公式ならオッズが変動するだろうが、ノミならオッズは変動しないのだ。
そして、勝った場合もその場で支払いが行われるわけではない。
固定客なら賭け時に現金は不要だ。その方が気軽に金を出すというのもあるだろう。その金の回収に時間がかかったりもするわけで、通常、その開催が終わった後に清算されることになる。
つまり、1回戦で大きく勝っても、その場ですぐに配当を受け取って帰るというわけにはいかないのだ。
それを知らないふりをして、試合終了後すぐに配当を受け取りに顔を出せば、ノミ屋は負けを取り戻そうと口八丁手八丁を駆使して、1回戦の勝ち分を次戦のタルカスにも賭けさせようとするだろう。なにしろ相手はサンボアだ。
そうしてライナスたちは、怪しまれることなく本来なら断られるような大金を賭けることが出来るというわけだ。
「ボン。それじゃ、まさか……」
「流石サングイン、その通りです。ノミ屋で1回戦のタルカスに賭けられるだけ賭けても、おそらく金貨100枚は受け付けて貰えないと思います。初見ですしね。そこで、余った金貨は全部、公式で1回戦のオルトマンに賭けて下さい」
それを聞いたマレーが驚いたような声を上げた。
「ええ?! 負ける方に賭けるんですか?!」
「そうです。どうせ後で戻ってきますから、問題ありません」
万年1回戦のオルトマンと、新人タルカスの試合に大きく賭けるものはいない。オッズだってどっちが勝つのか分からない以上、せいぜいが2倍。下手をすると1倍台になりかねない。
オルトマンに余った金貨をかけるだけで、オッズがバカにならないくらい動く可能性があるのだ。
確かに説明されれば納得も出来るが、わざわざ負ける方に大金を投じるというライナスの発想に、苦笑いしながらサングインが報告した。
「そういや、街でチェッカーっぽいやつらを結構な人数見かけましたぜ」
チェッカーとは、賭けの現場で最前線の情報を依頼主に届け、賭けを代行する職業で、大抵は貴族や大商人に雇われている。
「今回は、サンボアなんて超大物を、わざわざ中央貴族であるデボンヌ伯爵が北武会に送り込んだせいで、王国中の注目を浴びているからでしょう」
「さもありなん、ってところですな。いつもよりも賭け金が大きく膨らみそうな感じです」
そこでライナスが、ぐっと拳を握りながら椅子から立ち上がった。
「丁度良い機会です。ここでタルカスを通じて、リネア家家臣の優秀さを王国中に大きくアピールしておきましょう」
生まれたときからライナスを知っているサングインが、それを横目で見て口をゆがませながら尋ねた。
「で、本音は?」
「うちがこんなに貧乏で、爪に火をともすような領地経営をしているってのに……」
「いや、昔ならいざ知らず、今はそれほど酷くはないでしょう」
「なのに、たかが賭け事に金貨をほいほいつぎ込めるなんて! そんなにお金が余ってるなら、少しくらい毟っ、あいや、分けて貰っても、別に構いませんよね?」
「ボン……」
サングインが、ライナスの本音に呆れている。テニーとマレーは笑いをこらえているように肩を振るわせる。
そこで、ライナスは、もう一度拳を握りしめ、力強く腕を振り上げた。
「これは正義の戦いなのです!」
「ああ、もうそういうのは良いですから。とにかく、そいつらがサンボアに大金を賭けたくなるように、金貨100枚でオッズを操作するってことですかい?」
「その通り」
「そんなことができるんですか?」
テニーが信じられないと言った様子でそう尋ねた。いままでの話を聞く限り、そんなことは絶対に不可能に思えた。
「幸い、北武会の賭けは、賭けた時点のオッズではなくて、最終的なオッズが適用される方式です。それにオッズは、大体
ライナスはそう言うとにやりと笑った。
「人の欲の業は深いものです。金貨100枚でなにができるか、よく見ていて下さい」
その後、彼らは夕食の時間まで、賭けるタイミングや役割について詳しく話を詰めていった。
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