§1-08 ミルカ

「夜が明けたな」


そう呟いたタルカスは、ベッドの上でまんじりともせず一晩を過ごしたような、どこかで横たわる自分の姿を見ていたような、なんとも不思議な気分だった。

いつもなら仲間の従士と相部屋なのだが、今回は特殊な事情があることもあって、主家の厚意で個室を使わせて貰っていた。


人間、一人になると色々なことを考えるものだ。彼は、オルトマンのことやサンボアのこと、そうしてアリエラのことを考えていた。

そうしてぐるぐるといつまでも考え続けたあげく、全ての思考を放棄することにした。そう、自分ごときが何かを考えようとしても、下手の考え休むに似たりというものだ。


彼は自分の主を信じていた。

あのライナスが、アリエラの不利益になりそうな事態に、手をこまねいているはずがない。

どうしたらいいのか自分にはわからないが、自分は自分に与えられた役目を全力で果たしておけば、あとはきっとライナスがなんとかしてくれるに違いない。

どうせこの身にできることは、剣を振ることだけなのだ。自分はそれに徹しよう。

タルカスは、そう思いきることで、昨日までのもやもやがなんだかきれいに晴れるような気がしていた。


少し体を動かそうと、静かに階段を下りると、宿の玄関を開けた。

空はきれいに晴れ上がり、自分の気持ちとリンクするようでとても爽快な朝だ。思わず笑って、勢いよく宿の階段を飛び降りた。


「きゃっ」


小さな悲鳴が上がったかと思うと、小さなものが足にぶつかり、なにかがまわりに散らばった。


「え?」


ぶつかったものを見ると、あちこち繕った後のある服を着た、薄汚れた少女が路上に尻餅をついていた。


「ごめんなさい」

「いや、こちらこそよそ見をしていて悪かった」


少女は慌てて起き上がると、籠を抱えて、路上に散らばった小さな花束を集めている。

タルカスはそれを手伝いながら話しかけた。


「こんな早朝に花など売れんだろう」

「うん。だけど、聖探祭が終わるまでにお金がないと売られちゃうから……」


なんだか訳ありの様子だが、言ってみればありふれた話でもある。いちいち同情していてはきりがないことはタルカスにもわかっていた。

ただ今朝のタルカスは、先ほど、できないことはできないんだから自分にできることを精一杯やろうと思い切ったばかりである。いわば、余勢を駆って尋ねてしまった。


「売られちゃうって、なにが?」


少女は花を拾う手を一瞬止めたが、それを続けながら一言だけ呟いた。


「私と、妹」

「……そうか」

「金貨10枚なんて無理なのはわかってるんだけど、妹だけでもなんとかしてあげなくちゃ」


年齢にそぐわない全てをあきらめたような笑顔を見た瞬間、タルカスの頭は白く染まってしまった。


「お前、名前は?」

「ミルカ」

「今日から、北武会が行われるのを知っているか?」

「うん。そのお客さんに売ろうと思って」


「いいか、ミルカ。俺がその花を全部買ってやる」

「え?」

「落とさせてしまったからな。だから……その金を、全部今日の第7試合のタルカスに賭けろ」

「……でも、妹のパンを買わなきゃ」

「いくらだ?」

「銅貨1枚」

「よし、じゃあ、その分を除いて全部だ」

「……うん、わかった」

「いいか、ここからが大切な所だ」

「うん」

「それで、いくらか増えるはずだから、その金をな……」


タルカスは一瞬躊躇した。

どんなに頑張ったところで、自分がサンボアに勝てるわけが……そう考えたからだ。しかし、ミルカは希望が失われた瞳で、それでも何かにすがりたそうにこちらを見上げている。


(くそっ、ライナス様信じましたよ!)


「その金を、明日の第4試合の……タルカスに賭けろ。全部だ」

「そうしたら、ヨルカは助かる?」

「ヨルカ?」

「妹」


今度はタルカスはためらわなかった。


「大丈夫だ。明日の第4試合。タルカスの試合が終わったら、コロシアムの3番口で待ってろ。いいな?」

「わかった」

「じゃあ、花をくれ、いくらだ?」

「全部で銅貨12枚」

「よし、それじゃ、これな」

「タルカス?」

「なんだ」

「ありがとう」


そう言って、貰った12枚の銅貨を握りしめると、ミルカはこちらを振り返らずに走り出した。


「金貨10枚か。100倍だとしても銅貨10枚なら金貨1枚にしかならない。第1試合がどのくらい付くのかにもよるが……しかたない乗りかかった舟だ」


タルカスは、明日の第4試合、自分の勝ちに1枚の銀貨を賭けることにした。


「今はこれが精一杯、だ。ライナス様、頼みましたよ!」


そう言ってタルカスは、宿のまわりを走り始めた。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「タルカス。今日はなんだか気合いが入っていましたね?」


第7試合のオルトマンをなんとか退けたタルカスが宿に戻ってくると、ライナスが開口一番そう言った。

タルカスは、予選を勝ち上がってきたオルトマンと激戦を繰り広げたあげく、余裕を持ってとは言い難いがなんとか勝ちを収めていた。


「ええ、まあ。ここで負けるわけにはいきませんから」

「そんなタルカスに朗報です。明日はこの剣を使って下さい。バランスは今のと大体同じにしてありますから」


そう言ってライナスはタルカスの目の前に1本の剣を取り出した。それを受け取ったタルカスは、一振りしてみたが、どうにも業物とは言い難い。


「バランスはそんな感じですが、今まで使っていたものの方が切れそうですけど?」

「さすがはタルカス、一応剣の善し悪しもわかるのですね」

「それはまあ……」


まだまだ未熟とはいえ、タルカスだっていっぱしの剣士の端くれなのだ。剣の善し悪しくらいはわかろうというもの。


「それで、この剣にはなにかあるのですか?」

「そうですね。折れず曲がらず欠けず、ただし切れません」

「それって剣なんですか?」


タルカスは思わずそう突っ込んだ。


「事実上、丈夫な棒といえるかも知れませんが、見た目は立派な剣ですよ。言ってみれば爆嵐対策ですね。数合で剣が折れたのでは対処のしようがありません」

「それはそうですが……」


元々魔物と相対する場合、剣は切ると言うよりも叩くといったほうが近いのは確かだ。

しかし、相手が人間となれば、切れ味の良い剣なら、間合いの取り合いで先がかすっただけでもダメージを与えることができる。

だがこの剣では、ちゃんとヒットさせないとダメージを与えることも難しそうだった。


「いいですか? サンボアという剣士は、驕らず、油断せず、何が起こるかわからない戦いの場からは少しでも早く脱しようとするタイプです」

「完璧じゃないですか」

「はい。だからこそ、決着は早いですよ。第8試合は見ましたか?」

「ええまあ。顔が引きつりましたけど」


第8試合はサンボアの試合だ。内容は圧倒的な勝利というやつで、開始と同時に一方的にサンボアが攻撃し、相手は一度も攻撃できず叩きふせられた。

そう言えば最後の一撃の前に、相手の剣が壊れていたようにも見えたな、とタルカスは思い出した。


「まあそうでしょうね。しかし、何も心配はいりません。これから僕の言うことをよく聞いて、その通りにして下さい」

「はい」


タルカスはライナスが何を言い出すのかと思いながらも、素直に頷いた。


「タルカスはなかなか目が良いと聞いています。戦闘中、これは絶対に避けられない、ヤバイと思うことはあっても、例えサンボア相手とはいえ、その動きがまるで見えないと言うことはないでしょう?」

「それはまあ。特にサンボア殿はスピードよりもパワーの人ですからね。ただ、見えたところで、防げるかどうかは別の話ですが」

「なら大丈夫です。いいですか、これはヤバイと思ったら、次の瞬間には相手の首筋に剣をあてていますから、ヤバイと思っても目を閉じたりせず、慌てずに対処して下さい」

「は?」


タルカスは、ライナスが何を言っているのかまるでわからなかった。


「あの、ライナス様。……仰っていることの意味がよくわからないのですが」

「意味って……言葉通りですよ。とにかく気がついたらそうなっていますから、ちゃんと対処しろと言うことです。あまりにクリティカルな攻撃は吸収しきれないそうなので、慌てて首を切り落としたりしないでくださいね。いくらその剣でも人の体くらいは切れますから」

「は、はぁ……」

「それさえわかっていれば、アリエラ姉様はタルカスのものです」


なんだかよくわからなかったが、最後のところだけ必要以上に理解したタルカスは、おもわず頬を緩めてしまった。

一瞬にしてやに下がったタルカスの顔を見て、ちょっとイラっとしたライナスは、ちょっと釘を刺しておくことにした。


「しかし、アリエラ姉様とタルカスが結ばれてしまうと、タルカスのことは兄様とお呼びしなければなりませんね」

「か、勘弁して下さいよ!」


我に返ったタルカスは、ライナスと別れた後も、彼の話を反芻していた。

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