§1-06 懇親会(後編)
デルフィーヌ=ダリウスは、なけなしの集中力を必死でかき集めながら、彼女の前に立つ男の口上を聞いていた。
先ほどから同じような話ばかり聞かされて、内心うんざりしていたのだ。
(一体この挨拶地獄はいつまで続くのかしら……)
もう笑顔の作りすぎで、口の端が引きつってしまいそうだと嘆きながら、『お昼を食べる暇もなかったし、お腹空いたなぁ』などと考えていた。
日頃から付き合いのある家ならばともかく、初めて会った者達は最初の数人で、すでに誰が誰だかわからなくなっていたが、それでも失礼にならないように興味のあるふりをして、その口上を聞いていると、部屋の向こう側で聞こえていたざわめきが、息を呑むような音に続いて突然とぎれた。
どうやら何かが起こったことに皆が気がついたらしく、喋っていた男も素早く口上を切り上げて、そちらへと向かっていった。列を作っていた人たちも、何かから遠ざかろうとするものと、何かを確認に行くものに別れていなくなる。
何があったのかわからないデルフィーヌが、その方向を不安げに眺めていると、突然声をかけられた。
「どうやら、マルコフ伯爵のご子息が、ガビル子爵に飲み物をぶちまけたようですよ」
それを聞いたデルフィーヌは、驚いて目の前の男に目をやった。
そこには、ダークブラウンの髪の、顔立ちの綺麗な男の子が微笑みながら立っていた。髪と同じ色の瞳が、優しそうな雰囲気を醸し出している。
「子供らしく、決闘にでも憧れていたんでしょうか? それはともかく、初めまして。私はアンブローズ=リネア男爵が長男、ライナス=リネアと申します」
「え、ではエトワ様の?」
「母をご存じで?」
実はデルフィーヌはエトワに憧れていた。美しい救国の英雄。北部の生ける伝説。ちょっと大げさに美化されてはいたが、デルフィーヌの年頃の女の子が憧れるのには充分だった。
「はい! 女性でありながら救国の英雄ですし、美しくて素敵な方だと聞いています」
おおう。母様リスペクトだったのかと、少し引きながらライナスがそう考えたとき、くぅと可愛らしい音が聞こえた。
「ん?」
「あっ」
デルフィーヌが、顔を真っ赤にして下を向く。それを見たライナスは、急に芝居がかった台詞を紡ぎ始めた。
「ああ、しまった。デルフィーヌ様にお会いするのに、なんのプレゼントも用意していなかった。これは大変だ!」
突然の小芝居に、デルフィーヌが顔を上げると、ライナスがウィンクする。
「今日のところはこれでご勘弁を」
そういうと、彼の手に、突然きれいに皿に盛られたサンドイッチが現れる。
「まあ!」
まるで魔法のように現れたお皿に、デルフィーヌは目を丸くする。
「今なら、向こうの騒ぎで誰も気がつきません。私とお話をしている間なら大丈夫。挨拶ばかりが続いてお疲れになったでしょう? ちょっとお休みしてしまいましょう」
そういうと彼は自分からひとつ取り上げて、ぱくんと口に入れて、美味しそうにそれを食べている。
それにつられたデルフィーヌも、そのひとつを取り上げて口に入れた。
(殿方とのお話中に何かを食べるなんてはしたないかしら? でも、ああ、何て美味しい)
その場の誰もが、騒動が起こった部屋の隅を注視している間に、デルフィーヌとライナスは一緒に一皿のサンドイッチを美味しく頂いてしまった。
「ありがとうございました。とても美味しかったです」
「それは良かった。でもこれはデルフィーヌ様のお家のものですからね」
そういって大げさに空いた手を振ったライナスの手元から皿が消える。デルフィーヌは不思議そうに、皿があった手を見つめていた。
「それでは今日はこれで失礼いたします」
そう言って、デルフィーヌの前から立ち去ろうとしていたライナスは、ふと動きを止めて、振り返った。
「ああ、言い忘れておりました」
「なんでしょう?」
「聖探の儀、おめでとうございます」
そう言ってにっこり笑って頭を下げたライナスは、今度こそ振り返らずに立ち去っていった。
デルフィーヌの前では次の男がなにか口上を述べていたけれど、彼女は少しの間、その背中から目が離せなかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
家族がいる場所へ戻ってくると、すれ違いざまにルヴェールが呆れたように言った。
「あんた、意外と
「姉様……せめて紳士の才能と言ってくださいよ」
「紳士~? ライナスは紳士と言うより、詐欺師っぽいからなー」
あまりの言いように、ライナスは憤慨した。
「どこが詐欺師っぽいと言うのですか」
「サンドイッチの皿を、いきなり出したり消したりするところ」
「うっ。そ、そこはせめて魔術師と……」
「まるで収納魔法みたいだけど、この場で魔法が発動するわけないし……一体、どうやったわけ?」
通常こういったパーティ会場は、魔法が使えなくなる結界が張られている。
どんな小さな魔法でも、特別な許可なく発動させることはできないのだ。
この結界の構築には、多大なる労力と時間が必要になるため、戦場での利用も研究はされてはいるが、とても実現できるようなレベルにはなかった。
興味津々でトリックを聞いてくるルヴェールをごまかすように、ライナスは話題をそらした。
「収納魔法なんて、どの属性に属するのかもよくわかっていない空間系の激レア魔法、使えるのは母様くらいですよ」
「え? 母様って収納魔法が使えたの?!」
「昔、そう聞きましたけど」
「うそ! 教えて貰わなきゃ!!」
急いでエトワのところに向かおうとしたルヴェールだったが、ライナスと話すのを止めて離れたとたん、すぐに多くの男達に囲まれた。
身動きがとれなくなって、イラッとしているはずなのに、それを微塵も感じさせずに笑って応えている。
「姉様、外面が良いからなぁ」
いつも、ライナスにするように蹴飛ばせばいいのにと思っていると、後ろからからかうように自分の息子に声を掛ける男がいた。
「おう、ライナス。デルフィーヌ様とはうまくやってたようじゃないか」
「父様、それは12歳の息子に対しての適切な切り出し方とは言いかねますね」
そう突っ込まれたアンブローズは、自分が12の頃ってどうだったかな、と考えたが剣の練習に打ち込んでいたこと以外、よく思い出せなかった。
「え? そうか?」
「女の子の話は、あと1~2年ほど早いかと」
「す、すまん。気をつける」
「まあ、姉様達とは違った魅力のある方だと思いますけど、なんだか人形みたいで」
「人形ね」
アンブローズは何かを考えるように、未だに挨拶を受け続けているデルフィーヌに目をやった。
「それより、父様。随分長いこと話し込んでいらっしゃいましたね。何か楽しいお話でも?」
「いや、どっちかというと全然楽しくない話だな」
と、ライナスを振り返ったアンブローズは、デッカード衛士長としていた話をかいつまんで教えてくれた。
「ふうん」
これはちょっと利用できるんじゃないのかと、ライナスは考えていた。
息子の雰囲気が少し変わったことに気がついたアンブローズは、またぞろ何かとんでもないことを始めるんじゃないかと訝しみ、どうにも難しそうな顔をして考え込んでいる12歳の息子に、おそるおそる茶々を入れてみた。
「ところで、これは12の息子とするのにふさわしい話かな?」
ふと我に返ったライナスは、「確かにそうとは言えませんが……」と言葉を濁した。
「どうした?」
そう聞かれたことに気がつかず、ライナスは考えていた。
(賭博、賭博ねぇ……)
(明日の北武会、公式のブックメーカーが出てるし大金も動くだろう。公式のブックメーカーを通すと当然税金と手数料が引かれるわけで、それをいやがる人たちや大金の出所を探られたくない人たちが、絶対ノミ屋にも群がるはずだ)
(タルカスはほとんど無名だから、そこそこの有名人と当たって、うまくオッズを調整してやれば、最終的には50:1~100:1くらいにはなるだろう。1億クラウドも賭ければ100億クラウドくらいのダメージを与えてやれるな)
(姉様はうっとり、僕はがっぽり、ゴラムの連中はげっそり。うん、いいじゃない)
「ねえ父様。金貨を1000枚ほど用意できませんか?」
返事もなく黙り込んだ息子が、突然そんなことを言い出したのを聞いて、アンブローズは口に含みかけていた酒を思わず吹き出した。
「なんだと?」
「いや、そしたら、そのデッカードさんでしたっけ? の悩みも解決できそうな気がするんですよね」
アンブローズは一瞬、一体こいつは何を言っているんだという顔をしたが、すぐに気を取り直して、ライナスを壁際に引きずっていき、声のトーンをひとつ下げた。
「簡単に言うが1000枚というと1億クラウドか? 領地の税収の半分に近い額など簡単に用意できるわけがなかろう」
予想していたとはいえ、リネア領は思った以上にビンボーだった。土地はまあまあ肥えているし水もあるから食うには困らないのだが、なにしろ現金化できる産業に乏しいのだ。
「まあ、200枚がせいぜいだな」
それを聞いて、ライナスは驚いた。小麦収穫前のこの時期に、200枚もの金貨が用意できるとは思わなかったのだ。
税収が全部で金貨2000枚なら、最ビンボー期とも言えるこの時期に、その10%ものカネがあるというのは驚くべき事だった。
(200枚か……うまくいって20億クラウドだと大打撃と言うには少し弱いかな)
しかし、領地の税収が2億クラウドしかないのだ。報告義務もなければ、国庫に納める税も不要な、10年分の税収だと考えればなかなかに美味しい、ライナスはそう考えた。
「それを使わせて頂いても?」
「なに?」
無理を承知で聞いたライナスだったが、アンブローズは少し驚いた顔をしただけで頷いた。
「……まあこれはもともとお前の学費として貯めたものだから、お前が自由にしても構わんが。すぐに必要になるぞ?」
来年から通う学院の費用だときいてライナスは納得したが、それより学院に通うのに2000万クラウドもかかるのかと、ちょっと驚いた。
しかし不敵に笑って、「大丈夫、すぐに戻ってきますよ」と言ってみた。
(いや、我ながらうさんくさいな。姉様じゃないけど、詐欺師と言われても仕方がないかも……)
「もちろん何に使うつもりなのかは、聞かせてもらえるんだろうな?」
「それはまあ。実は……」
ライナスは、ノミ屋を利用してゴラムの連中からお金をはき出させるプランを簡単にアンブローズに耳打ちした。
それを眉をひそめながら聞いていたアンブローズは、話を聞き終わると深くため息をついて壁にもたれ、腕を組んで、とんとんと2回、左の人差し指の先で右腕を叩いた。
「ライナス。その計画には2つ問題がある」
「なんです?」
「ひとつは、言うまでもなくタルカスが勝てるかどうかだな」
確かにそれは問題だ。しかしアリエラの婚姻が賭かっているのだから負けない算段はしてあるわけで、ライナスにとって、これはちょっとした余録に過ぎなかった。
「大丈夫ですよ。姉様が負けることを許しませんから」
ライナスは、いまだに何人もの男性に囲まれているアリエラの方を見ながらそう言った。
それを聞いたアンブローズは、あまりに酷い根拠に、眉を八の字にした。
「いや、相手のある勝負事というのはそういうものではないと思うのだが……まあいいか。それがクリアできたとしても、相手が実際に払うかどうかは別の問題だぞ?」
「信用を失ってまでですか? 払わなければ二度とそういう商売はできないでしょう」
「信用を放り投げたほうがまだましだと思えるくらいに負債が嵩めば、そうしてしまうのが人間だ」
確かにその通りだが、今回に関して言うなら、ライナスはそれもあまり気にしていなかった。
衛士隊だって、まともにやればゴラムに打撃を与えるくらいの戦力はあるはずなのだ。ただ、それを振るう適切な理由がないだけで。
そう、建前が必要な表の組織にとって、重要なのは力じゃなくて、それを振るう理由だ。
他人のカネを問答無用に奪い取れば犯罪だが、それがあくまでも取引の結果なら正当な権利だ。犯罪ではない。そこが重要なポイントだ。
「まあ、そこはなんとでもなりますよ」
「お前の話は、普通に聞いているだけだと、子供の戯れ言にしか聞こえんのだがなぁ……」
自分の息子の異常な優秀さを嫌と言うほど知っているアンブローズは、そう言うと、給仕に持ってこさせた紙に、何かをさらさらと書き付けてライナスに渡した。
「それをもって商業ギルドへ行け。金貨200枚を渡してくれる」
「え? あ、ありがとうございます!」
「ま、戻ってこなくても、お前が学院へ行けなくなるだけだから心配するな」
「あうっ……」
「貴族の跡取り息子がベリタス学院に入学しないとは、なかなかレアなケースだな」
「父様ったら」
ははははと声を出した笑うアンブローズをジト目で見ながら、ライナスは翌日の段取りを考えていた。
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