§1-05 懇親会(前編)

聖探の儀も終わり、現在ダリウス辺境伯の屋敷では、パーティルームと、庭に面した大きなバルコニーを使って、例年通りの懇親会が開催されていた。

昼のパーティだけに、簡単なビュッフェ形式で、話をすることが中心のしつらえだ。

そこには今年12になる子供を持つ貴族の家族を中心に、北部の主要な貴族家が招待されていた。


「ふわぁ~」


ライナスは壁際で、隠れてこっそり大きなあくびをした。


「ライナス。寝てはだめですよ」

「いや、母様、わかってはいるんですけどね」


ライナスたちのすぐ側では、アリエスとルヴェールが若い男女に囲まれて社交に励んでいた。


(あんたたちが主役の会なんだから、さぼっちゃだめだよ。なんていってたくせに、結局こうなるんだもんな)


ふたりは適齢期前後だが婚約者もおらず、美貌、魔力の多さ、魔法の実力と3拍子そろった優良物件だ。

普段はガードの堅い父様が高い壁として立ちはだかっている以上、直接アピールできるこういう場所は千載一遇のチャンスとも言える。

しかも大部分の貴族家よりも身分が同等以下の男爵家。声をかけてもマナー違反にならない存在として、引きも切らずに話しかけられるのは必然だ。


(まあ、僕から見ても姉様たちに足りないのは常識くらいだから……)


「今何か、失礼なことを考えなかった?」


ぼんやりそんなことを考えていたら、にっこり笑うルヴェールが目の前に立っていて、ライナスは酷く驚いた。


「な、なんのこと? タ、タルカスはどうしてるかなーと考えていただけですよ」

「タルカスでしたら、懇親会の間に、北武会の予選を見ておきたいと言ってましたから許可しておきましたよ」


アリエラが近くの給仕からグラスを受け取りながら、そう言った。

ライナスは、どうして自分の従士に姉様が許可を出すのですか? と突っ込みたいのはやまやまだったが自重した。


(僕は地雷は踏まないのだ。えっへん)


「ああ、それはどうも。しかし、タルカスは貴族推薦枠で本戦からの出場だったのでは?」

いささかの油断もしないところが、彼のいいところなのです」


アリエラが少し頬を赤くして、ふんすと気合いを入れる。冷たい美貌の笑顔とそんな可愛らしい仕草のギャップに、こちらをちらちら見ていた若者達がノックアウトされていた。

ライナスにしてみれば、単なる小心者じゃないのと思わないでもなかったが。


「そんなことより、うちではアンタが主役なんだから。ほらちゃんとお姫様に挨拶してきなさい」


そういうルヴェールの視線を追いかけると、そこにはデルフィーヌ様への長い挨拶の列ができていた。


「列はまだ長そうじゃないですか。どうせうちは最後の方なんですから、ゆっくりでいいんですよ」

「ばかねー、最初から列に並んでいたのと、列が無くなりかけてから移動するのとでは、辺境伯様へのアピール度が違うでしょ?」

「そういうものですか? じゃあ、姉様なら並びます?」

「ばかねー、並んでたら美味しいものも食べられないし、他の人とお話もできないじゃない」

「……姉様、言ってることが違う」


ライナスは、ぶつぶつ言いながらも、ふたりに追い立てられて、仕方なく列に向かって歩き出した。

そのとき、進行方向にいた3人組が、ライナスの方を見て嫌な笑顔を見せながら、何か話していた。ライナスは、それを見て、『あー、これはダメなやつっぽいぞ、面倒な』、などと考えていた。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


その頃、アンブローズは、少し離れた場所で、がっちりとした年配の男と話をしていた。


「お久しぶりです、デッカード隊長」

「隊長はよしてくださいよ、アンブローズ男爵。あなたの方が爵位が上なのですから」

「隊長の敬語は大変気持ち悪くて痒くなりますので、止めていただけると助かります」


アンブローズがまじめそうな顔を作って、そう言うと、デッカード隊長と呼ばれたがっちりした男が吹き出した。


「何てことを言うんだブローズ。エトワも一緒に来てるのか?」

「はい。あちらに。今年は息子の聖探の儀でしたので、皆で参りました」

「おお。ライナス君だったか。もう12になるのか。俺も歳をとるはずだな」

「なにを仰います。まだまだお若いではありませんか」


デッカード=アーベン騎士爵。

人呼んで、民を守ることに人生を捧げた男。


エトワやアンブローズが有名になった、18年前の、2万の帝国兵を、僅か千の兵で足止めした戦いで、事実上兵を纏めて戦ったのがこの男だ。

その時の功績で、武を貴ぶ傾向の強いダリウス辺境伯が主催するパーティには騎士爵でありながらも、正規の貴族と同様必ず招待されていた。


現場で活躍するエトワやアンブローズほど目立ちはしなかったが、上官が逃げた後の兵士の士気を維持し、補給を細いながらも維持し続けたこの男の偉大さを、当時の部下達は未だに誰も忘れてはいなかった。


腕もキャリアも騎士団の団長くらいは簡単にこなせるくらいのものを持ちながら、いまだに現場に拘り続け、衛士隊の士長職に甘んじている。


ダルネルシア衛士隊は、対外戦力の意味合いが強い騎士団と対になる組織で、都市の治安と防衛を担当している。

第1~第3の三つの衛士隊を衛士監が纏めていて、各隊には隊長と、8つの12名からなる小隊が割り振られている。この小隊の長が士長だ。

最もそんな男故に、有力貴族の係累上がりの衛士監や隊長達には疎まれているという話も耳にする。嘆かわしいというのは簡単だが、それが世間というものか。


「先日だって、ついに奥様を迎えられたのでしょう? 直接のご挨拶が遅れて申し訳ありません」

「この歳になってはいささか恥ずかしい気持ちもあるが、なんというか縁があってな。贈ってもらった魔道具は大変ありがたく使わせていただいているよ。しかし、最近ではあまり構ってやれなくて、可哀想なことをしていてな」

「お忙しいのですか?」

「ああ、ここのところゴラムの連中が妙に活発でな。突然大規模な新興組織が登場したりしていて、情勢が不安定なんだ。街が発展するのは良いが、カネの匂いに釣られてやってくる輩が多いのは困ったものだ」


デッカードは、憮然としてそういうと、手にした酒を一息にあおった。


ゴラムは一般に街区犯罪組織を意味する名称だ。それぞれのゴラムは自分達のことをファミリーと呼んでまとまっている。

認定機関があるわけではないので、その実体は、単なるチンピラの集まりから、犯罪の互助組織、そして犯罪帝国と呼ぶにふさわしい階級組織まで様々に渡る。


「潰しても潰しても雨後の竹の子のごとく生えてくる。やつらの資金源に大きな打撃を加えられればしばらくは大人しくなると思うんだが……」

「資金源と言いますと?」

「まあ、そういう輩の資金源というのは昔から、酒・女・賭博と相場が決まってるな。あとは違法な商売か? 大手は貴族連中と連んでやりたい放題さ」


後半は、声を落として耳打ちするようにささやいた。


「しかし酒場や娼館を片っ端から潰すわけにもいかんしなぁ。なんとも歯がゆくて、命がけで突っ込んでくる敵兵を相手にしている方がマシな気分になるよ」


デッカードは空になったグラスをもてあそびながら、小さなため息をついた。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


いやな予感を感じながらも、列に向かって歩いていくライナスに、色白で髪もプラチナブロンドに近く、薄い青の瞳の少年が、上目遣いに気持ちの悪い笑顔を張りつけながら、近づいてきた。


「んんー? そこにいるのは昼松明殿か?」


(殿ときたよ。てか、こいつ誰だろう? 話しかけてきたからには男爵家以上の貴族であることは間違いないだろうけれど……ま、ここにいる人なら大抵はそうだからな)


昼松明の名前を知っているからには、聖探の儀の時、あの場にいたものであることは間違いないのだろうが、ライナスには全く見覚えがなかった。


「さて、なんのことだかわかりませんが、どちら様でしたでしょうか?」

「なんと、このお方のことを知らないとは、どこの田舎ものだ?」


白君しろのきみの左側に付き従っている、やせたのっぽでそばかすのある赤髪の男が、揶揄するようにそう言った。


「これは失礼。貴族年鑑に肖像画も掲載されていない貴族の方のお名前は中々存じ上げる機会がございません。田舎者ゆえご容赦いただきたい」


貴族年鑑に挿絵も載せられない程度の貴族の顔なんかしるかよ。と煽ると、白君がすぐに気色ばんだ。


「なんだと?」


なんとも、沸点の低い男だなと警戒していると、白君が何かしようとする前に、右側に付き従っていた少年が彼を押さえるように前に出た。


「名乗りも上げず、失礼。私はソービニヨン子爵が次男、ロッシュ=ソービニヨン。こちらはマルコフ伯爵のご長男であらせられる、ルセント=マルコフ様です。以後お見知りおきを」


(おお、やるなこいつ。こいつがルセントとやらのお目付役なのかな。しかしのっぽの紹介はしなくていいのか? スルーされたのが気に入らないのか、なんだか顔を赤くしてるようだが……ま、いいか)


「これはご丁寧にありがとうございます。私は――」

「知っている! お前など昼松明で充分――」

「――昼松明でございます。こちらこそお見知りおきを」


にっこりと笑いながらライナスがそう名乗りを上げた瞬間、ロッシュが渋面を作った。しばらくぽかんとしていたルセントとのっぽもバカにされたのがわかったのだろう、手に持ったグラスを自分の方に引いた。


(おいおい、それを僕にぶちまけるつもりなのか? うちは貧乏なんだから服をダメにするのは勘弁して欲しいな。ええっと、何処かに丁度良い人は……あ、ガンコじじいがいた!)


ルセントのグラスが素早く突き出されようとしたとき、ライナスが浮かべた微笑みは、少しだけ邪悪だったかもしれない。それは誰の目にも捕らえられることはなかったが。


「くそやろうがっ!」


ルセントがそう叫んで、飲み物をぶちまけた先には、サイドバーンズの立派なヒゲをがっちりした顎に蓄えた初老の男が立っていた。

男と話をしていた者達から小さな悲鳴が上がり、歓談の喧噪の中に真空が生まれる。


「え?」


何が起こったのか理解できないルセントは、ただ呆然とそれを見ていた。

赤い液体を白いシャツと顔にぶちまけられた男は、慌てず騒がず胸ポケットからチーフを取り出すと、顔にかかったしぶきをぬぐいながらルセントの方を見もせず、静かに尋ねた。


「それで、何がくそやろうなのかね?」


その男は、北部一のガンコ者で有名なガビル子爵。古いしきたりや序列を大切にする典型的な貴族だ。

彼らを中心に静寂の輪が広がっていく。

何かが起こっていることを察知した3人の父親が慌ててそちらに向かっていく様子を尻目に、この混乱で一時的に乱れて無くなった列を無視して、ライナスは挨拶をするべくデルフィーヌへと近づいていった。

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