第1章 タルカスの受難
§1-01 聖探の儀(前編) ライナス12歳
その日、空は青く澄み渡り、清冽ながらも微かに柔らかさを含んだ朝の空気が春の訪れを主張していた。
石畳の道を行く人たちは、みなよそ行きの恰好をして、どこか浮かれたような雰囲気を纏っている。
楽しげに声を立てて笑いながら、まだ子供のあどけなさを残す女の子が、母親らしい人の手を引っ張って駆けていく。
その先では、同じくらいの歳の男の子が、父親らしい人に何かを真剣に訴えている。
これらはみな、本日行われる「聖探の儀」のために集まってきた人たちだった。
ここは、ダリネルシア。ベリタス王国の北部を纏める、ダリウス辺境伯領の中心都市、いわゆる領都というやつだ。
「聖探の儀」は、もともと教会が聖属性を持った人材を発掘するために始めた儀式だったが、今では広く魔力を調べる儀式へと変容していた。
人々はその儀において自分の属性を知らされ、魔力の多さ――それはすなわち才能と言い換えても良いが――によって、魔力ランクが付与される。
そうして、それを以降の人生の指針にするわけだ。
魔力ランクの高いものが、貴族から生まれることが多いとはいえ、平民が思わぬ力を持つこともある。
「広く才能を探す」その目的に従って、聖探の儀は今年12歳になったものであれば、誰でも無償で参加することができた。
そのため今では、同時期に武闘会なども開催される、一種のお祭りと言っても良いイベントとなっていた。
「はぁ~」
そんな中、ちっとも清らかでも楽しそうでもない大きなため息をつきながら、少し眠そうなダークブラウンの髪と目をした少年が肩を落としながら歩いていた。
彼の名前はライナス=リネア。
ベリタス王国の北部領の中でも南東の端にあたる極々小さな領地を十数年前に与えられた男爵家の長男だ。
「どうしたの? ライナス」
銀色の髪をまとめ上げた美しい女性が、全身でショボーンを表現しながら近づいてくる男の子に声をかける。
「いえ、なんでもありません、
ライナスと呼ばれた少年は、母親の方を見もせずに、力なくそう答えた。
「母様、母様。ライナスったら、司祭様のお言葉で傷ついちゃったのよ、いっちょまえに」
少年の後ろから、少し年上らしい愛くるしい女の子が、ふわりとしたアッシュブロンドを掻き上げながら、面白そうに母親に向かってそう言った。
「ルヴェール姉様!」
少年は彼女の方を振り返って抗議したが、彼女はまったく意に介していないようで、ふふんと鼻を鳴らしてそれに応えた。
母親は不思議そうな顔をして、女の子に尋ねた。
「司祭様に?」
「そうそう。儀式の前にメンデレエフ司教とお会いしたでしょう? そのときの話を聞いていらっしゃったようなの」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
それはその日の朝早く、ライナス達が聖探の儀の順番を待っていた時のことだった。
「ライナス。起きなさい」
「んあっ……」
立ったまま舟をこいでいた少年が、カクンと頭を落とすと同時に目を開き、慌ててよだれをふきながら、まばたきを繰り返した。
「そろそろなのですか、母様?」
「まったくあなたは。こんなところで立ったまま眠るなんて、相変わらず器用ですね」
穏やかに笑いながら母親が、彼の頭をなでる。
「だって、母様。まさかこんなに朝が早いとは」
儀式自体は無償で行われる上に、すでにお祭りイベント化していることもあって、住民はほぼ全員が参加している。12歳に限ったところで、相当な数になることは想像に難くなかった。
貴族は当然、平民に先んじてその儀が行われるのだが、儀式自体は身分の逆順に行われることが慣例となっていた。
例年、ダリネルシアで行われる聖探の儀の後には、そこを治めるダリウス辺境伯の主催で懇親会のようなものが開かれる。そして、それは、その年に聖探の儀を受けたものが正式に社交界デビューするパーティでもあった。
聖探の儀を終えた高位の貴族を懇親会まで長く待たせるのがよろしくないというのが本来の理由だったが、高位の貴族の方が大きな力を持っている子供が多く、トリに近く人も集まりやすい時間帯にそれが発表される方がイベント的にも盛り上がるという理由もあるようだった。
いずれにしてもその後に平民の儀を控えている以上、貴族の最初の者はほぼ日の出と同時に儀式が始まることになる。
ライナスの家は男爵家であるため、序列としては下から数えた方が早い。それで、なかなかに早い時間帯を指定されたのだった。
「これはこれは、リネア男爵夫人」
ライナスがあくびをかみ殺していると、不意に横からゴージャスな神服に身を包んだ、50過ぎにみえる大柄な男が声を掛けてきた。
「昔のようにエトワで結構ですよ、メンデレエフ司祭様。いえ、そう言えばもう司教様になられたんでしたっけ? お久しぶりですね」
司祭のローブの飾り紐は
「ははは、ただ長く務めているだけですよ」
メンデレエフ司教は、剃りあげた頭をぺしぺし叩いて照れ笑いをこぼした。
「ライナス、こちらへ。ご挨拶なさい」
ライナスは眠そうだったのが嘘のように、キリっという音が聞こえそうな顔で静かに歩み寄ると、「初めまして司教様。アンブローズ=リネアが長男、ライナス=リネアと申します」と慇懃に頭を下げた。
普段は『少し』だらしないが、父親のアンブローズも整った顔立ちだし、母親のエトワの若い頃に到っては、銀の姫君の名を
その二人の血を引いたライナスの顔が整っていないはずがない。ただし、まじめな顔をしていれば、だが。
普段は眠そうな顔で領地をふらふらしていたため、口さがない人達には影でこっそり『昼松明』なんて呼ばれていた。
昼に松明をともしても役に立たない。もっとも無駄なだけで、たいして害もないのだが。
「ほう、これは利発そうなお子様ですな。エトワ様のお子様と言えば、アリエラ様の時もルヴェール様の時も驚かされましたからな。男爵家の跡継ぎともなると……どのような結果になるのか、今から楽しみですな」
メンデレエフ司教は相好を崩しながらそう言った。
ライナスには二人の姉がいる。
長女のアリエラは、現在17歳。
火・風・闇の3属性に加えて母親譲りの莫大な魔力で、もし戦争でも起こっていたら英雄になっていたであろう逸材だと当時から言われていた。
その高い攻撃力に加えて、美貌まで受け継いだものだから、年頃になってからは求愛するものが引きも切らずに押し寄せている。
つい先日も、内々に次期伯爵の第2夫人にと望まれたが、本人は、愛し愛される人の元に嫁ぎますと、次期伯爵に肘鉄を食わせた
そういった非常識を、18年前の帝国との戦争の前線で出会い、そのまま恋愛結婚した父と母は好きにしなさいとばかりに温かく見守ってしまう始末。
それが後に『タルカスの受難』と呼ばれるようになる騒動の発端となった。
次女のルヴェールは、現在14歳。
こちらも一昨年の聖探の儀では、土・水・聖の3属性に加えて、姉のアリエラをも凌ぐかもしれない魔力の量を示し、14歳時点で魔力ランクはA+。
正統派美人の姉と違い、整った顔立ちながらもアッシュブロンドのふわりとした髪が、かわいらしさを強調している。
性格は明るく、貴族とは思えないその気安さも相まって、領地の平民の人気も極めて高い。
二人の姉を合わせれば、ほぼ完全な6属性をカバーする、貴族の間でも有名な姉妹だった。
いずれも当時司祭であったメンデレエフが聖探の儀を執り行っていた上、ルヴェールは教会が探し求める聖属性の持ち主だ。強く印象に残っていたのだろう。
「いえ、領地の経営に生半可な魔法など大して役には立ちませんからね。健康で長生きしてくれればと願っております」
「エトワ様が仰られると説得力が違いますな」
エトワ自身が火・風・水・土の4属性を操り、18年前の戦争では現当主のアンブローズと二人、千人ほどの軍勢で帝国2万を足止めした
領地を持たない貧乏男爵家だったアンブローズは、その功で領地を賜るが、功績にふさわしい領地が王国内になかったため、王国の東の果て、北部と中央部の境にある小さな領地に加えて、さらに東に広がる迷いの森の開拓権を与えられた。
それは『迷いの森を切り開いた部分は全て自らの領地にして良い』というもので、もし森のすべてが開拓できたとしたら、それは、現在の王国全土に匹敵する大きさの領地になるだろう。無論、浅い部分ですら強力な魔物が跋扈し、深部にはドラゴン級が多数棲んでいると言われるその森を開拓できれば、だが。
それはまさに絵に描いた餅。つまりは、不可能事を押しつけてごまかした、というわけだ。
それでも二人はその土地に、今では本村と呼ばれる小さな街と、ふたつの村を作って、なんとかやっていけるめどをたてた。そのエトワが魔法を「領地の経営にはさほど役に立たない」と言ったのだ。なかなかに説得力があるだろう。
その時、教会の荘厳な鐘の音が聖探の儀の始まりを告げた。
「おお、もうこんな時間でしたか。ではまた」
そう言って、司教は教会へと足早に向かっていった。
「さて、母様。僕もそろそろ行ってきます。魔法陣の中に立って、ぼーっとしてれば良いんですよね?」
「まあ、そうだけど……でも寝ちゃダメよ」
「さすがにそれは……」
ライナスは、まったく信用ないんだもんな。とぶつぶつ良いながら、教会に向かって歩き始めた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「あのときの?」
「そうそう。司祭様ったら、その話をメンデレエフ司教様から伺ったらしくって、ものすごく期待なされていたみたい。だけど蓋を開けてみれば、魔力こそソコソコとはいえ膨大というわけでもないし、属性にいたっては無かったでしょ?」
「姉様、無属性と言って下さい。なかった、ではなんだかなにも無いように聞こえるではありませんか」
「大して変わらないじゃない」
「違います!」
ライナスは憤りながら姉の言葉を訂正したが、ルヴェールは何処吹く風でそれを聞き流す。
「それでね、母様たちの話を聞いていた司祭様がガッカリして、『キミ、昼松明というのは本当だったのか』って仰ったの」
ケラケラ笑いながら、おかしそうに司祭の真似をしてそう言う姉を、ライナスは憮然としながら睨んでいた。
「まあ。それは大変だったわね」
エトワは、笑いながらライナスの頭をなでた。
「だけど、いっつも自分で言ってることじゃない。それで傷つくなんて変なの」
「姉様。自分で言うのと、大勢が見ている前で他人に言われるのでは大きく違います。違うったら、違うのです」
大きな蛙の腹のようにぷく~っと膨らましたライナスの頬を、ルヴェールが人差し指でつついて、ぷっと口から空気が漏れるのを楽しんでいる。
これでこの姉弟は仲が良いのだ。
「結局ライナスは、魔力ランクがC+で、属性は無し」
「無しではありません! 無属性です!」
「そこは譲れないんだ。まあ、あんたに才能がないのはわかってたけどね」
ルヴェールが、あれほど私やアリエラ姉様が鍛えてあげたのに、とぶつぶつ言ってるのを聞いたライナスは、『いや、あれって鍛えるとか言う問題かな?』などと、そのときのことを思い返していた。
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