32 狼ヘッドのコボルト娘の悩み


 明神市旧市街。

 亜人が住む新市街、人間が住む旧市街と言われてはいるが、それでも旧市街は他の街に比べ亜人が多い。

 とはいえ、やはり新市街に比べれば数は少ない。


 だから、とあるバーで働くバーテンダーは、その夜来た客に「珍しいな」と思った。


 女性だろうか、彼女の頭は狼だった。

 獣人というわけではないのだろう、手は人間のそれだ。

 彼女は一人で来て、バーテンに促される前にカウンターの一席に座る。


「何かきついのを」


 飲みたい気分、という奴なのだろう。

 バーテンは気を利かせ、ウィスキーを大量の水で割ったものを出した。

 彼が出したウィスキーは味が濃く、大量の水で薄めても酒の味はしっかりするし、色も濃い。

 しかしアルコールはそれなりに薄められる。


 バーテンの予想通りにその客は出されたグラスを煽った。


 今日は平日の夜。

 客も少ない。


 ウィスキーは飲み慣れない物にとって、少々の薄め過ぎてもきつい味に感じる。

 これがアルコールか、と感じるのだ。

 実際には樽の香りがついているだけなのだが。


 だからだろうか、一息で飲み干した狼頭の彼女は顔をしかめ、


「同じの」


 とバーテンに要求する。バーテンは同じものを彼女に背を向けて作り、彼女に差し出す。


 受け取った彼女はすぐに煽り、半分近く飲みきった。


「う」


 口元をしかめて大きな口の横から牙を見せ、呻く。

 相当慣れていないのだろう。


 普段飲んでいるのは、コンビニで買えるような甘いチューハイか発泡酒ぐらいだろうか、とバーテンは考え、すぐにやめた。

 詮索が仕事ではない。


 静かに、しかしいつもとは違う環境で、違う酒を飲みたいこともあるだろう。


 バーテンがサービスの豆菓子を差し出す。

 狼頭の女性はそれを摘み、酒を少しだけ啜るように飲む。


「うぅぅ……」


 カウンターに顎を乗せるように彼女は伏せる。


「名古屋に帰りたい……」


 目を閉じ、でろんと舌をだらしなく出して彼女は呟いた。


「どうかしましたか?」


 グラスを拭く手を止め、バーテンは彼女に話しかけた。


 彼女は体を起こし、薄く開いた目でバーテンに顔を向けて、話しはじめる。


「狼頭のコボルトって、凄く肩身が狭いんです」


 バーテンは昔調べた亜人についての情報を思い出す。

 明神市で商う者にとって、数が多い亜人について調べておくことは必須だ。


 コボルト、狼頭ときて、バーテンははたと気付く。


「狼頭のコボルト、たしか無条件にコボルト達から敬愛されると聞いています」


「ええ、他のコボルト達からは丁寧に挨拶されます。上司からも……。あたしまだ巡査なのに。ノンキャリなのにーなんでキャリア組に敬語使われるんですかー」


 彼女はそう言って、またカウンターのテーブルに伏せる。


 組織の上下関係と種族としての文化が噛み合っていない、ということらしいとバーテンダーは思う。


「お陰で他の、人間の同僚達からなんか変な目で見られて……」


 人間関係による相談は受けたことが有り、いくらかアドバイスもしたことがある。

 しかしバーテンには彼女の悩みをアドバイスだけで解消できるとは思えなかった。


「名古屋はよかったな……人間しかいなかったもん」


 日本に土着したコボルトは殆どが関東から東北に掛けて住んでいる。

 名古屋のコボルトは珍しいのだろう。


 バーテンは少しだけ迷い、ミントリキュールを少しにジンを加え、ライムシロップと共にソーダ水にいれステアした。

 それをカクテルグラスに注ぎ、悩める女コボルトに差し出す。


「きついだけのウィスキーより、爽やかな気分で飲んだ方が多少は気が紛れるかと」


 緑色の液体が、ライトの関係でエメラルドのように輝いている。


「それと飲み過ぎは体に良くありません。ぐっすり寝て、それから考えた方が解決作が見つかるやもしれません」


 女性は少し悩み、ウィスキーのグラスを置き、差し出されたカクテルグラスを受け取った。


「そうします。これ、戴きますね」


 一口飲もうと、彼女は口を少しだけ開き、横側から注ぐように舌の上にお酒を乗せる。

 グラスの半分。


 ミントの冷涼にライムの酸味が舌を刺激する。

 しかし優しい甘さが冷たさだけではない味を彼女に与えた。


「……おいしいですね」

「ありがとうございます」

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