恵方

 もぐもぐもぐもぐもぐ――


 狭い部屋で、取材相手は椅子に座って壁を向いている。

 キャップをの向きがそのままだと、帽子のつばが壁に当たるようだ。だったら、いまの間だけでも脱げばいいのに、神宮流星監督は、帽子を逆向きにかぶる道を選んだ。

 そのせいで風見は、帽子のロゴを見つめながら恵方巻きを無言で食べている。


 丸かぶりの最中に心の中で唱えたものが、願いとして叶えられるのだとしたら、神様も困りそうだ。帽子のロゴである『男と女』を頭の中でリピートし続けて、恵方巻きを八割方食べてしまっている。

 もっとも、恵方巻きの丸かぶりのルールをいまいち理解していない。だから、願いを心の中で唱えるというのすら間違っているのかもしれない。


 もぐもぐもぐもぐもぐ――


 先に食べ終わったのは取材相手の流星だ。

 流星は椅子に座った状態で向きを正す。ペットボトルのお茶を飲みながら、帽子をかぶり直していた。ロゴの『男と女』から逃げることができぬまま、風見もお茶で恵方巻きを流し込む。


「ごちそうさまでした。むっちゃ具だくさんだったけど、高かったんじゃないの?」

「気持ちよく仕事をしてもらうために、買ってきたものだったからな。安物は用意できねぇよ」

「わざわざ僕のためにだったら、多すぎない?」


 恵方巻とお茶、それぞれが大量に入った袋が二つ、テーブルの上を占領している。


「風見のためなわけねぇだろ。今日、雇った女優たちのためだ。あいつら、食が細いんだよ。いい店に連れてっても、高い肉をちょっとしか食わないしよ」

「体型維持とか色々あんだよ。撮影風景の見学させてもらったけど、みんな可愛かったじゃんか」

「オレの彼女のほうが美人で可愛いけどな」

「ああ、はいはい。そうだね」


 投げやりな相槌しか打てなかった。

 下手に食いついて同意したら、オレの彼女を狙ってんのかと、流星に面倒な絡み方をされかねない。


「けどよ、一本ぐらいは食ってけよって思うだろ。もったいないじゃんか。まともに食えなかった時期を共に過ごしたオレらの若い頃に分け与えてやりたいぐらいだよな」

「いやいや、いまだって僕はそこまで儲けてないからね」

「だったらちょうどいい。欲しけりゃ持って帰っていいぞ」


 女優のサイン色紙が入ったカバンに、風見は恵方巻きをつめていく。


「遠慮すんなよ。袋ごと持って帰ってもいいぞ」

「そんなに持って帰ったら、腐らせちまうだろ。とりあえず、二、三日は巻き寿司で過ごせそうだ。ありがとよ」

「なんにせよ、晩飯時はちゃんと今年の恵方を向いて食えよ」

「は? 自信満々で壁のほう向いてたのに、今年の恵方を知らなかったのか?」

「そもそも風見は、恵方ってのがなんなのか説明できるのか?」

「縁起のいい方角だろ」

「薄い説明だな。しょうがねぇ、オレがレクチャーしてやるよ」


 流星は得意げになっているが、覚えたての智識をひけらかしたいだけだろう。今回の撮影にあたって勉強したのだろう、どうせ。


「恵方ってのは、歳徳神としとくじんのいる方向だ。歳徳神ってのは、その年の福を司る神様でな。この神様がいらっしゃる方向は縁起がよく、その方向に向かってやることは、なんでも吉とされてるんだよ」

「なるほど。そこまで理解してたのに、いちばん大事な恵方を把握してないってのが、流星らしいな」

「らしいってなんだよ。バカにすんな。オレにとっての恵方は、あっちってだけだ。歳徳神が足元にも及ばない女神が、あっちにいるんだよ」


「は? いまいちわからんのだが? 女神? なに?」

「この方角に、遠距離恋愛中の彼女がいるってことだ。オレの女神だよ。女神! この世の奇跡! ほら、風見も崇め讃えよ」

「なんの無茶振りだよ、それ。お前の彼女なんて、おっぱいでかかったってイメージしかねぇよ」

「オレの彼女を狙ってんのか、てめぇ」

「でたよ、流星お得意の面倒な絡み」

「うっせぇな。豆ぶつけるぞ、コラァッ!!」


 その後、オッサン二人で豆まきをしたあと、取材を再開した。


「最近、監督として有名になってきたから、いずれは風見に取材してもらうときがくると思ってたが、こんなにはやいとはな。感慨深いぜ」

「泣き真似とかはいいから、まずは今回撮影したタイトルを正確に教えてもらえる?」


「素人娘の願いを叶えるお手伝い。恵方で反り立つ男根を丸かぶり。更には鬼の棍棒を素人のお豆で――えっと、なんだっけ?」


 監督なのに、流星はタイトルを覚えてはいないようだ。アダルトビデオの企画書を探している。


 職業柄、裸の女性を頻繁に見ているのに、遠距離恋愛中の彼女を女神と言って崇めている。

 実に流星らしいと、貧乏時代をともにした風見は思っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る