ゲームは一日一時間

 中国や韓国には以前から子供のゲーム時間を規制する法律があった。きちんとした罰則もあり、厳しく取り締まれば、ゲーム産業を滅ぼしかねないほどに現実味の欠けた内容だ。


 海外だからと他人事でいられたが、日本だって東京都にむちゃくちゃな条例がある。

 青少年健全育成条例。漫画やアニメを本気で規制すれば、それに準ずる産業を滅ぼしかねない。こんなアホな条例が存在する国ならば、日本でゲームに関する条例がどこかでうまれてもおかしくはなかった。


 ゲームは一日一時間。

 風見の年代ならば、子供の頃ファミコンをする際に誰かから聞いた名言だ。

 令和の時代になり、平日のゲームは一日六〇分、休日は九〇分。というルールがうどんと共に作られた。

 これで、次代を担う子どもたちの健やかな成長と、人々が健全に暮らせる社会の実現が果たせる――のか?




「ゲーム依存ってのは、過程・プロセスへの依存に分類されるみたいです。ギャンブル依存症や、借金依存症の仲間ってことですね」

「それだったら、一日一時間とか中途半端なことをせずに、ギャンブルや借金みたいに成人するまでは認めないってことにしたらいいのにね」

「そうは言いましても、子どもがゲームから学ぶこともあると思うんですが」

「一日たった一時間で何が学べるっていうのよ。毎日、一時間以上は峠やらサーキットで走り込んでたけど、スキルアップには足りなかったわよ」


 本日の取材相手は、引退した女子プロレーサーだ。現在は身体的な理由から、自動車の運転はレースゲーム内でしかできなくなっている。

 いまもネットに繋いで対戦し、ぶっちぎりの一位でレースが終わった。


 レース後にコメントを書きこむ対戦相手が、「この圧倒的な強さはK-toriさんでは?」や「復活したK-toriさんとレースができて感動です」などと騒いでいた。


「ねぇ、風見くん。K-toriってのに、よく勘違いされるんだけど、誰か知ってる?」

「このシリーズのゲームでは伝説的なプレイヤーの名前ですよ。活躍したのは二〇一三年の九月頃だけで、風のように消えていったみたいです」

「私がよく知る走り屋が、行方不明になった直後と時期が重なってるのは偶然かしらね?」

「さぁ。名前もあの人っぽいですよね。あの人は、苗字が川島ですけど。こっちは、川鳥ですかね?」

「もし、あいつなら、マッチメイクしてみたいわね。真剣勝負ができるなら、ゲームでもいい」


「ていうか、客観的に見たら峠では走り屋として、サーキットではプロとして名を馳せたあなたとマッチメイクできるほうが光栄だと思いますけどね」

「どうなんだろうね。そもそも、私のことを知ってる人と勝負したことあるのかな? もしかしたら、一人ぐらいはいたかもね」

「その口ぶりですと、いまだに正体を隠したまま、ランダムにマッチされた相手と走ってるんですね」

「一期一会の勝負を楽しんでるわけよ」


「最近のゲームに依存する子供達は、一期一会を楽しむだけではないんですよ。何度も同じ人と遊び、コミュニティを作って、それを大きくして社会や世界をつくりあげてるみたいです。そして、そこから世界の楽しさや厳しさを学ぶわけですね」

「わざわざゲームの中で学ばなくても、現実で社会や世界に関してはいくらでも学べるんじゃないのかしら?」

「そうは言いましても、子どもの頃に触れられる世界ってのは、やっぱり限定されてると思います。家庭・学校・塾などの習い事。ぱっと思い付くのはこれぐらいですが、ネットで拡張されたゲームの中には本当に色んな人間がいて、良くも悪くもなかなか体験できない世界が広がってる」


「でも、私はゲームが、そんな大それたものとは思えないんだけど」

「それは気づいていないだけですよ。たとえば、ストレス解消にあなたが走ってるレースで、もしかしたら対戦者の中には顔も知らない友達同士で、わいわい走ってた人たちがいるかもしれない」

「なるほどね。でもさ、ゲームの世界に片寄りすぎて、依存症になったら学ぶどころか本末転倒じゃないかしら? そうか。だから、ルールが定められたのかもね。子どもはまず、現実と向き合うべきだって」

「その考えのもと、ルールが作られた可能性はありますね。でもルールを決める大人が、ゲームの世界は現実と地続きだと向き合えてないから、おかしなことになっていますがね」


「現実社会とゲームの中の社会を隔離して考えるべきではない、ってこと? 確かに一理あるかも」

「そもそも対戦ゲームって、ネット環境がなかった頃だと、隣の相手と競いあうものでしたからね。それで白黒はっきりついたあとに、微妙な空気をゲーム後にも引きずるってのもままありました」

「それってあれに似てるわ。同じ道を走って、どっちが速いのか競う峠やサーキットでのレースに通じるものがあるわね」


「レースゲームにこだわらなければ、ゲームの中で社会ってのをもっと感じやすいものがいくらでもありますよ。そういうのに触れたことがあれば、ゲームが社会と繋がるためのツールなんだってわかるはずですよ」

「ツールって考え方をしたら、規制するのは時間制限じゃなくて、使い方っていう結論になりそうよね。危険な使い方をさせなければ、おのずと時間を奪われずにゲームという社会とも付き合っていけるでしょうから」


「ゲーム依存が仮に減ったとしても、その人たちが別の依存症に陥ったら、次代を担う子どもたちの健やかな成長と、人々が健全に暮らせる社会の実現は果たせないですもんね」

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