坂道のH手とO崎豊

 CDが一番売れた時代に、十代の多感な時期を過ごした。


 だが、風見の心に響いた音楽は、当時の流行曲ではなかった。

 一回り上の世代にとってのカリスマ『O崎』がうみだした曲の数々だ。盗んだバイクで走りだしたり、夜の校舎の窓ガラスを割ったり、町に埋もれそうな小さな花の名前を教えてくれる名曲。

 心揺さぶる歌を教えてくれたのは、中学からの同級生だ。風見は彼に敬意を称して同級生を『先生』と呼んでいる。


 カリスマは、1992年の4月25日に亡くなった。

 命日を悲しむよりも、誕生日を祝おうというのは、先生の弁だ。


 だから、カリスマの誕生日の11月29日には、先生と語り合うようにしている。

 何年も続けていて、近年では先生と旅館を予約し、宿に酒を持ち込んでカリスマの誕生日を祝う。


 祝いの場に劇的な変化が訪れたのは、2016年だった。

 死者の新情報なんて、そうそう先生でも用意できなくなっていたのだろう。2016年に、新たなカリスマが表舞台にあらわれたと、先生は教えてくれた。アイドルグループの絶対的センターの『H手』について熱く語っていた。


 そして、2018年。風見は先生との会話を記録することにした。


「ライブの2曲目で、カリスマがステージ脇のやぐらに登ったって話。風見は覚えてるよな?」

「自由になりたくないか~♪自由っていったいなんだ~♪って歌った名曲のときだろ」

「そうそう。その曲の最中に、七メートルの高さから飛んだ。落下してうずくまった彼はステージ裏に運ばれたが、演奏だけは続いていた。しばらくして肩を借りた状態で舞台に復帰すると、彼は歌い始めた」

「何度きいても、作り話みたいな実話だ。人並み外れたステージだな」

「だよな。その後も、抱えられた状態でアルバムタイトルになってる曲を合わせた二曲を歌いきったって話だ。伝説の骨折ライブだよ、本当に」


「読めてきたぞ。一昨年から先生が推してるアイドルグループもライブ中に骨折したもんな。しかも、年末に生放送でテレビ中継されるっていうあの大舞台でのライブだった。その裏話をしてくれるのか?」

「甘いぞ、風見。そっちも語るけど、まずは今年の夏のライブの話をさせてくれ。あそこにいた身として、誰かに自慢したいんだよ、おれは」

「夏のライブ? ああ。センターの子が復活した話をしてくれるのか?」

「あれも、良かったよ。それも話す。でも、最初に語りたいのはそこじゃない。全国アリーナツアーのファイナル、幕張公園二日目の千秋楽で起きた事件だ」

「事件?」


「絶対的センターが、目の前のガラスを割る曲のソロダンスで、花道を駆け抜けならがステージから落ちたんだよ」

「落ちたんだよな? 自分から飛んだわけじゃなくて?」

「どちらにせよ本質は同じだ。飛んだ彼も落ちた彼女も全力を出した結果だ」

「そういうもんか?」

「ちがったのは、彼みたいに彼女は一人じゃなかったってことだ。グループの強みだよな。センター不在のまま、自分たちの力で立ち直っていく姿に、個々の力の強さを感じたぜ」


「センターが落ちたっていうのは、どのタイミングでわかったんだ?」

「観客はライブのMCで発表されて知った。でも、まさか落ちたとは思わなかったよ。初っ端からセンターがぶっ飛ばしてたからさ。『最後まで持たねぇんじゃねぇか』って心配になるパフォーマンスだった。噂だと、公演前にセンターは『ごめんね』って謝ってたらしい。きっと、彼女の中で理想通りなパフォーマンができない現実に対して、歯がゆい思いがあったんだろう。そういう葛藤の中での千秋楽だから『あたしがやらなきゃ』っていう思いで全力を出した。花道がどこまで続いているのかもわからなくなるぐらいに、全力で突き進んだ」


「想像したら、鳥肌もんだな。あれで、高校二年ってのが末恐ろしい」

「おれは、センターの彼女が中学生の頃から推してた古参だ。だから、失礼ながらセンターが空いたままでのライブに物足りなさを感じてた。夏に彼女が復活するまで、他のメンバーがセンターを務めたライブもあったのに、今回は空いたまま。多分、運営側が『いつも通りにやってください』ってメンバーに指示を出してたんだろうな」

「なるほど。運営側からすれば、センターが戻ってきやすいようにっていう配慮しての判断ってことか」

「けど、それがライブにとってベターだとしてもベストじゃなかった。たしか、八曲目だった。花のない桜を見上げて~♪のソロダンス前に、フォーメーションがV字に開くところがあるんだよ。そのあと手をバーンって開いた瞬間に、真ん中に誰も立っていないのが不自然極まりないように感じた。メンバーも同じように思ったんだろうな。一人のメンバーが一歩前に出て、センターのソロダンスを踊りはじめた。あの曲の真髄でもある、ガラッと変わる瞬間に立ち会えたんだよ、観客は」


「衝撃的な展開だな。改めて、お前が推してるアイドルグループのすごさに度肝を抜かれたんじゃねぇの?」

「そりゃ、推しのセンターがずっといるのが最高だと思うよ。でも、それとはちがった側面がこのライブにはあった。おれが一番好きな曲でのアドリブも成功だったと思う。セカンドシングルでのセンターのセリフは、代わりに言ったメンバーの声がマイクオフのせいで聞こえてなかったのは残念だった。ファーストシングルでは、逆にセンターのモーゼ歩きを誰もしないっていう演出もよかった。全部みんな個々で考えて咄嗟の判断で動いたなら、さすがだぜ」


「そういやさ。センターがソロで歌うパートってのは、ずっと無音だったのか?」

「風見のばか。それも話そうとしてたのによ。聞けよ。そこは、おれが歌ったんだ!」

「はい?」

「正確には、おれを含めた会場のファンで代役をつとめた。歌ってくださいって、言われたわけじゃないのに。ファンが一体となって、熱唱したんだ」

「マジか。学生時代は、校歌斉唱で歌ってなかった先生が、熱唱するとは。人って変わるもんだな。そもそも、先生がカリスマの『O崎』以外に、ここまでハマるってのも想像できなかったし」

「ハッキリ言って、いまは『O崎』よりも『H手』のほうが好きだ。だって、ダブルアンコールで彼女が復活したとき、おれも号泣したからな」

「おれもってのは? 隣りの観客も泣いてたのか?」

「そんなのは、知らん。泣いてたのはメンバーだよ。ダブルアンコールで披露された曲の最後らへんで、センターの彼女がメンバーに向かって手を広げていったんだ。そこで、ほとんどのメンバーが号泣した。ここの演出ってのは、本来なら会場を煽ってそのまま下がっていくもんなんだ」


「センターの女の子は、観客ではなくメンバーに向かって手を広げた、と」

「そうだ。しかも、その時のセンターの彼女は笑ってたらしい。笑わないアイドルとして有名な彼女が、めちゃくちゃ笑ってったんだ。メンバーですら、あんな満面の笑顔は久しぶりに見たんだってよ」


「いい話じゃないか。メンバーの頑張りも勿論だけど。センターの子が無事に帰ってきて、裏でスタッフさんに『出たい』って言ったからこそ、実現できたダブルアンコールなんだな」

「そのとおりだ。絶対的センターが、自分と戦いながらも所属するアイドルグループを大好きでいるってのが、伝わった瞬間だった。もうね、おれに出来るのは感情を爆発させて泣くだけだった。生まれてきてくれて、ありがとうって感じだ。本当に、長生きしてほしい。見届けたいよ、マジで」


 死んでしまったカリスマの誕生を祝うべく、風見と先生は宿をとっている。酒の肴に熱い討論を繰り広げるのが毎年の恒例だ。


 もしかしたら、先生はO崎が死ななかったら、どうなっていたのかをH手を通じて知ろうとしているのかもしれない。

 先生は信じている。

 彼女にはグループのメンバーがいる。仲間がいるから、途中で死ぬことはないと期待しているのではないか。


「先生がアイドルらしからぬグループに惹かれている理由が、わかった気がする」


「センターの子が可愛いからな!」

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