第5話 操の回想
本書のメインテーマの舞台が、大阪にある旧帝大だった浪速帝国大学で、その帝大附属病院で行われたガーゼ失念ミス解明を本書が目的としていることも既に紹介文で述べた。が、それは随分以前に行われたミスであり、今ここでは、あえて年代は明示しない。が、今から何年前頃であるのかは、本書の主人公やその活動の時代背景から、読者の皆さんには分かって戴けるであろう。以下の、本話の冒頭の記述からも、団塊の世代が大学へ入学した後、二十数年が経過した頃であることが、容易にお分かりいただけると思う。さて、前置きはこの程度にとどめ、本話の内容に入っていきたい。
既に二十年以上の歳月が流れてしまったが、昭和四十三年四月、鈴木操は京都御所に面した今出川大学の文学部英文科に入学した。親許を離れ京都で暮らしたい、そんな漠然とした目的だけで今大(今出川大学)を選んだ。当時、日本国内は大学紛争の真っ只中にあり、政治・経済体制を支えていた既存の秩序や価値体系が、スチューデントパワーの前で大きく揺らいでいた。
講義はいうに及ばず入学式開催も困難な状況に今大も追いやられ、キャンパスを覆い尽くす怒濤の如きエネルギーに、操も抗う術なく呑み込まれてしまった。学生運動没入への正当化理由にも事欠かなかった。古い因習に縛られた農村での成育。操と命名した父の価値観への嫌悪。夫の横暴に耐えるだけで自己主張のない、母に対する反発‥‥‥。それに、十八になって二カ月余りの、青くさい女子学生を釣り上げるくらい、セクト(新左翼)のオルグ(オルガナイザー)にとって朝メシ前のことであったのだ。
オルグとの同棲も早かった。バリケード内で訳の分からない理論をまくしたてていたかと思うと、急にのしかかってきて処女を奪われてしまった。―――人生の一通過点。自分でも驚くほど冷めた感覚で、痛みだけが鮮烈だった。その日から彼との同棲が始まるが、長続きはしなかった。指名手配中の男に安住の地などあるはずがないのだ。刑事に教えられた罪名は見事で、紙に書いて渡されなければ覚え切れないほどだった。破防法(破壊活動防止法)違反、建造物侵入・同損壊、傷害及び傷害致死、暴力行為等処罰法違反、果ては窃盗から強姦致死罪まで犯していた。長髪で鼻筋の通った甘いマスク。舌鋒鋭い理論家のキレ者は、化けの皮が剥がれると、逃亡の先々で女を泣かせるヒモもどき、というより、金と塒(ねぐら)を女にたかる正にヒモであったのだ。
警察の職質(職務質問)や取調べが不快で、操にはアパートよりバリケード内での起居が多くなるが、オルグとの同棲同様これも長くは続かなかった。大学当局の執拗な機動隊導入と学生による再度のバリ封(バリケード封鎖)の繰り返しの中で、学生運動のエネルギーは急速に衰えていった。一過性の熱病―――と呼ぶには、一般社会にまで深い爪痕を残す陰惨な事件がその後、相次いだが、いずれにしても権力に伍する理論やエネルギーは生成されることはなかった。
翌年からその次の年にかけ、機動隊の庇護の下、今大もほぼ正常化を果たしてしまった。青春のエネルギーを沸き立たせた、怒濤の時代は終焉を迎えたのである。大学は操にとって、もはや嫌悪と倦怠以外の何ものでもなくなってしまった。終日、アパートで退廃的な時を過ごしていたが、入学以来、一度も帰郷しないのでさすがに心配したのだろう、昭和四十五年に両親が新潟から操のアパートを訪れた。順調に上がっていれば三回生ということになるが、その年の秋のことだった。操は新しい同棲相手との情事の直後だった。開いたドアの隙間から、ベッドに寝そべる腑抜けた男の姿に、父は、
「バカヤロー!」
と怒鳴りつけると、引き摺るように母の手を引いて帰って行った。父との縁が完全に切れたと実感できた瞬間であった。
その年の暮れから、操は、四条河原町裏通りの雑居ビル地下のバーで、ホステスとして働き始めた。内職をしながら父に内緒で学費を納め、仕送りまでする母が哀れでならなかった。学費と生活費くらいは簡単に自分で稼ごう、これがホステスを選んだ動機であった。ママがつけた源氏名は和歌子だった。操以外であれば呼び名に頓着はなかったが、後日客から、売り出し中の女優に似ていて彼女の名前が和歌子と聞かされた。
「もぅ、やめてったら。酒井って女優に似てるより、私は酒に似てるって言われたほうがよっぽど嬉しいんだから。さぁ、飲もう。ジャンジャン飲もう。世俗のう~さなんか、わ~すれちゃえ~!」
倦怠と退廃が漂う、知的で投げやりな美人ホステスに客たちは群がってきた。そんな彼らに、操は惜しみなく一夜の偽りの愛を与えた。即物的動機に導かれた仕事。それにふさわしい客あしらい―――理屈を付ければ、そのような言葉が並んだであろうが、愛などという情緒的概念は操の価値体系とは無縁であったのだ。
無目的で刹那的な日々はアナーキーな革命思想には心地よかったが、不規則な生活と浴びるように飲む酒、それに片時も指から離れることのない煙草は操の体を徐々に蝕んでいった。ホステスになって十カ月後の、秋のことだった。激しい咳込みとともに大量の喀血が指の間からカウンターに飛び散った。驚いた客たちとママの困惑顔は、今も操の脳裏に焼き付いて離れてくれない。救急病院のベッドで、肺結核と胃潰瘍それに手術不能の肝障害と、ぶっきらぼうに禿げた中年の医師から通告された。
「救急車で運ばれて来たわりには、口の減らん元気な姉ちゃんやな。―――しかし、まぁ、若いのにここまでいたんでたら希少価値があってお宝もんやで。‥‥‥せやけどようもって、半年やろな」
売り言葉に買い言葉、との反論が返ってくるであろうが、いずれにしても患者を人間扱いしない蔑んだ医師の態度は操のプライドをズタズタに引き裂き、激しい怒りで体が震えてしまった。が、
「えっ! 半年ですって‥‥‥」
死の宣告は、吹き荒れるはずの毒舌の嵐を沈静させて、まだ余るものがあった。操は羊の如く押し黙り、幼児さながら従順にナースの指示を受容したのだった。
「すぐに戻りますから」
衣類を取りに帰るため、無理に起き上がって病院を出たその日に、操はアパートで大量の睡眠薬を飲んだ。ナイフを持つ手が震え、もうろうとした意識の中で、ためらい傷が幾重にも左手首を鮮血で染めた。動脈血が吹き出したとき軽い安堵を覚えたのは束の間で、意識がなくなるまで大声で泣き叫んだ。絶望と後悔に人格が圧殺される恐怖に襲われ、叫ばずにはいられなかったのだ。
隣人の通報で救急車が駆けつけたが、この間の記憶は断片的で、視覚的映像だけが鮮明で生々しかった。手術室だろう、胃洗浄の嘔吐の度に眩しい光が急に網膜に飛び込んできたが、すぐ気を失ってしまった。
意識が完全に回復したのは四日後で、別の病院の個室に移されていた。カーテンの隙間からの日差しを浴び、椅子に腰掛けたまま眠っていたのは城野健だった。操は彼が何故ここにいるのか理解できなかった。どう考えてもおかしいのだ。記憶の糸をたぐり寄せ、想像をたくましくして無理にひねり出そうと、いや、そうすればするほど病室に場違いな存在であることは否めないのだ。名前も知らないし、会話を交わしたのも僅か二回しかなく、そのいずれも好意的環境とはおよそ無縁であった。
まず一度目は、百万遍の交差点だった。マイク片手にアジっているとき、操は賛同しない城野を痛罵し、
「右翼! 日和見! 権力の走狗! ‥‥‥!」
思いつく限りの雑言を、セクト仲間と城野に浴びせかけた。頭数とマイクのボリュームに反論する気も失せたのか、城野は背中を向け黙って交差点を渡って行ったが、心中穏やかであるはずがなかったろう。
二度目の会話は一年と八カ月経過した、四十五年の末だった。バー勤めのため起床は午後三時。食事抜き、コーヒーで胃を洗うだけの出勤が日課だったが、たまたま入った吉田神社近くのサテン(喫茶店)に、城野はいた。
「やあ、久し振りだね」
ドアを開けた操に気づくと、城野は零れる笑顔で出勤前の夜の蝶を呼び止めた。
「‥‥‥え、ええ」
西陽に燃える横顔と窓際のテーブル席が、操には妙に印象に残る光景だった。
「物理学者になりたいんだ」
城野の青臭さが、操には新鮮で憎らしかった。大学院へ進む資金を蓄えるため塾でアルバイトをしていると、邪気のない笑顔で続けた。テーブルの答案用紙をかき集めながら、
「英語が苦手でね。この単語の意味が分からなくて、さっきから困っているんだ。やっぱり辞書を持ってくるべきだったな」
向かいに座った操に、城野は悪びれる風もなく忌ま忌ましいほど爽やかだった。
「それって、比喩とか、たとえの意味よ」
と教えてから、
「でも、あなた。メタフォーの意味も知らないで、よく塾の先生なんかしてるわね。‥‥‥ホント、信じられない」
ホステスになって増幅された、相手を蔑む卑しさが反射的に言動に現れ、操は意地悪く鼻でせせら笑ってしまった。
その後も二、三度、町で見かけたが、互いに友人と一緒だったので目で挨拶を交わしただけだった。
操は、心地よさそうに眠る城野を起こさなかった。起こしたくなかった。明るい日差しを浴びた白い部屋は、これまでの生活とは無縁な―――まるで天国の一室のように思われ、城野がとても身近な―――家族か、‥‥‥恋人のような錯覚に浸れたのだ。
毛布の端を握って、操は長い間、城野を見つめていたが、ナースのノックで彼はようやく目を覚ました。
「‥‥‥やあ。やっと目が覚めたんだね」
照れながら、ぎこちない言葉をかけると、城野は邪魔にならないよう、ナースに礼を述べ病室を出て行った。
「あの人の名前、何ていうのかしら」
自分でもおかしいくらい赤くなって、ナースに城野の名前を尋ねると、
「もう! 婚約者の名前まで忘れてしまったの! しっかりしないと。―――あんないい人がいるのに、二度と、こんなこと、しちゃダメよ」
中年のナースは、母親気取りで操をにらみつけたのだった。
「城野さんがウチの院長先生の息子さんと親友なの。―――でも転送は大変だったのよ」
ローカル紙で事件を知り、城野は入院先に駆けつけたが、救急病院の劣悪な設備では死を待つのみであったのだ。
(‥‥‥婚約者と偽って、全ての手続きを済ませたのね。ありがた迷惑だわ)
負い目からの僻みもあり、操は素直になれなかった。
「どうして、あのまま死なせてくれなかったのよ! 偽善者ぶって、本当は笑ってるんでしょ!」
泣きながら、何度、城野に毒づいたか知れなかった。彼の真意が分からず、不安と焦燥、それに自己嫌悪から、攻撃せずにいられなかったのだ。
急転回を遂げたのは暮れも押し迫った十二月二十日のことだった。病室の窓に粉雪が舞い、遠くにジングルベルが響く、歳末商戦たけなわの日であった。この日、操の心は童女の純真さを取り戻したのだ。
「こんにちは。お邪魔しますよ」
予期せぬ見舞い客は、高名な量子力学の教授だった。
「大学院を振ってまでの女性には、一度、お目にかかっときたいと思いましてな」
ぶしつけとも言える言動で、印象は悪いが、教授に悪意はなかった。
「城野君には何がなんでも大学に残ってほしかったんやけど、アンタのような美人が彼の心を占領したら、学究生活は色あせてしまうやろな」
決意は固く覆しようがないのであろう。教授に未練がましさはなく、さばさばとした嫌みのない諦め口調だった。
「‥‥‥私が、彼の心を、占領―――」
最後の言葉はかすれてしまい、声にならなかった。これまで嫌悪の対象でしかなかった二文字が、皮肉にも操の心を震わせたのだ。
―――私が、彼の心を、占領しているんですって!
その言葉に体も震えた。‥‥‥愛されている。哀れみや同情じゃなく、自分は愛されていると確信した。治療費を得るため、城野が深夜の肉体労働までしているのも知っていた。
―――ああ! 生きたい! 生きたい! 生きたい!
操の胸は、切ない思いで張り裂けそうになった。その日から、薄く化粧をするようになった。城野を正視できず、真っ赤になって少女のようにはにかむので、若いナースたちの話題の的にされ冷やかされもしたが、少しも悪い気分ではなかった。
「奇跡としか言いようのない回復やな。名医を雇うより、城野君を雇ったほうが病院にはよっぽどプラスになるな。―――おめでとう。‥‥‥さあ、大事に人生を送ってな」
院長の祝福は、入院から九カ月と三日後の、翌年七月四日のことだった。
その後の操の略歴を記すと、退院の年の九月からの大学復帰。法学部政治学科の大学院入学、そして国費によるアメリカ留学。昭和五十六年三月、帰国とともに博士課程中途で大学を去り、操はジャーナリズムの世界に身を投じてしまった。留学中に発表した政治論文、〈危機管理と歴代アメリカ大統領のリーダーシップ〉が日本のマスコミ界で高い評価を得たからだが、Nテレビ就職は、操の卓抜した語学力が買われてのものだった。
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