第1話 ー新規と上書きー

 四月十日。桜も程よく散り始め、「雲一つない」という言葉はこの為にあると言わんばかりの快晴に包まれ、入学式が始まった。

 新入生や保護者、教師や在校生で校庭はごった返し、早々に疲れが現れ始めた。


「えー。皆様。本日という日を迎えれた事に…」


 校長先生による20分ほどの長い長い話を終え、新しいクラスが発表された。新入生が次々と担任に名前を呼ばれていく。

 僕は一年B組で名前を呼ばれた。今年の新入生は全ての学科を通して総勢で240名いる。僕は普通学科で90名いて、1組30名の3クラスに分けられる。

 担任に引率され、校舎の三階にある教室へ移動した。


「黒板に自分の席が書いていますのでその通りに着席して下さい。」


 担任にいわれるがままに各々席に着き始める。窓際の前から二番目が僕の席だ。本校は丘の上にあるので、窓からの景色は市内を一望できる。元々目の悪かった僕にとっては黒板との距離も丁度よかった。

 眺めの良い席に、クラスには地元のような不良は一人もいない。こんなにも素晴らしいスタートとは思ってもいなく、これまでにはない幸福な気持ちに包まれていた。クラスメイトが全員席に着き、しばらくして担任が挨拶を始めた。


「これから一年間、担任を務めます。松崎です。宜しくお願いします。」


 若く見える容姿とは裏腹に意外にも三十代後半といういわゆる「美魔女」という言葉が似合う小柄な女性だ。


「それでは、出席番号1番の朝倉さんから自己紹介をお願いします。」


「はい。えっと…。朝倉 美希です。趣味は…。」


 順番に自己紹介を始めていく。最初の席は出席番号順に並んでいる。つまり僕の番号は26番という事だ。人前で発言をした事がない僕にとってはかなり荷が重く感じる。


主席番号16番で男子生徒は息を飲む。そのおしとやかな雰囲気、小柄な身体。男子生徒一同が注目する中、彼女は口を開く。


中上 静香なかがみ しずかです。虐められていました。」


 それまでがまるで嘘だったかのように、中上さんの一言でクラス中が唖然とした。

 それと同時に自分の過去が見透かされている気がした。ただ僕と違うのは、自分の過去に怯えてないという事だ。

 その凛とした立ち振舞い。その美しさと同時に悔しさまで感じた。


「えっと…。次の方。」


 松崎先生が慌てて切り返す。次のクラスメイトも気まずそうに自己紹介を始めていく。そして等々自分の番が回ってきた。


「真崎 奏太です。宜しくお願いします。」


 緊張しているクラスメイトが多い中、自分の自己紹介は模範的な雰囲気を持ち、自然と拍手が生まれていた。

 中上さんに背中を押された気がしていた。

 この自己紹介が、人生で“初めての始まり”だという事を強く確信した。

 自己紹介も終わり、明日からの日程を説明されていた。


「明日からの登校時間は8時40分までに登校してください。では、本日はここまでです。」


 丁度よくチャイムもなり、長い入学式が終わった。

 殆どの新入生は市内に住んでるので各々仲のいい同級生と下校していった。

 こちらにはもちろん知り合いはいないので校内が落ち着くまで持参した読みかけの小説を読みながら時間を潰す事にした。


 下校のチャイムが鳴ってから1時間近く経過し、時刻は午後1時を回っていた。

 校舎は静まり返っては時折、部活動生の掛け声が遠鳴りに聞こえていた。

 小説もキリの良い所まで読み終えたので、栞を挟み、学校専用の新品の鞄にしまった。

 教室を出て右に曲がり、A組の教室を抜けた所に階段がある。この校舎は三階建てで上への階段は屋上へ上がるための階段だ。この学校は珍しく屋上を開放しているので、僕は気になって屋上へ上がった。

 三階の教室からとは違って見えるその景色は先程落ち着いた僕の胸を再び踊らせ、「新しい世界」だということを再確認させた。


「あら。君もきたの?」


 屋上へ出て右のフェンスに中上さんが寄りかかっていた。あまりに舞い上がっていたので、気付かなかった。


「中上さんは…帰らないの?」


「ここ、落ち着くの。」


 女性とちゃんと会話をしたのは小学四年生以来で少し抵抗はあるものの、早くも新生活に慣れてきた僕にはどうってことなかった。

 それから少しの沈黙が続いた。流石に耐えれそうになかった僕が口を開く。


「さっきの“虐められていた”って…。」


 彼女の方を向けなかった。自分がその質問をされると辛くなるからだ。弱さが残る僕に彼女は急に距離を詰めてきた。

 あまりに突然な動きに僕は反応できなかった。僕の身長は170センチ弱と高い方ではなかったがそれでも20センチほど身長差がある彼女が背伸びをし、耳元で囁く。


「…うちとおんなじ匂いすんねん、君」


 聞き慣れない関西弁と女性から耳打ちなどされた事がなかった僕は、ただ驚き、破裂しそうなほど動く心臓に苦しさを覚えた。

 虐められていた頃とは違うドキドキ。そしてやはり見透かされていたことに僕は不思議と納得してしまった。

 そして彼女は口角を上げニコッと微笑むと振り返り、胸元まである暗い茶色で艶のある髪を春風に靡かせ、屋上を後にした。


 僕は暫し余韻に浸り、屋上からの景色を確かめ、夢ではない事を再確認する。春風と彼女の髪の心地よい香りが入り混じるこの瞬間。女性経験は愚か初恋も経験した事がない僕は、中上さんに惹かれているのだとは信じてはいなかった。

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世界に笑われる僕 音崎 四季 @yuyan1123

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