第9話 体験談の8(合併症後半戦)
結果的に作者は、その療養型病院でリハビリを約7ヶ月行って、自宅での生活には支障がないレベルにまで復活できました。
ただ、自宅の環境が古い建物で、整備できず。
また作者の自業自得で、家族の介助を得られず。
療養型病院から退院後、誤嚥性肺炎を数回発症します。
SBMA(球脊髄性筋萎縮症)の場合、誤嚥性肺炎は、直接の死因につながる合併症ではあるのですが、なぜか作者は生き残りました。
約1年後に、自宅で呼吸困難になり、救急車を呼ばせていただきました。
救急車での緊急搬送で、いつもの基幹病院に到着して、血液検査とレントゲンで、作者の担当医師や看護師があわただしくなりました。
数分後、担当医からの説明が始まり、すぐに手術しますと、人工心肺という機械を使って、心臓と呼吸を止めて手術しますと。
作者は、このまま死なせてほしいと頼みましたが、救急車で救急病院に来たら、手の施し方がある限りは、生きてもらいますと。
つまりは、死にたいならば、救急車を呼ぶと死ねないということが、この時にわかりました。
この時の病名は、膿胸。
肺には、肺胞と呼ばれる小さな袋がたくさんあり、この肺胞に水が溜まると肺水腫で、水はお薬で抜くことができますが、膿胸は、この肺胞に膿みが溜まる病気で、満タンまで溜まると、呼吸困難になり、酸素を取り入れることができなくなって、酸欠になります。
血中酸素濃度という、指を挟む測定器で、測定された経験がある方もおられるでしょう。
テレビの医療ドラマで、SpO2〇〇という言葉を耳にしたことがあるかと思います。
普通、95以上で正常ですが、この時、作者は73しか取り入れられなくなっていて、完全な酸欠でした。
緊急手術しか選択肢がなくなってました。
良いも悪いもありません。
作者は、あ~う~呻いている間に手術室に運ばれて、ガス麻酔によって意識がなくなってしまいました。
気がついた時は、ICU(集中治療室)でした。
またしても、おめおめと、生き延びてしまい、涙が溢れてました。
SBMA(球脊髄性筋萎縮症)で、合併症を繰り返すと、それほどツラいのです。
合併症が出なくても、徐々に動けなくなる身体は、トイレの便器から立ち上がれなくなって、段差も無いのに転倒するようになります。
転倒すると、当然立ち上がれません。
筋肉が萎縮すると、身体が発熱できなくなって、体温が下がります。
平熱が、35℃代に下がると、気温気圧で、とてつもなく体調が左右されます。
トイレから立ち上がれなかったり転倒すると、身体がツラいのはもちろんですが、何よりも、精神的なダメージが大きいのです。
精神的なダメージは、トラウマに近く、元通りになるまでには、何日もかかります。
SBMA(球脊髄性筋萎縮症)に限らず、難病の辛さは精神的なものが非常に大きいのです。
したがって、家族や友人等周りの人々の精神的な支えがなければ、闘病は不可能と言えるでしょう。
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