第8話 体験談の7(合併症前半戦)

作者も、19年の間。様々な合併症に苦しみました。

SBMA(球脊髄性筋萎縮症)患者の最大の敵は、過信のようです。

かなり多くの方が、転倒しての骨折。

主治医の説明は、進行は遅い病気との説明を受けますし、ネットや患者の会の会報や会合でも進行が遅いと。覚えてくるため、自分は大丈夫になります。

災害と同じようなものでしょう。

自分は大丈夫。

本当は、そんなわけありませんが、人間誰しも、悪い想定は、したくないんですね。

で、実際は、健常者でも転倒するような場所で転倒して想定外と言うのです。

そして、長期の安静からの廃用でしょう。

困ったものですね。

作者は、糖尿病様の症状がいたずらをしたのか、右脳出血が最初でした。

脳出血は、もちろん、それだけでも死因になるような、恐ろしい病気ですが、作者は3日の昏睡で目が覚めました。

目が覚めてから1週間で、病院の自走式車椅子を借りて病院内をうろうろするようになりました。

車椅子を、足で操れるようになり、スピードが出したい時は、手で車輪の輪っかを回すことで、自然なリハビリになっていたんでしょう。

さほどの苦労もなく、再度の立ち上がりに成功。

救急車搬送から1ヶ月で、回復期リハビリという部門に移ることができました。

また、その頃には、数メートルなら歩くことができてました。

作者は、努力したつもりはありません。

ですが、リハビリの部門に移って1ヶ月で、病棟の廊下を回遊できるようになってました。

廊下は、1周80メートルです。

普通の生活への支障はありません。

この頃から、ベテランの言語聴覚療法士が、なぜか県立の障害者施設への移動をしきりに薦めるようになりました。

病院は市営ですので、個人的に何か狙いがあったと思うのが妥当かと考えます。

そのあまりの強引さに、その方のリハビリを拒否しました。

後に、ケアマネ同行で、その施設の見学に行きましたが、つくづく行かなくて良かったと、胸を撫で下ろしております。

小さな合併症は、多々ありますが、

入院が必要になるほどの重篤な合併症となると、1年後になります。

また動けなくなって、病院の休日急病診療部に、駆け込みました。

この頃には、介護タクシーの御用達も出来て、動けないくせに余裕綽々で病院に行くようになってました。

もちろん、入院になるとは、これっぽっちも思いませんでした。

幸い、主治医が残業で病院内にいてくれましたので、症状の説明に来てくれました。

病名は、低カリウム血症、血液中のカリウムが激減してました。

点滴と錠剤で、カリウムの数値を回復させることはできますが、これが原因になって、体幹の筋肉が萎縮してましたので、かなりのリハビリが必要になりました。

これによって、療養型のリハビリ病院に転院、療養型病院のひどさを知ることになりました。

肉じゃがというメニュー表記で、楽しみにしていたら、肉とじゃがいもが入ってなかったとか、生臭い秋刀魚とか、認知症を優先するあまりに、普通の患者には、我慢させて当たり前になっている。

看護師の言うことを聞かなければ出ていけ、と言わんばかりの態度で当たられる。

そうなると、当然かもしれませんが、認知症患者の家族以外の評判が加速度的に、悪くなっていきます。

で、結果的に回復期リハビリ専門の病院に形態変更せざるを得なくなってリハビリ病院になるのか、精神科又は心療内科を立ち上げて、認知症病院にするか、潰れるかという三択になるみたいです。

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