第7話 体験談の6(SBMA)
さてさて、この章では、作者の経過を、ご紹介します。
最初の症状は、運動ニューロン病に共通の、脱力でした。
平成12年に入ってすぐのことでした。
もちろん、難病のことなど知るわけありません。
ずっと指摘されていた。糖尿病が何かなったとぐらいに考えて、とりあえず、現在のかかりつけ病院の休日救急診療所に駆け込みました。
それから通院が始まり、しばらくして、糖尿病による体幹障害として、障害者手帳の2級に認定を受けました。
が、この頃はまだ、動けましたので、当然ながら仕事も何もかも通常通りでした。
進行が遅いSBMA(球脊髄性筋萎縮症)の怖さは、ここにあります。
血液その他、様々な検査にも異常が出ないまま、9年が経過して、ようやく血液検査のクレアチンキナーゼ数値が1200を越えるというとんでもない数値を示し、ようやく難病の疑いで検査を始められるようなりました。
何かの難病である可能性が高くなって、一番不安な期間の始まりです。
そう、大多数の難病の場合、病名が判明してしまえば、不安を感じているようなヒマはなくなります。
厚生労働省への報告と登録申請の義務と手続きのややこしさと大量の書類で忙殺されてしまうのです。
この厚労省の登録の延長手続きが、なんと毎年ありますので、そのために、どんどん動かなくなる身体で、患者本人が動けないのに動かなければならなくされてしまうのです。
最初の症状が、平成12年ですから、今年、令和元年は、19年目に当たります。
作者は、なんとか頑張っておりましたが、令和元年梅雨の頃、ついに立位保持ができなくなり、完全車椅子生活になりました。
これまで長く維持できたのは、作者の担当に付いてくれた訪問の理学療法士のおかげでしょう。
SBMA(球脊髄性筋萎縮症)の確定診断には、遺伝子のCAGの異常伸長の検査が必要となりますが、これは血液から採取できる遺伝子ですので、患者は血液検査となんらかわりません。
SBMA(球脊髄性筋萎縮症)の確定は、このCAGのリピートが、36回以下であれば正常数値とされています。
この遺伝子の異常は、名古屋大学医学部の祖父江教授の研究グループによって発見されて、他の難病と区別が確実になりました。
作者の場合、この遺伝子の異常が41で、立派なSBMA(球脊髄性筋萎縮症)でした。
SBMA(球脊髄性筋萎縮症)の患者は、日本に2000人しかいないという希少な難病です。
当然、作者も聞いたことのない病名で、どんな病気なのかもわからない病気です。
とにかく主治医の説明を聞きました。
難病という言葉でイメージすることは、大多数の方が、不治の病、余命はどれぐらい等のネガティブなことでしょう。
当然、作者も同じように思いました。
聞けば聞くほど、ヤバい病気になっちゃったと。
誰しも、死ぬのって怖いと思います。
だから、あがくんですね。
難病での闘病は、七転八倒の繰り返しです。
作者の七転八倒は次の章で。
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