第74話 逃走劇(1)

「アイドルだぁ?んなもん知るか!オレはてめぇとり合うために来てやったんだ!さっさと武器を持ちやがれ!」


上階から床をぶち破って突入してきたガルバーは、今にも飛び掛かってきそうな勢いでイツキをけしかけた。

雪辱を果たす。そのためには今度こそ目の前にいる冒険者を打ち倒さなければならない。

そんな確固たる決意とプライドがガルバーの体を突き動かしていた。


「なんだ、つまらん奴だな」

「だから旦那の感覚がおかしいんスよ……」


だが、突然喧嘩をふっかけられたイツキは本気で面白くなさそうな顔をした。

どれだけアイドルの話がしたいんだ、この勇者様は……。

相変わらずズレている元勇者を肩の上から見て、フィーネが今日何度目かのため息をついた。

そこで、フィーネがはたと気付く。


「………はっ!そういえばお姫様は?!」

「もうここにいる」


見れば、少し離れた牢屋で寝かせられていたはずのアンネが既にイツキの腕の中にいた。

いつの間に、とフィーネは驚くとともに、自分たちがいる場所がさっきまで立っていた外の通路ではなく、小さな牢屋の中だということに気付いた。

つまり、イツキはあの崩壊のタイミングでいち早くアンネの身の危険を察知し、瞬時に移動して岩雪崩を回避しながらアンネを確保したというわけだ。

あの一瞬でそこまで考えるあたり、判断の早さが群を抜いている。


「相変わらず手が早いッスね」

「やめろ。その言い方だと俺が普段から女性に手を出してることになるだろう」


フィーネの面白半分な軽口に、イツキは本気で嫌そうな顔をした。

あらぬ濡れ衣を着せられたうえに、この情報屋に面白可笑しく流布されては堪らない。というか、ここでイツキが肯定しようものなら、無類のスキャンダル好きのフィーネは確実にやるだろう。

今でこそ目的が同じだが、世の中を面白可笑しくすることに命を懸けているような女だ。いつ寝首を掻かれるかわかったものではない。


「ハッ!ガキのお守りをしながらたぁ随分と余裕じゃねぇか!」

「いや、お前たちが攫っていった少女を助けただけだから、余裕のあるなしは関係ないと思うが?」

「そういうことを言ってるんじゃねぇ…!ったく道理の通じねぇ野郎だぜ!」


例によって全く戦闘の意思を見せない冒険者に、あからさまな苛立ちを露わにするガルバー。

息巻いて突入してきたのに、肝心の仇敵がこれでは肩透かしにも程があるだろう。

だが、いくら煽られたところでイツキの戦闘意欲が湧くわけもなく、むしろ気力は減退する一方だった。


「それで何の用だ?見ての通り、俺は忙しいんだが?」

「て、てめぇ…!このオレを馬鹿にするのもいい加減にしやがれ!普通ならここで『お前との決着をつける!!』とか何とか正義の味方から言うもんだろうが!」

「生憎だが、俺は正義の味方じゃないからな。お前の期待通りの言葉が出ないのは当然のことだ」

「ぐ……!ああ言えばこう言う……!いいか、オレはてめぇとの決着をつけに来たんだ!!」


イツキからの正論(?)にぐうの音も出ずに歯軋りをするガルバーだったが、今度は我慢しきれずに猛々しくナイフを引き抜いた。

武器を手に取れば、相手も武器を取らざるを得ないと考えたのだろう。

たしかに融通の利かない相手には問答無用で斬りかかった方が手っ取り早い。

だが、そう簡単にいかないのがこの冒険者と人形のコンビだ。

今にも怒りが噴火しそうなガルバーを見て、フィーネがこそこそと耳打ちをしてくる。


「旦那、ここは…」「ああ」

『逃げるに限る(ッス)』


困った時はまず逃げる。冒険者の鉄則だ。

イツキとフィーネは顔を見合わせて頷き合うと、脱兎のごとく逃げ出した。

それはもう名残惜しさの欠片すらも残さずに。


「わかったら、さっさと―――はぁ!?おいッ!!待ちやがれッ!!」


真っ向から戦うどころか、敵に振り返ることなく逃げ出されたガルバーが頓狂な声を上げた。

戦闘放棄を許さない狩人ハンターにとっては予想斜め上の展開だろう。

戦わない、なんてあり得ない。

だが、そんなことは戦う意欲のないイツキたちにとっては関係のない話だ。

そして、怒り狂った狼の罵声を背中に受けながら、肩の上に人形を乗せた冒険者は少女を抱えたまま一目散に部屋から抜け出したのだった。


☆☆☆


勇者とは、世界を救う英雄を指す言葉。

誰もが恐れる酷烈な運命や困難を果敢に乗り越え、誰もが称賛する孤高の偉業を成し遂げる者。

時には強大な敵を打ち倒し、時には悪逆非道な策略を食い止め、時には虐げられている弱き者に手を差し伸べる。たとえ絶望的な状況に追い込まれていようとも、決して諦めない勇気を持っている………はずだったのだが。


「いやぁ〜こう盗人みたいなことをするのは愉しいッスねぇ〜」

「人聞きの悪いことを言うな。俺は最も効率が良い選択をしただけだ」


かつて勇者だった者は、敵地に潜入して散々暴れ回った挙句の果てに、倒すべき敵に背を向けて華麗に逃亡していた。

誇り?そんなことより推しの安全が大事だ!

万が一顔に傷でも残りようものなら、イツキは精神に異常をきたしてひと月ほど家から出られなくなるだろう。


「どっちにしろアンネを安全な場所まで連れていったら、この寂れてしみったれたオンボロな拠点は粉々に吹き飛ばす予定だからな。この世界で輝くべき少女に手を出した報いは受けてもらうぞ……!!」

「あたしよりも旦那の方がよっぽど子供っぽい動機ッスよね……」


理不尽な恨みつらみを口に出しながら悪い笑みを浮かべる元勇者様。

あの激情に囚われることの少なかった冷静沈着な青年をここまで歪めてしまうとは……と、フィーネは“アイドル”という存在の恐ろしさを目の前で体感していた。

ともあれ、何事も先に手を出した方が悪い。たとえそれがドラゴンの巣だったとしても、目を覚まさせてしまえば喰われるしかないのだから。


「まあ、あたしは極秘情報を仕入れることができたんで、あとは旦那の好きにしていいッスよ。魔法もまともに知らない未開文明の獣には興味ないッスから」

「興味なら俺もないが、大罪には相応の罰を与える必要があるからな。少しはアイドルの偉大さを――――」

「てめぇ!待ちやがれぇぇぇぇええええ!!オレと決闘しろぉぉぉぉおおおおお!!!」


地下空間の細道を快調に飛ばしていたイツキの背後から、けたたましい足音と共に凄まじい怒鳴り声が響き渡ってくる。

振り返らずともよくわかった。

というか、振り返る気も起きないほど叫び声がガンガンに反響してきていた。それなりに距離があるにも関わらずこれだけ響いてくるとは、追いかけてきているガルバーの声量が異常なのだろう。


「………なんか、さっきより元気になってるッスね」

「言葉を喋る獣そのものだな。民度の低さが丸わかりだ」

「おい!聞こえてんぞ、この薄汚ぇ冒険者が!!闘わねぇクズ野郎に言われたかねぇんだよ!!」

「うわ~盗み聞きなんて趣味悪いッスよ~?」

「もう少し知能指数を上げてから出直してこい。いや、アイドルの大切さについて百年は勉強が必要だからな。次は来世だ」

「うるせぇ!訳わかんねぇこと口走ってねぇで正々堂々と闘えってんだ!!これだから冒険者はモグラなんだよ!」


互いに汚い言葉での応酬が激しくなる一方だ。

もはや何をどう罵っているのかすら理解できなくなってきている。

こうして、逃げるが勝ち精神の元勇者と知能レベルが獣並みの狩人ハンターによる泥に泥を塗るような追いかけっこが幕を開けた。

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