第73話 蠢く思惑

再び静寂に包まれる地下牢。

黒装束の男が散り散りの影になって消え失せた跡を、フィーネが興味深そうに見つめていた。


「偽物……だったんスか?」

「いや、影で作った分身体のようなものだろう。お前の人形と同じだ」


フィーネは冷静なイツキの回答に「ん〜なるほど〜」と納得の声を上げる。

黒装束の男が身に着けていた衣服から飛び散った血の跡まで、全てが綺麗さっぱり消えていた。

となると、男の存在そのものが魔法で作られていたわけだ。

影を媒体にする魔法使いであれば、自身の分身体を作り上げることも難しくはないだろう。あのレベルの完成度となると相当な熟練度が必要ではあるが……。


「でも、結局何者かよくわかんなかったッスねぇ……」

「否定はしない。レーベン伯爵と通じていることは確かなようだが、それ以上のことはまだ不明だな。だが、収穫がなかったわけではないぞ」


イツキは消えた黒装束の男が放った言葉を頭の中で反芻する。

『そして、世界は再び混沌に包まれることになるだろう』

伯爵一人とは考え難いエルネストリア内での大胆な行動。一つの劇場を差し押さえるために狩人ハンター派閥クランを雇う慎重さ。そして、得体の知れない魔法を使う腹心の存在。

どれを取っても手の内を曝け出し過ぎており、貴族のお遊びとはとても言えない。


「断定的な考えだが、裏にいるのはレーベン伯爵だけではないようだ。動きが予想以上に大きすぎる」

「それはあたしも思ってたッスよ。伯爵って立場なら大抵のことは隠蔽できるんスけど、私兵隠しのためにこんな危ない橋を渡るほど連中も命知らずじゃないはずッス。むしろ、安全圏でゴキブリみたいに最後まで生き残るしぶとさだけが取り柄の連中ッスからね」


フィーネがイツキの言葉の後を追うように頷きながら同意する。

貴族、特に魔界大戦の苦難を乗り越えた古参貴族たちはあの手この手で生き残ってきた猛者であり、レーベン伯爵もその一人だ。

彼らは私服を肥やすために数々の悪事に手を染めているが、常に巧妙な手口や根回しを駆使して足跡を残さないように徹底している。

そして、だからこそ、イツキたちはレイルラン劇場を巻き込んだ騒動に違和感を覚えずにはいられなかった。

いくら驕りがあったとはいえ、今回の事件はそんな逃げ腰の天才が博打をするには獲物が小さすぎるからだ。

つまり――――――


「博打をするだけの価値があるわけだ。それがレーベン伯爵にとってか、その裏にいる者にとってかは不明だがな。どうやら俺たちが考えている以上に複雑な思惑が絡み合っているようだ」


イツキは断定的だが、確信を持った語気で言い切った。それ以外に有力な可能性が考えつかないからだ。

今イツキたちが直面している事件は巨大な思惑の氷山の一角であり、それに偶然ニフティーメルが巻き込まれただけ。

少々スケールが大きくなり過ぎている気はするが、大筋ではあながち間違っていないだろう。

フィーネも人形の手足で可愛らしく腕を組みながら「まあそうッスよね〜」と軽い調子でうなずく。


「その割には襲うのがアイドルが働く劇場ってのが面白いッスけどね」

「ふむ……つまり、奴らの中にもアイドルの素晴らしさを知る者がいるのか!?」

「旦那がポジティブ過ぎて、あたしは何も言えないッス……」


すっかり脳内がアイドル一色に染まりきった元勇者を、今度こそ諦めたように見捨てるフィーネ。

正直イツキの重症度合いを見誤っていた。いや、昔からタガが外れた時は常識外れの行動をしていたが、今のイツキは全てがアイドルに帰結するようになってしまっている。

このままだと謎のアイドル理論のせいで、余計に話がこんがらがってしまうに違いない。

そう考えたフィーネは、早急に人形の小さな腕でイツキの肩をべしべしと叩いて催促をする。


「さ、旦那。取るものは取って得るものは得たんスから、こんな薄暗い所にいても仕方ないッスよ。ちゃちゃっと帰りましょう!」

「おっと、そうだな。俺としたことが熱中し過ぎたようだ………ん?」


その時、不意にイツキが視線を真上に向けた。それもただじっと見つめるように。

その視線に釣られるようにフィーネも見上げてみるが、ごつごつした岩肌があるだけで他には何も見当たらない。


「ん〜…どうしたんスか?何も――――」


次の瞬間、天井が割れた。

狭い牢屋の中へと大量の瓦礫が雪崩のように流れ込み、下にいた者たちに容赦なく降り注ぐ。


「わっぷ……!今度はなんスか!?」


巻き上がった土埃に飲み込まれながら、フィーネが戸惑いの声を上げる。

イツキの肩の上にいたおかげで生き埋めになることは避けられたが、土埃で視界がほぼ塞がってしまっていた。

先ほどの戦闘の衝撃で天井が抜けたのかと思ったが、フィーネはすぐにその可能性を排除する。

なぜなら、彼女の敏感な聴覚が"あること"に勘付いていたからだ。

目の前に何者かがいる、と。

直後、煙の中から浮き出てきたのは赤黒い殺気を含んだ獣の目。


「待たせたなぁ……モグラ野郎!!!」


血走った獣の眼差しをギラつかせ、この拠点の首領たるガルバーが吠えた。

抑えられない殺気。狼の如き唸り声。握り締められた鋭利なナイフ。

復讐心に燃える狩人ハンターは既に臨戦態勢に突入し、自らの仇敵である冒険者を睨み付けていた。


「なんだ、お前もアイドルについて語りたくなったのか」

「絶対違うと思うんスけど?!」


一方、殺気を叩きつけられているはずの元勇者は至って普段通りのまま。むしろ、アイドルに脳を溶かされているデバフ状態だ。

何から何までめちゃくちゃ過ぎる。

この制御不能な状況を前にして、早くお家に帰りたい……とフィーネは心の中で切実に嘆くのだった。



P.S. なろうで10000PV、カクヨムとの累計で15000PVを超えました!いつも読んで下さってる方、本当にありがとうございます!

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