第70話 影の者(2)

「フッ……やれやれ、アイドルを知らないとは。お前、遅れているな?」


狼狽える黒装束の男を前にして、イツキがいつになく自慢げな表情をした。

オタク特有の『自分は時代の先取りをしている。世界が追い付いていないだけだ』理論だが、これは決定的に自分を客観視できていない証左でもある。

つまり、ただの馬鹿野郎だ。


「この人はドヤ顔で何を言ってるんスかね……」

「世界から遅れている……?この私が……?」

「ああもうシリアスだった展開がめちゃくちゃッスよ~!」


突然はじまったアイドル談議についていけず、フィーネも思わず匙を投げた。

どこからどう見ても話が食い違っているのだが、彼女にはこの馬鹿二人の間を取り持てる言葉もなければ、それをする義理もないからだ。

しかし、全てを察して諦めたフィーネとは違い、誰でもいいから自慢したいだけの元勇者オタクはここぞとばかりにアイドルの素晴らしさを意気揚々と語りはじめる。


「ならば、無知なお前に教えてやろう。アイドルとは、俗に歌唱や踊りに秀でた観客を魅了する魅力を持つ少年少女たちを指す。正確な定義は曖昧だが、俺にとっては汚れた心を浄化してくれる英雄そのものだ」

「歌って踊れる英雄……だと……?!」

「ああ、そうだ。お前も一度見ればすぐにわかるだろう。舞台の上に立つアイドルたちが頑張って成長し、輝きを放っている姿は何物にも代えがたい素晴らしさがある!ああ、可愛い!最高だ!!」

「いや、急に語彙力が落ち過ぎじゃないッスか…?」


イツキは己の内側から溢れ出す感情を抑え切れずに悶えた。

肩の上からフィーネにじと~っとした痛い視線を突き付けられているにも関わらず、まるで気にする素振りすら見せない。

はっきり言って気色が悪い光景だが、黒装束の男にとってはその真に迫る姿がかえって真剣味を醸し出していた。

そして、彼の直感が告げていた。これは何かがある、と。


「フ……何やら真実を上手い具合に隠しているようだが、私の目は誤魔化せないぞ」

「このノッポさん、目が節穴過ぎるんスけど……」


未だに勘違いを重ねている黒装束の男の惨状を見て、唯一平常なままのフィーネもつい口が荒ぶってしまう。

アイドル狂いの元勇者イツキはともかくとして、悪役である貴族の腹心が何たる体たらくか、と。

だが、そんな人形の苦言すらも彼にとっては隠蔽工作にしか見えなくなっていた。


「隠すことはない。さあ、冒険者よ。貴様の語る“アイドル”とやらの真実について聞こうじゃないか!」


黒装束の男は不敵な笑みを浮かべ、仰々しく両手を広げた。まるで世界の秘密を解き明かすかのように。

だが、彼の期待は一瞬にして裏切られることになる。


「…………?何か勘違いしているようだが、俺は真実など隠してはいない。ありのままのアイドルを語っているだけだ」


一蹴。

イツキはごくごく真面目な顔であっけらかんと言ってのけた。

それも、お前は何を言っているんだ、と言わんばかりの突き放すような口調だ。理不尽にも程がある。

けれど、誰がどう見てもこれは当然の結末だった。

そもそも、このアイドル馬鹿の言葉を勝手に歪曲して解釈したことが間違いなのだから。

しかし、その言葉を聞いた黒装束の男は、途端にポカンと間の抜けた表情になる。


「それは……つまり、アイドルとは舞台に立っている子供のことを言っているのか…?それが英雄だと…?私を馬鹿にしているのか?」

「馬鹿にはしていない。俺は本気だ」

「ノッポさん、この人はこういう人なんスよ」


戸惑う黒装束の男に向かって大真面目に語る冒険者と、その姿に同情するようにうなずく連れの人形。

古くからイツキを知るフィーネはよく痛感していることだが、この馬鹿げた元勇者は『素晴らしいアイドルの舞台ライブを見れば、全世界の魂が救われる』と本気で思っているのだ。

清々しくて痛々しい事この上ない。

一応かつて世界を救った勇者がたどり着いた境地なのだが、この世界の常人にはとても理解できることではなかった。


「アイドル……舞台に立って歌い踊る子供たち。それが英雄……?」


完全に当てが外れた黒装束の男は、考えても考えても及ぶことのできない難題を前に再び思考が混濁する。

“アイドル”とは隠語ではないのか?舞台に立つ子供だと?そこに一体何があると言うのだ??

……………ここは一度、冷静になるのだ。

頭の中を整理して、改めて一から考え直してみるしかない。

この冒険者の言葉を一つ一つ紐解いていけば自ずとわかるはずだ…!

そして、考えること数秒。


「ふむ……いや、訳が分からないのだが?」

「デスヨネー。というか、あたしもよくわかんないッス」


黒装束の男は一瞬で思考放棄をした。

世界の彼方まで背負い投げしたくなるほど理解不能な代物だ。考えるだけ無駄、ということだけがよくわかった。

その言葉に、元から諦めているフィーネも心の底から同意する。

きっと、わかっているのは楽しく喋っている当人だけなのだろう。


「勝手に諦めるな。お前はまだ何も知らないから、そんなことが言えるだけだ。一度でも見れば、こんな下らん策略などどうでもよくなるはず……そうだ!罪を償った暁には、俺がニフティーメルのライブに連れていってやろう!」

「いや、それ意味なくないッスか?まあ、めちゃくちゃ面白そうッスけど」


アイドルの伝道師と化したイツキは目の前にいる敵、もとい獲物を沼に引き込もうと躍起になっていた。

一周回って可笑しくなってきたフィーネもそれに乗っかる。

だが、愉しげに語らう冒険者と人形とは対照的に、黒装束の男がわなわなと怒りに震え出した。


「下らん策略だと……?先ほどからアイドルなどという意味の分からないガキ共を煽て上げておきながら、こうも巧みな話術で謀略を巡らすとは……この私を弄ぶのも大概にするんだな…!!貴様らぁぁぁぁぁああああ!!!」


黒装束の男は湧き上がる怒りに打ち震えた。もちろん勝手に勘違いした羞恥も含んでいるが。

それに対するイツキたちの反応は――――


『えぇ~……』


ドン引きである。

勝手に勘違いしてなに言っちゃってんの?と。

そして、山あり谷あり紆余曲折あったうえで、再び戦いの火蓋が切って落とされることになるのだった。

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