第69話 影の者(1)

「フッ……どうやら結論が出たようだな」


黒装束の男が狭く薄暗い部屋の中で仰々しく腕を広げた。

イツキが浮かべた笑みを見て、投降する覚悟を決めたと勘違いしたのだろう。

冒険者とは金のために動く者が大半だ。そもそも冒険者などという博打一歩手前の職業に就いている者は、命と金さえあれば何でもいいような輩ばかり。実際、報酬をチラつかせて依頼を放棄する冒険者もめずらしくはない。

しかし、当のイツキは男の提案など全く気にしていなかった。


「念のため一つ聞くが、お前は劇場を襲撃した犯人で間違いないな?」

「何を聞いてくるかと思えば、貴様の目は節穴か?見事に裏をかかれた相手すら忘れるとはな」

「そうか、ならいい。似たような装束を着ている者と間違えては悪いからな」


イツキはそれだけ確認すると、寝たままのアンネを丁寧にそっと壁にもたせ掛けた。そして、手ぶらのまま黒装束の男の元へと歩み寄っていく。

黒装束の男はその行動を譲歩と捉えたのか、ますます愉快そうに笑みを深めた。


「どうした、人質を置いて今更こちらにすり寄ってくるつもりか?予想通りだが、冒険者とは存外情けない奴らのようだな」

「あー…ノッポの影の人〜」


相変わらず余裕の笑みを浮かべている黒装束の男に向けて、イツキの肩の上からフィーネが控えめに声を掛けた。

この場の雰囲気には似合わない緊張感のない呑気な口調だ。

けれど、どことなく普段と違う硬さがあった。


「何だ?今度は人形からの命乞いか?」

「いや、逃げた方がいいッスよ?」


短い忠告。

すぐそばにいるイツキから只ならぬ気配を感じ取ったフィーネが、ほんの僅かな親切心から放った言葉だ。

しかし、相手を格下だと誤認している黒装束の男にそれが届くわけもなかった。


「フッ……この私にカマをかけようなどと無駄なことは―――ぐほぉ!?」


強烈な衝撃。

黒装束の男がまるでボールのように吹き飛んだ。

そして、そのまま錆びついた鉄格子を突き破り、小さな牢屋の中へと叩き込まれる。


「わぁ〜お!良いパンチ入ったッスねぇ〜」

「がはっ………?!一体何が………?」


黒装束の男は呻き声を漏らしながら何とか立ち上がる。

しかし、何が起こったのかまるで理解が追い付いていなかった。


「(どこかからの遠距離攻撃か…?他に仲間がいたとでも…?私に勘付かれずに近付いていたのか…?))


黒装束の男の頭の中を様々な憶測が飛び交っていく。

あれだけの威力だ。幾つかの魔法で強化した特殊な攻撃に違いない。

だが、渋滞を起こしている思考がまとまる前に、先ほどまで正面にいたはずのイツキたちの姿が見当たらないことに気付いた。


「…………!?奴らはどこに?」


黒装束の男の顔に焦りと困惑が浮かぶ。

気配も全く感じ取れない。あの一瞬で消えたとでも言うのか?

痛みに支配された体の感覚に鞭を打ち、必死に周囲を見渡すが、どこにも薄汚れた冒険者の姿は見つからない。


「どこを見ている。こっちだ」


だが、その直後、男の真横―――誰もいなかったはずの牢屋の中から、先ほどまで目で追っていたはずの冒険者の姿が音もなく現れた。


「ぐっ……貴様……がはっ!!」


ガードが間に合わず、無防備な腹部に神速の蹴りを叩き込まれた。

メキメキっと本来鳴ってはならない音が響き、衝撃に耐え切れず体がくの字に曲がる。常人ならば間違いなく致命傷だ。

そして、黒装束の男は受け身を取る余裕すらなく、地面を跳ねながら今度は硬い岩石の壁に激突した。


「一応言っておくが、俺は今、少し苛立っている。覚悟するんだな」


イツキはゆったりとした動作で振り上げた足を下ろすと、地を蹴り上げて一気に黒装束の男へと疾駆した。

速さと力。どちらを取ってもイツキに分がある。そして何より、この男を殴り飛ばすだけの動機があった。


「フ、フフ……この程度の不意打ちで私を倒したと思うな!【クルーエル・シャドウ】!!」


黒装束の男は手を前にかざすと、正面に巨大な影の空間を作り出した。

影の牢―――アンネを捕らえた時に使った、数多の魔法を見てきたイツキも知らない独自魔法だ。それを前面に広げることで、牽制と防御をこなしていた。

性質の分からない魔法に突っ込むわけにはいかないため、そこでようやくイツキの足が止まる―――わけがなかった。


「邪魔だ――――!!」


一閃。

度重なる短剣の損耗にも躊躇することなく、薙ぎ払うように振り切った。

今のイツキが放てる掛け値なしの全力の斬撃だ。

そして、訪れた凄まじい衝撃波と共に、壁には深い亀裂が走り、影の牢は跡形もなく吹き飛んだ。


「な、なんという馬鹿力だ……」


影の牢を盾にすることで斬撃から難を逃れた黒装束の男が、イツキのあまりにも強引な突破方法に驚愕の表情を浮かべた。

敵の魔法を斬撃のみで消し飛ばす異常さもさることながら、それを躊躇なく選択してみせた冒険者の胆力が最も異次元だ。どれだけの修羅場をくぐり抜けたとしても、そう簡単にはたどり着けない境地だろう。

そして、黒装束の男が生み出した隙を逃すことなく、イツキは一息に男の懐まで接近する。


「おい、お前。自分が何をしたのかわかっているのか?」

「それはこちらの台詞だ……影よ!!」


近付いてくるイツキから距離を取りながら、黒装束の男が魔力を放つ。

すると、黒装束の男の掛け声に合わせて、それまで地面を這っていた影が宙に浮き上がり、鋭い刃となって一斉にイツキ目掛けて放たれた。

事前に仕掛けておいたのか、魔法によるノータイムでの全方位攻撃だ。

蛇のようにしなる影たちを前に、ただでさえ狭いこの空間には逃げ場など無かった。


「フハハ!この影は鋼鉄をも切り裂くことができる刃だ!邪魔な貴様はすぐにあの世へ送って―――」

「下らん小細工だ」


だが、最強の元勇者に不意打ちなど意味を成さない。

イツキは素早く短剣を引き抜くと、たったそれだけで全ての影を切り落としてみせた。いくら鋼鉄を切り裂く刃であろうと関係がない。

目の前で小間切れになった黒い影が力無く宙を舞っている光景に、黒装束の男が思わず目を見張った。


「な、なんだと……?!」

「もう一度聞くが、自分が何をしたのかわかっているのか?」


ゆったりと近付きながら、イツキが再び黒装束の男に問いかけた。

薄汚れた格好の冒険者が異様なまでの威圧感を放っている。その不気味な光景に、黒装束の男はただただ気圧されるしかなかった。

だが、それで押し切られるほど貴族の腹心は甘い覚悟ではない。


「………何をしたか、だと?我々は崇高な計画のために動いている!それに比べれば、こんな小娘程度どうでもいいことだ」

「どうやら、お前はこの少女が何者か知らないようだな。何も知らずに手を出すとは情けない。………いや、知っていたら手を出そうなどとは思わなかっただろう」


イツキは足を止め、呆れた様子で黒装束の男を見つめた。

無知であることを咎め、無謀にも挑んだことを叱責し、それでいて反省を促すような慈愛の眼差しだ。

そんな冒険者が放った意味深な言葉を聞き、黒装束の男が不意に動きを止める。


「………どういうことだ?この小娘がどこぞの王族か何かだとでも言うのか?」

「王族……?笑止千万!あんな下らん連中ではない。この少女、アンネは世界最高の“アイドル”だッ!!」


冒険者は高らかに叫んだ。

それこそが最も重要な事実であるかのように。

そのあまりにも鬼気迫る様子に、黒装束の男も思わず気圧されるように後退る。


「アイ…ドル……だと?!」

「ああ、そうだ!この世界で最も尊い存在だッ!!」

「いや、旦那。そんな有名じゃないッスよ……」


世界の真相を知ったかのような驚愕の表情を浮かべる黒装束の男と、オタク全開で熱く語りはじめた元勇者。そんな二人に呆れた様子でツッコミを入れる人形のフィーネ。

緊迫した戦闘中の会話とはとても思えない。

そして、なぜか黒装束の男が悔しげに拳を握り締め、真剣な面持ちで苦々しい表情を浮かべた。


「ぐっ………!なんだ、その“アイドル”とやらは……全く知らんぞ……?」

「デスヨネー」


むしろ、悪徳貴族の腹心が知っていたら拍手喝采ものだ。

狩人ハンターの拠点での息もつかせぬ激闘のさなか、話はどうにも可笑しな方向に進みはじめていた。

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