第63話 囚われの少女

「んん……あれ……?」


深い微睡から目が覚めたアンネはゆっくりと体を起こした。なんだか頭の奥がぼ~っとして、妙に重く感じられる。

何があったのかうまく思い出せない……。

頑張って頭を捻ってみるものの、記憶の奥底に霧がかかったかのようにボヤけてしまっていた。

…………うーん、ダメみたいだ。

アンネはどうにも覚醒し切っていない頭を使うのを諦め、ひとまず周囲を見回してみる。


「ここは……?」


全然見覚えのない場所。

どこかの洞窟か何かだろうか。地面はゴツゴツと冷たく、目の前にあるのは古びて錆びかけの鉄格子だけ。

焦点の合わない視線のまま何気なく眺めていると、やがて、その奥に置いてある松明の火がゆらゆらと揺れているのが目に映った。

鉄格子と松明、そして、冷たくて薄暗い部屋。まるで牢屋みたい………牢屋?

そこでようやく思考のピントが合った。


「……………そうだっ!」


記憶のパズルが次々と嵌っていき、それに合わせて雪崩のように様々な出来事が頭の中に浮かんでくる。

怯えるメイナ、叫ぶイツキ、黒い影。


「(あの時、メイナを庇って敵の魔法に捕まったんだった……)」


アンネは体感ではついさっき起きた出来事をようやく鮮明に思い出すことができた。

劇場での異変を察知した後、悪い予感に突き動かされるように入口まで向かってみたら、あの場面に遭遇したのだ。そして、何かを考える間もなく無意識に飛び込んでいった。

無防備で、無鉄砲で、考えなし。

我ながらやっちゃったなぁ、という気持ちがある。でも、とっさに足が動いちゃったのだから仕方がない。


「…………うん、とりあえず皆の所に戻らないと!」


アンネは重たくなる気持ちを無理やり押し上げると、気を取り直して周囲の状況を確認してみた。

パッと見たところ、ここは敵のアジトなのかもしれない。

ただ、唯一の手掛かりである記憶は、黒い影みたいな魔法に飲み込まれたところでぱったりと途絶えてしまっていた。

どうしたものかと途方に暮れかけていたその時、アンネが閉じ込められている牢屋の前に、スッと音もなく銀髪の男が現れた。


「お、嬢ちゃん。目が覚めたか」

「あなたはさっきの……っ!?あなたたちは一体誰なんですか……っ!?それに、ここはどこなんですか…っ?」

「そうカリカリすんなよ。声が響いて頭痛くなんだろぉが」

「茶化さないでくださ――――――!?」


アンネはとっさに目の前にいる銀髪の男へと駆け寄ろうとするが、その時、ぐいっと手足が突っかかった。

そこでようやく、自分の手と足には特殊な紐が巻かれていることに気付いた。

全く身動きが取れないわけではないが、これでは『自由に動き回るな』と言われているようなものだ。


「…………私をどうするつもりですか?」

「そんなに睨むなよ。別に取って食おうってわけじゃねぇんだ」


自分の状況を察して表情を険しくしたアンネを見て、銀髪の男が面倒くさそうに頭を掻きながら鉄格子の前までやってくる。

小娘が相手だからと油断しているのだろう。完全に無防備だ。

それを見たアンネはとっさに魔力を練り上げ、銀髪の男に悟られないように手に集中させた。


「(逃げるなら、今しかない……!!)」


全力で放てば、牢屋の鉄格子ごと男を吹き飛ばせるはず。いくら相手が強者であっても、魔法を正面から受けて平気な顔でいられるわけがない。

アンネは覚悟を決めると、手の平を男の前にかざして魔法を放とうとした―――――が何も起こらない。


「ムダだぜ。魔法は出せねぇ」

「…………………っ!」

「ったく、油断も隙もねぇ嬢ちゃんだな。わかったら、大人しく静かにしてろ」


悔しそうに唇を噛み締めるアンネを見て、銀髪の男がどこか満足そうに笑みを浮かべていた。

騙された……!!

きっと手足に巻かれている紐が魔法の発動を封じているのだろう。

アンネはまんまと乗せられた自分の甘さを恥じながらも、なんとか紐を引き千切ろうと必死に力を込めた。


「やめとけ。そりゃ並みの冒険者にも解けねぇ特製品だ。余計に腕が痛くなるだけだぜ?」

「くぅ……………っ!!」


銀髪の男の言う通り、アンネがいくら力を込めても紐が千切れるどころか緩む気配すらない。この魔法を使えない状態では、ただの非力な少女の力でこの紐を断ち切ることは不可能だった。

つまり、今のアンネは無力な“人質”だ。

なぜ古びた劇場を取り壊すためだけにここまでやるのかはわからないけれど、きっと交渉の材料にでも使うつもりなのだろう。

けれど、それがわかってもなお、少女は視線を逸らさずに毅然とした態度を取った。


「…………イツキさんは、あの人は、絶対に来ますよ」

「ハッ、そりゃ楽しみだ!あのモグラ野郎とは是非とも殺り合いたいもんだからなぁ!」


苦し紛れにも聞こえる少女の言葉にも、狩人ハンターの首領はギラギラと目を輝かせた。

戦いたくてしょうがない。そんな、どうしようもなく血に飢えた獣のような眼差しだ。

…………怖い。

アンネは素直にそう感じた。けれど、ここで引き下がるわけにはいかない…!


「…………一体何が目的なんですか?私たちの劇場に何があるって言うんですか?」

「知らねぇよ、そんなことはよ。オレたちは誰か引っ捕らえて来いって依頼されただけだからな。ったく、まどろっこしいやり方すんぜ……」

「おい、ガルバー。人質に余計な情報を与えるな」


二人の会話を遮るように、黒装束の男が割って入ってきた。

アンネを捕らえた張本人だ。黒いフードに隠れて表情はわからないが、銀髪の男に対して苛立ちを覚えているように見える。

そして、黒装束の男が来た途端、ガルバーと呼ばれた銀髪の男もピリピリと嫌な雰囲気を纏った。


「へいへい、貴族様お抱えの監視役はお忙しいことで」

「我々はお前の腕を見込んで雇っている。あんなどこの馬の骨とも知らない冒険者一人にしてやられて終わっては困る」

「………るせぇ。それぐらいオレにもよくわかってらぁ!」

「なら、あの愚図な部下共を働かせてくるんだな。例の冒険者が追いかけてきているかもしれん。いいか、二度目はないぞ」

「ハッ、ここはオレたちの領域テリトリーだぜ?ノコノコやって来るってんなら返り討ちにしてやるだけだ」


そう言って強気な表情でニヤリと笑うと、銀髪の男は静かに部屋から出て行った。

まるで敵同士だ。互いに首元に刃を宛がいながら会話をしている、そんな雰囲気。

外野から見ていただけのアンネでさえ、その息の詰まるような空気に当てられて体が強張ってしまっていた。

だが、黒装束の男は銀髪の男がいなくなった後、愉快そうにくつくつと笑い声を上げはじめた。


「馬鹿な奴らだ。上手く寝首を掻くつもりだろうが、そう簡単にはいかせんぞ」


黒装束の男がフードの奥でギラリと目を光らせた。

とてもとても恐ろしい何か。それをこの男はやろうとしている。

アンネは彼らのことを何も知らないけれど、本能的にそれを悟ってしまった。


「あなたは一体何をしようとしているんですか……?」

「フッ……勇敢なお嬢さん、ここはまだ君が足を踏み入れるべき場所ではない」


黒装束の男は再びフードの奥に表情をしまい込むと、ゆったりとした足取りで怯えた様子のアンネの元へと近付いていった。

そして、鉄格子の前で静かに手をかざした。


「静かに眠りたまえ」

「え……あ………」


視界がぐらつく。抗うことのできない睡魔によって、フッと意識が遠のいていくのがわかる。

そして、黒装束の男の放った黒い闇に飲み込まれるようにして、アンネの意識は再び深い深い夢の奥底へと落ちていった。

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