第32話 小さな情報屋(1)

アンネを自警団に送り届けた後、イツキは美麗なエルネストリアの夜景を眺めながら、屋根伝いに帰路についていた。

本来なら疲れるので上を通るのは避けているのだが、路地を行くと先ほどの冒険者風の男たちに絡まれる可能性があるため、仕方なく屋根上を行くことにしたのだ。

そして、その道中、イツキはニフティーメルのリーダーであるアンネが襲われていた件の不可解な部分について思考を巡らせていた。

最初はただのチンピラが絡んできただけだろうと思っていたが、それにしては明らかに敵の人数が多い。それに加えて、男たちの口ぶりからして何者かに命令されている様子も見受けられた。


「(敵対するアイドルからの脅迫か…?いや、この世界ではまだ小さな業界だ。わざわざそんなことをする余裕などあるはずがない。となると、ニフティーメルがどこかと揉めている可能性が高いな。だが、一体何を揉めることがあるんだ…?)」


イツキは様々な可能性を鑑みてみるが、情報が少なさ過ぎて結論にはたどり着けそうになかった。

もう少しアンネや倒した男たちから情報を引き出しておけばよかったな、と後悔しつつも、あの状況で聞き出すのはやはり無理がある。どちらにしても明確な答えに至ることはできなかっただろう。

いつものイツキなら面倒事に首を突っ込むのだけはやりたくないのだが、関わっているのがニフティーメルとなれば話は別だ。


「面倒だが、あいつに頼むしかなさそうだな」


イツキは大きくため息をつきながら、あまり気が進まない選択肢を取ることに決めたのだった。


☆☆☆


次の日、イツキはエルネストリアの南部に広がるスラム街へと足を運んでいた。

エルネスタ王国の王都たるエルネストリアであっても、例に漏れずスラム街は存在する。スラム街というと極悪非道な犯罪が横行し、貧民による暴動が起きたりする印象が強い。勿論それは間違いではない。

だが、エルネストリアのスラム街は他とは少々様子が違っている。というのも、この街では冒険者稼業が盛大に行われていることもあって、一発逆転を目指す人々にとっては“夢の街”と思われているのだ。

もちろん自警団や軍の警備が行き届いていないので治安はそれほど良くないが、金と力がモノをいう実力主義の世界が広がっており、ある意味で正常な社会バランスを保っている。

イツキはそんなスラム街からわずかに外れたところにポツンと建っている、一軒の目立たない小屋を訪れていた。


「おい、フィーネ、いるか?」


外から扉を叩いても返事がない。

見るからに壊れかけで、風が吹けば吹き飛んでしまいそうな小屋だ。普通の人であれば誰も住んでいないだろうと素通りするのだが、今回のイツキの目的地はここだった。


「まったく、まだ寝てるのか……勝手に入るぞ」


イツキはそれだけ言うと無造作に小屋の扉を開き、さっさと中に足を踏み入れた。

まず開いた瞬間に感じるのが、鼻を刺してくる悪臭。そして、その次に視界に飛び込んでくるのが、積み上がったゴミの山だ。入り口から奥に続く通路にかけて多種多様の服や空になった酒瓶が散乱しており、お世辞にも綺麗とは言い難い。

誰もが少しは足踏みしてしまいそうな汚さだが、イツキは全く躊躇することなく、細い通路を奥へ奥へと進んでいく。潔癖症の人が見たら泡を吹いて発狂するだろう。

そして、そんな足の踏み場もない細い通路を抜けていくと、小さな部屋に出た。

これまでの汚れた空間とは打って変わって、こじんまりとした清潔感のある部屋だ。少し薄暗い橙色の灯りに照らされ、お洒落なアンティークや絵画まで飾られている。部屋の中央には小さなテーブルと、その上には芳ばしい香りのする紅茶が置かれおり、テーブルの隅には可愛らしい人形が行儀よくちょこんと座っていた。

そして不思議なことに、この部屋に入った途端にさっきまで絡みついてきていた悪臭がすっかり消え去っており、気が付けば通ってきた通路すらも綺麗に消えていた。

イツキは慣れた足取りで部屋の中央に向かうと、テーブルのそばにある椅子に腰かけた。


「おい、情報屋、起きろ。仕事の依頼だ」


イツキが自分以外誰もいない部屋で声を上げると、それに反応してピクっと動いた―――人形が。

その人形はまるで人間のようにのそのそと立ち上がり、大きく伸びをしてからきょろきょろとあたりを見回しはじめる。何も知らない人にとっては異様な光景だろう。

そして、人形は目の前に立っているイツキの姿に気が付くと、どこからともなく喋り出した。


「んぁ…?お、旦那じゃないッスか!お久しぶりッス〜」

「ああ、たしかに久しいな。お前も元気そうで何よりだ。それにしても、まだ入り口にあんなしょうもない小細工を仕掛けているのか」


イツキが言っている“小細工”というのは入り口に散乱していたゴミと悪臭のことだ。

スラム街では当たり前の光景だが、あれはここの家主が魔法によって仕掛けているカモフラージュに過ぎない。

情報屋などという怪しい稼業をしていると厄介な連中に付け回されるらしいが、イツキからすれば、あんな魔力の無駄遣い程度の小細工が通用するとは思えなかった。


「相変わらず旦那は手厳しいッスねぇ~。あれでも効果あるんスよ?あたしを知らない人はまず入ってこなくなりますし、生半可な気持ちと報酬で依頼してくる連中も追い払えるんスから」

「俺は気にしないが、あれでは逆に良い客も逃しているような気もするがな…。そんなことより、とりあえず“出て来たら”どうなんだ?」

「あ、そうッスね。最近はこの格好で依頼を受けることが多いもんで……」


イツキの指摘に照れるような仕草をすると、先ほどまで人間のように体を動かして喋っていた人形がパタリと倒れる。

そして、その奥にある壁から一人の少女がすり抜けるように出てきた。

寝起きだとわかるほどボサボサの長髪を隠すことなくなびかせ、今にも瞼が落ちそうなまなこを擦りながら歩いてくる。

儚げなようで、あまりにも現実的な容姿。

そんな生活感丸出しの少女が、絵画の中にあるような整然とした部屋に立っているのは不思議なようでしっくりくる。

身長はヒューマンと小人族レプラカーンの中間程度で、一般的に小柄な体つきだ。そのうえ、少しサイズの大きい服を着ているせいで余計に小さく見える。


「この仕事してると容姿を見せるのも危ないッスから、つい…」

「いや、最初の小細工と違って、これは相変わらず見事だ」

「旦那に褒めてもらえるとは光栄ッス。まあ、あたしはこれ無しじゃ仕事になんないッスからね」


少女はそう言ってにへらと笑った。

彼女の名前は、フィーネ。かつてイツキが勇者として世界を旅していた時に出会った情報屋で、少々性格に難があるが腕だけは信用している。

普段は彼女が独自に組み上げた魔法で人形を動かし、自分の分身として依頼をこなしている“引きこもりの権化”のような存在だが、イツキのことは信頼してくれているのか、ここに来るといつも姿を見せてくれる。

いかにも仕事ができなさそうな外見をしているが、この少女の粗雑な振る舞いに油断をすると、知らぬ間に足元をすくわれることになるから注意が必要だ。

そして、情報屋を名乗るだけあって、フィーネは無類の情報好きだ。それこそ気持ち悪いほどに。昼間から寝ていたのは、深夜の情報収集に熱中し過ぎたのが原因だろう。


「ふぅぅ……シャバの空気はうまいッスねぇ~」


フィーネはのっそりと椅子に座ると、暢気な声を出しながら紅茶を口にする。

一見すると小柄なヒューマンにしか思えないが、彼女はヒューマン・エルフ・小人族レプラカーンの血を受け継いでいる“混血”だ。そのため各種族の持つ固有の能力アビリティをいくつか引き継いでおり、それを情報屋の仕事に活用している。

それなりの付き合いにはなるが、イツキがフィーネに関して知っている情報はそれ位だ。情報屋をしているだけあって、無防備に自分の話をすることはない。これでも詳しく教えてもらっている方だろう。

『情報は誰よりも冷酷な武器だ』と、かつてフィーネ自身も語っていた。


「いやぁ〜申し訳ないッスね。それで、今日はどんなご用件で?」


フィーネがゆったりと椅子に深く腰掛け、感情の読み取れない意味深な表情を浮かべる。

そして、にへらと間の抜けた笑みを浮かべると、この街の裏側を住処にしている小さな情報屋は訪ねてきた依頼主を見つめたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る