第30話 路地裏騒動(1)
エルネスタ王国の王都エルネストリアは、“冒険者の街”として世界に知れ渡っている。
領土内に数多くのダンジョンを有していることから、一攫千金を狙う冒険者たちや彼らを相手取る武器商人たちが口々にそう呼んでいるのだ。
それだけではなく、群雄割拠する冒険者ギルドを束ねるギルド連合の本部が置かれているのも、エルネストリアが“冒険者の街”として名を馳せている理由の一つだろう。
だが、それは裏を返せば、魔法や
ダンジョンに籠っていることが多い上級冒険者はともかく、大抵の冒険者は荒っぽい性格で争い事を好む。というか、単純に力試しをしたい馬鹿ばかりだ。
そんな輩が集まれば、当然喧嘩なんてものは日常茶飯事。ギルド間での抗争や自警団とのせめぎ合いなど、例を挙げればキリがない。定期的に魔法が打ち上がることですら街の風物詩になっているほどだ。
極力面倒事は避けて通りたい派・自称代表の“元勇者”イツキは、そんな不毛な争いに巻き込まれないよう日常的に人通りの少ない裏路地を好んで使っている。とても元勇者とは思えないみみっちい努力だ。
しかし、そう簡単に“事件”を避けられるほど、この街は甘くなかった。
「ん……?」
イツキがいつものように人気のない裏路地を歩いていたら、妙な足音と怒号が聞こえてきた。
その時、イツキは無事『ダレンのダンジョン』を攻略した後にレナエルたちと別れ、一人帰路についているところだった。
下級とはいえ
良くも悪くも、喧嘩をするには丁度いい時間帯だろう。
「あなたたち…!待ち伏せなんて…!」
「逃がすんじゃねぇぞ!追いかけろ…!」
罵り合っている声と、駆け出す足音が微かに聞こえてくる。
イツキは「こんな狭い路地で喧嘩とは、ずいぶんと変わり者がいるものだ…」とそんな路地を愛用している自分を棚上げに心の中で悪態をつくと、別の道へ歩を進めようとしたが、そこでとある違和感に気付いた。
逃げる足音が一つなのに対して、追いかける足音が明らかに多い。そのうえ、逃げているのはどうやら少女なようだ。
「だから面倒事は嫌いなんだ……」
わかりやすい構図に舌打ちをするが、ここまで知ってしまったら見捨てるわけにもいかない。己の運のなさを恨みつつ、イツキは逃げる足音が向かう方へと先回りするように歩を進めたのだった。
「止まれ」
「え―――きゃぁ…っ!?」
イツキが路地から飛び出してきた少女に声を掛けると、少女は突然目の前に現れたイツキの姿に驚きの声を上げ、ぶつかりそうにつんのめりながら立ち止まった。
そして、イツキの姿を見て一瞬驚いた表情をしたものの、直後には明確な敵意が表れていた。
「あなた…あいつらの仲間…?!待ち伏せまでしてるなんて……!」
「待て、落ち着くんだ。事情を――――!?」
殺気立つ少女を制止しようと近付くイツキだったが、街灯に照らされた少女の顔を見た瞬間に息を呑んだ。
見覚えのある快活そうな茶髪、一目見てわかるほど整った顔立ち。暗がりでもわかるほど、存在そのものが輝きを放っている。
見間違えるはずがない。そう、この少女はアンネだった。ニフティーメルのリーダーで、イツキの推しである“あの”アンネだ。
それに気付いた途端、イツキの体に電撃が走った。
そして、あらゆる思考がショート寸前に陥り、溢れ出てくる感情をどうしようもできずに両手で顔を覆って俯いた。
(お、おおお、落ち着いて考えるんだ。
深呼吸を一つ。
そして、イツキは意を決して顔を上げ、明らかに異常な動きをしている男を見て怪訝な表情を浮かべているアンネと向かい合った。
確固たる信念を持ち、あくまでも困っている少女を助けるという気概を見せ、常に冷静沈着な思考で事態に対処するのだ。
“俺はいま、彼女のファンを代表しているのだから”
そして、すぐに察した―――――『ああ……無理だ、可愛い』。それしか、言葉が浮かばなかった。
「【サンダー・アロー】!!」
挙動不審な男を前に、アンネが躊躇することなく単詠唱で魔法を放った。
速さには定評のある雷系統の魔法だ。少しでも動きを止められれば逃げ出す隙ができる、と考えての選択だろう。
文句なしの正解だ。
何者かに追いかけ回された後、こんな気持ち悪い輩に出くわしたら、誰だって魔法の一つや二つは叩き込みたくなる。
だが、突然の攻撃にもイツキは一切身じろぎすることなく、腰に差していた短剣で雷を消し飛ばした。
「そんな…っ!?剣だけで打ち消すなんて…!」
「落ち着けと言っただろう。まず、俺は敵では―――――」
イツキの人間離れした芸当を目の当たりにし、アンネが驚愕の表情を浮かべて一気に警戒心を露わにする。
そして、それを宥めようとイツキが近付いた瞬間、その言葉を遮るように、アンネを追いかけ回していた冒険者風の男二人が路地から割り込むように飛び出してきた。
「やっと追いついたぜぇ……まったく逃げ足の速い女だ。もし取り逃がしたら、俺たちもただじゃすまねぇってのによ」
「くっ……しつこい人たちですね……!」
殺気立った目をギラつかせ、逃げる獲物を捕らえようとにじり寄る男たち。
それに対して、アンネは後退りながら牽制するように魔力を溜めるが、戦闘経験が豊富な冒険者相手では分が悪いことは確かだった。
両者の間に、緊迫した空気感が流れる。
そんな中、唯一緊張感の欠片もないイツキは、飛び出してきた男たちを指差しながらアンネの方を振り返った。
「こいつらは知り合いか?」
「そう見えますか?」
「いや……なら、敵ということか」
イツキはそれだけ確認すると、アンネを守るように男たちの前へと立ち塞がった。
“敵”なら排除するのみ。
だが、お世辞にも良い装備をしているとは言えない不愛想な冒険者を見て、男たちは嘲笑うように顔を歪めた。
「なんだぁ…てめぇは?雑魚が粋がって女を守ろうってのか?笑えるぜ、なあ?」
「ああ、まったくだぜ。その女はオレたちの獲物だ。勝手に横取りされちゃ困るんだよな。邪魔するってんなら、容赦はしねぇぜ?」
「手加減はいらない。さっさとかかってこい」
下卑た笑みを浮かべる男たちの様子を見て、イツキは呆れたように肩をすくめた。
その挑発的な態度にカチンときたのか、冒険者風の男たちは腰に差していた剣を引き抜くと、イツキ目掛けて一斉に駆け出した。
「そうかい…なら、死にな―――ごほぉぇ…!!」
「んな…っ!?てめ―――ぐほぉ…っ!?」
一瞬の出来事だった。
目にも止まらぬ速さの拳が冒険者風の男たちの腹に突き刺さり、一人は宙を舞って路地を遥か彼方まで逆走し、もう一人は空高く打ち上がってから冷たい地面に落下して意識を失った。
イツキにとってはいつも通りの光景だ。むしろ、殺してしまわないよう手を抜くのが面倒なほどだ。
イツキは殴り飛ばす直前に奪った男たちの剣を一瞬で斬り刻んだ後、相手の技量も測れずに突撃してきた男たちを見て、大きくため息をついた。
「騒々しい連中だ……」
「(つ、強い……あいつらも弱いわけじゃないのに、それを一撃なんて…。この人は一体何者なの…?)」
アンネは目の前に立っている地味で愛想のない男を、驚愕した眼差しで見つめた。
さっきまで散々追いかけ回してきた冒険者風の男たちをたった一撃で叩きのめしてみせたのだ。それも剣すら使わずに。その光景は、戦い慣れていないアンネの目から見ても明らかに異常だった。
もしかしたら出会ってはいけない類の化け物と遭遇してしまったのかもしれない、とアンネは背筋が寒くなるのを感じた。
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