第23話 勇者の羽休め(2)

「それで、今日はどうしたんだい?」

「どう、とは?」

「あんたが何の理由もなく来るわけないじゃないか。どうせ何かあったんだろう?」


リンダが見透かすような眼でイツキを見つめた。

言われてみれば、たしかにそうだ。今までも何か目的がなければ、わざわざこの店を訪れることはなかった。おそらく無意識のうちに何かを考えて、足をこちらに向けたのだろう。

長年の付き合いがあるとはいえ、ここまで他人の機微を読み取れるのは流石という他ない。

イツキはそんなドワーフの女店主の観察眼に舌を巻きつつ、今朝方のレナエルとのすれ違いについて思い返していた。


「確かにあったと言えばあったな……。やはり、俺は他人の機微を読み取るのが苦手なようだ。今日も危うく友人を怒らせてしまうところだった」


イツキはこぼすように後悔を口にした。

正直今でもレナエルがどう勘違いをしたのかわからないが、事の発端はイツキの言葉足らずが原因だろう。「今に始まったことじゃない」とレナエルは言っていたが、それでも今回の件はイツキにとって相当なダメージがあった。

真面目に考え込むイツキの姿を見て、リンダが大袈裟にため息をつく。


「今更なに言ってんだい……。あたしが知る限り、あんたはここに来てからずっとそうじゃないか」

「……まあ、それは否定できないが、これでも多少は人付き合いというものをやってきたつもりだ。昔に比べればずいぶんと良くなってきている……はずなんだがな」


イツキは過去を思い出しながら頭をひねった。

すると、そんなイツキを小馬鹿にするように、リンダがくつくつと笑い声を上げる。


「そりゃあ、最初に会った時のあんたはまともに会話すらできなかったもんだからね。いきなり戦力がどうだとか、この街の防衛機能はボロボロだとか滅茶苦茶な事しか話さない、いけ好かないガキだったよ。いくら古い友人からの紹介とはいえ、こっぴどく叱って追い返してやろうかと思ったもんさ」

「あれは……仕方ないだろう。この世界のことを何も知らずにずっと戦い続けてきたんだ。俺にとってこの世界には戦うことしかなかったんだからな」


黒歴史とも呼ぶべき過去をネタにされ、イツキは少し不機嫌そうに顔を背ける。

今でこそ笑い話にはなるが、イツキには他人との普通の会話の仕方がよくわかっていなかった。なぜなら、一般的な会話には“目的”がないからだ。

戦いならば、どう敵を倒すか・自分や仲間の能力・敵の戦力などを考慮して、様々な作戦を立てていくことになる。そして、そこには確固たる目的と共有すべき情報がある。

不要な感情は排し、冷徹に、冷酷に殲滅する手段を模索する。それがイツキにとっての“会話”だった。

だが、戦争が終わり、“勇者”という役割がなくなったイツキは突然世界に放り出された結果、ようやくそれが全くの見当違いであることに気付いたのだ。


「……ま、そういうことにしておいてやろうかね。それに、ここは『旅人の止まり木』さ。あたしゃ、あんたみたいな行き場のなかった子供が立派に成長して巣立っていってくれれば、何も文句は言わないのさ」


旅人はいつかどこかへ旅立つ。それを見届けるのが、止まり木の主の役目なのだ。

それだけ言うと、リンダは酒場の隅にある舞台の上で楽しげに踊るアイドルの姿を眺めた。

周りにいる客たちからは盛り上がる歓声があがり、ただでさえ騒がしい酒場を一層盛り立てている。この酒場の言わずと知れた名物であり、数少ないアイドルの集まる場所だ。


「あたしには、あの"アイドル"ってのもイマイチよくわからないけど、あのたちが元気に前を向いてくれるのなら好きにやらせるよ。きっとそれが一番良いことなんだろう?やんちゃしてる馬鹿は許しゃしないけどね」

「ここを出て成功したアイドルだっている。彼女たちにとって、この酒場での経験はかけがえのないものだったはずだ」

「どうせあんたが言ってるのはアンネのことだろう?昔ここに来てる時はいつもあの子ばかり食い入るように見ていたからねぇ…。そのうち手を出すんじゃないかと冷や冷やしたもんさ」


カラカラと笑いながら、リンダが昔の情景を思い出すように語る。

アンネというのは、あのニフティーメルのリーダーである“アンネ”だ。かつては彼女もこの酒場で働き、舞台ステージに立って歌っていた。

そして、イツキはその頃からアンネのファンであり、ニフティーメル結成後も追いかけているというわけだ。


「む、俺がそんな下劣なことに手を染めるはずがないだろう。眩いほどに輝きを放つあの美しさに惹かれたんだ。それを自分の手で汚すことなど、できるはずがない」

「そうかい?ま、あのに手を出したら、あたしが直々に叩きのめしてやろうかと思っていたけどね」


豪快に不敵な笑みを浮かべるドワーフの女店主に、さしものイツキも思わず引き攣った表情になってしまう。

“強い弱いではなく、正直この人には勝てる気がしない”。それはたぶんこの酒場で働いている全員が思っていることだろう。

だからこそ、彼女のもとに人が寄り集まってくるのかもしれない。弱った者は本能的に己を守ってくれる者の元へと向かうのだから。


「何にしても、ここを巣立っていったたちが元気にやってるならそれでいいのさ、あたしはね」


そう言うと、リンダは少し遠くを見つめるように目を細めた。

戦争によって多くの孤児が生まれ、そんな子供たちの受け皿になる。それがこの酒場だ。

人と接し、人と学び、人と過ごす。そうすることで、傷付いた羽も癒えるのだ。そして、それは決して年端もいかない子供たちだけではない。


「あんたもそうさ。ここは止まり木にしかなってやれないけど、どんな鳥も羽を休めたくなる時があるもんだ。辛くなったらいつでも来るといい。いくら不愛想なあんたでも、少しぐらいなら構ってあげるさ」

「………そうか」

「そうさ。ただし、間違っても毎日来たりするんじゃないよ、せっかくの酒がなくなっちまうからね」


そう言って笑うリンダを見て、イツキは胸の奥が温かくなるのを感じた。

相変わらず口は悪いけれど、誰よりもこの酒場を愛し、ここで育っていく子供たちを愛しているのだ。鈍感なイツキでも、そんなリンダの心根がよくわかっていた。


「やはり、リンダさんは優しいな。だからこそ、ここにいる子供たちも皆あなたを慕っている」

「気持ち悪いこと言うんじゃないよ、まったく。あんたもまだまだガキなんだから、酔い潰れる前にさっさと帰りな」


ドワーフの女店主は照れ隠しをするようにイツキをあしらうと、厨房へと消えていった。

そんな普通の客から見れば愛想のない姿も、ここで育っていった者たちにとっては安心するのだ。変わらない優しさと厳しさがあるというのは、思っていた以上に心が温かくなるものなのだから。


「今夜はよく眠れそうだな」


イツキは手に持った酒を飲み干して、気分よく呟いた。

そして、「さて、明日もダンジョンだ、そろそろ帰るか」と思って席を立とうとした時、誰かに袖を引かれた。

イツキが振り返ると、そこにはにんまりとした笑顔を浮かべた三白眼のエルフが立っていた。それも、両手いっぱいに高級な酒を抱えたまま。

その後の会計で財布の中身がすっからかんに消え去ったのは言うまでもないだろう。

そして、店を出たイツキは思った。今夜は眠れそうにないな、と。

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