第22話 勇者の羽休め(1)
レナエルとの
エルネストリアの隅にある小さな酒場は、いつもと変わらず旅人のために温かな明かりを灯しており、数多くの冒険者たちでごった返していた。
「おや、あんたかい。近頃はよく来るねぇ…」
カウンターに立っていたドワーフの女将―――リンダがすぐにイツキの姿に気付き、呆れるようにため息をついた。とても客相手にする反応ではないが、この店ではこれが普通なのだ。
イツキはそんな店主の素っ気ない様子に肩をすくめると、カウンターの座席に腰を下ろした。
「ちょっと山場を切り抜けたところだからな。少しぐらいなら息抜きをしてもいいだろう。ここはそんな時にある場所だと思うのだが?」
「あたしの店を飲んだくれの休憩所にした覚えはないんだがね。ま、せいぜいゆっくりしていくといいさ」
気難しい店主はそれだけ言うと、足早に厨房の奥へと消えていった。
店内は帰りがけの冒険者たちでそれなりに騒がしく、店を仕切るリンダが勝手に抜けるわけにはいかないのだろう。それがわからないイツキではない。
周囲を見回せば、制服を着た店員があちこちを走り回り、巨大な料理が凄まじい速度でテーブルに並んでいく。それらを頬張りながら、注がれた酒を飲み交わし、冒険者たちが自由気ままに騒ぐのだ。
イツキは適当に注文をすると、喧騒から少し離れた場所から静かにその様子を眺めていた。
「相変わらず、落ち着きのない世界だ」
飛び交う怒号。それと共に宙を舞う武器と魔法。
この世界では当たり前の光景だ。好みは分かれると思うが、イツキはこんな喧騒が嫌いではなかった。
騒いで、暴れて、分かち合う。ここ数年で学んだことは、そんな息抜きの仕方だった。
少し前までは野蛮としか思わなかったんだがな、とひっそりと黄昏ているイツキのそばで、見覚えのある三白眼のエルフが立ち止まった。
「お、この前の兄ちゃん!えーと、ユーレイって呼び名でいいんだっけ?」
両手にジョッキを持ち、めずらしく忙しそうにしているニーナが声を掛けてくる。
ユーレイ……ここの店員の一人であるお転婆なヒューマンのマキがイツキに付けたあだ名だ。あまり良い響きではないが、そんなことはどうでもよかった。
とはいえ、誰も彼もから呼ばれるようになってしまうのは困る。
「呼び名なんてものは何でもいい。どう呼ばれても俺は特に気にしない。だが、人は誰しも名前を持っているものだ」
「あはは、冗談だって。そう微妙な顔されると困っちゃうんだよね……。じゃあ、本当の名前教えてよ」
「…………イツキだ」
イツキはぼそっと呟くように答えた。
それを聞いたニーナはにっこりと笑うと、イツキのすぐ隣に腰掛けてくる。
「仕事はいいのか」とつい口にしたくなるが、なんとか一歩手前で踏みとどまった。というのも、イツキは女性に向けた言葉の難しさを痛感してきたところなのだ。
そこで、あまり気は進まないが、イツキは妙にしつこく絡んでくるニーナの相手をすることにした。
「イツキさんね、おっけー。そういや、あの後リンダさんから聞いたけど、あんた昔はここの常連だったんだって?あたしもちらほら見かけてはいたけど、そんな有名人とは知らなかったなぁ…。まあ、あたしは新顔な方だから仕方ないけどさ」
「昔といってもほんの3年前だ。戦争が終わった直後に少し世話になった、それだけだ」
イツキは酒を飲みながらぶっきらぼうに言葉を投げ返した。
いくら顔見知りとはいえ、イツキはあまり過去を詮索されるのが好きではない。というのも、あまりにも常識外れな存在だったからだ。そして、誰よりも孤独な存在でもあった。今のイツキにとっては“黒歴史”のようなものだ。
そんなイツキの機微を読み取ったのか、ニーナは深いところまで詮索せずに話を続ける。
「へぇ〜、それで恩義を感じてリンダさんによく会いに来てるんだ」
「そういうわけではないが、まあ、そう捉えてくれて構わない。実際世話になったのは事実だからな」
「なるほどね。じゃあ、今日はお世話になったこの店のために、高い酒を買いに来てくれたんだ?」
ニーナがにやりと目を細めて笑いかけてくる。
それが目的か、とイツキは巧妙なやり口で近付いてきたエルフの店員に向けて冷たい視線を送った。働かずに儲けを上げる、という欲望丸出しの策だ。
だが、ニーナは素知らぬふりでイツキの肩を抱き、馴れ馴れしくすり寄ってくる。
「その格好からして、ダンジョン帰りなんでしょ?イツキさんなら稼いできたんだろうなぁ~?」
「………はぁ、仕方ない。あとで適当に良い酒を見繕ってくれ」
「毎度あり〜!これでがっぽり―――うわ、ヤバ…ッ!」
これ以上だる絡みされてはたまらない、と思ったイツキは諦めたように音を上げた。
それを見て満面の笑みでガッツポーズをするニーナだったが、スッと現れたいつもの人影を見付けた途端に席から立ち上がる。
「おや、ニーナ?片付けは済んだのかい?……サボったら承知しないからね」
「は〜い、今からいきますって!それじゃ、イツキさん、またね〜」
ギラリと目を光らせるリンダの気迫に押されたニーナは、ひょいひょいとイツキから離れて仕事に戻っていった。どうやら売り込みが上手くいったのが嬉しいのか、軽くスキップをしながらご機嫌な足取りだ。
そんな反省の色が見受けられないニーナの様子を見て、リンダが大きくため息をつく。
「はぁー…全くあの娘は目を離したらすぐに手を抜くから困ったもんだよ。それにあんたも、いちいち構ってやるんじゃないよ」
「だが、あれは中々に商売上手だ。うまく活かしてやればいい」
まだまだ子供だがな、とイツキは最後に付け加えた。
少々強引な持ち掛け方だったものの、これから知識と間合いを兼ね備えていけば商人にもなれるだろう。いつかは誰もがここを離れるのだから、そういう可能性を伸ばしてみるのも一手だ。
だが、イツキの言葉を聞いても、リンダは厳しい表情を崩さなかった。
「昔それで痛い目にあってるんだよ、あの馬鹿は。この店から罪人を出すなんて、あたしゃ冗談じゃないからね」
リンダはそれだけ言うと、スッと視線を逸らして手元に置いてあった酒をぐいっと飲み干した。
ここで働く人たちは皆、何かしらの過去を持っている。もちろん悪い意味で、だ。
このドワーフの店主は、口は悪いが、そんな彼らを心の底から自分の子供のように心配をしているのだ。
かつて世話になっていたイツキにはそれがよくわかっていた。だからこそ、それ以上口をはさむことはなかった。
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