第19話 すれ違いのお嬢様
翌日、レナエルの屋敷の前では、普段と一味違う可愛らしい服に身を包んだレナエルがそわそわとした様子で待ち人の出迎えようと待ち構えていた。
“深窓の令嬢”と呼ぶにふさわしい艶やかなドレス姿で、派手さを抑えた華やかさの中に奥ゆかしさが伺える文句なしの美少女だ。もちろん安心と信頼のパメラセレクトで、この小柄な王女様の持つ魅力を十二分に引き出してくれていた。
そんなレナエルはパメラの制止を振り切って30分以上前からここに立っているが、しきりに辺りをキョロキョロと見回しては落ち込むばかり。もはや一挙手一投足が恋する乙女そのものだ。
それだけレナエルが今日の“デート”に入れている気合いが違うということなのだろう。
そこへ、レナエルをこんな状態にしてしまっているとは露ほども知らないイツキが普段通り時間ぴったりにやってくる。
「すまない、待たせたようだな」
「い、いや、ボクもついさっき来たばかりだよ。そ、それで今日はどこに行くんだい?」
わかりやすい常套句を使って話を促すが、緊張してガチガチになっているレナエルは丁寧に詫びを入れるイツキに目を合わすことすらできない。頭の中でいつも通りと思えば思うほど、心は焦りで躓いてしまうのだ。
(あぁ…もう、ボクは一体何をしているんだ……!?)
自分に叱咤をかけつつ、辛うじて視線をちらちらと逸らしながら何とか平静を装うが、隠し切れているとはとても思えなかった。
けれど、興味がないのか意識していないだけなのか、イツキは挙動不審な動きをするレナエルに対して触れることなく話を続ける。
「そうだな……早速だが、そのまま目的地に向かうつもりだ」
「目的地…?」
「ああ、宝石彫刻師のところだ。まずは指輪を作ってもらわなくてはいけないからな」
イツキがさらっと、とんでもない爆弾を投下する。
イツキ自身はレナエルが
そう、指輪といえば、あの“指輪”である。結婚指輪、またの名をエンゲージリングとも呼ばれる、あれだ。
「ゆ、ゆびわ…っ!?指輪って、あの指輪かい??」
「むしろ、それ以外に何かあるのか?」
「いや、特にはないけれど……。本当にあのイツキなのかな……?前々からイツキに行動力があるのは知っていたけれど、まさか、こんなすぐに指輪を作りに行くなんて……ボクはどんな反応をすればいいんだ……」
平然としているイツキに比べ、レナエルは心も体もこの急展開に全く追いつけていなかった。
普段から
そもそも、さっきまで軽いデートと思っていても目を合わすことすらできないほど緊張していたレナエルだ。いきなり結婚を匂わせることを言われて、落ち着いていられるわけがなかった。
そんな挙動不審なレナエルを、イツキが不思議そうに眺める。
「どうした、ぶつぶつと何かを呟いて。とにかく素材は鮮度が命と言うからな。早いに越したことはないだろう」
「ああ、素材ね…………………素材?」
そこでふとレナエルの頭に知性という名の吹っ飛んでいたネジが突き刺さった。
ぽやぽやと浮かんでいたお花畑が一瞬で消え、途端にぼやけていた現実世界が鮮明に見えてくる。
宝石彫刻師、素材、指輪。それら全ての言葉が、いま繋がった。
レナエルは電流が走ったかのようにビクンと飛び跳ね、ぼやけていた視界がクリアになる。
「そうだ。昨日獲ってきたエンヴィーロゼッタだ。俺も
「………あぁ……うん……そうだったんだね……」
一瞬にして魂が抜けたレナエルは、今さらのように丁寧に状況を解説してくれるイツキの言葉に生返事で応える。
気分が冷めるなんてレベルではなく、極寒の雪山の中に投げ込まれて凍死寸前だ。口から魂が抜けていくのがよくわかる。
そこでようやくレナエルの変化に気付いたのか、イツキが心配そうに顔を覗き込んでくる。
「ん?どうした?急に顔色が悪くなってきているぞ」
「いや……何でもないさ……ハハ……。ただ、そうだね……少し目と耳を塞いでおいて欲しいから、
「…………
「それでいいんだ。ちょっと心を整理するだけだから……」
不思議そうに頭を傾げるイツキに向けて、レナエルは絞り出すように強張った笑みを見せる。
心の声がイツキに聞こえていないのが、せめてもの救いだ。万が一悟られでもしたら、翌日には特製の
そんな妄想を内心で考えながら、レナエルは弱弱しく右手をイツキに向けてかざした。
『
レナエルの指先から放たれた真っ黒な闇が、立ち止まっていたイツキの視界を覆い隠した。
全ての感覚を妨害できるわけではないので戦闘ではあまり多用できないが、小回りの利く性能は愛用者が多数いるほどであり、使い勝手については申し分がない。
そして、いま重要なのが、イツキのように能力値がずば抜けている者に対しても、当たればほんの少しの間だけは効果が出るということだ。
つまり、今この瞬間はレナエルの声も姿もイツキにはわからなくなっているのだ。
「ぁぁぁぁぁぁあああああ何してんだボクはぁぁぁぁぁぁあああああ!!!」
イツキに魔法をかけた直後、レナエルは両手で顔を覆い、崩れ落ちるように道にしゃがみ込んで叫んだ。
人目も憚らず、それこそ本気で絶叫した。
うきうきでお洒落な服を選んでいた過去の自分を殴って、生まれ変わりたい。
どんなデートにしようかな、とか、これから物語で読んだような甘酸っぱい展開になるのかな、とか、いま考えるととてつもなく恥ずかしいことを思っていた自分を呪いたい。
『元勇者と王女って王道のラブストーリーだし、もう運命の出会いだよ!』な~んて妄想を膨らませていた夢見る乙女の自分を現実に引き戻したい。
恋は盲目、とはよく言ったもので、もう色々とやり直したいことばかりだった。
「はぁーっ……はぁーっ……はぁーっ……よしっ!」
周りの通行人が訝しげな目で眺める中、全力で叫んだレナエルは息を整えると、気合を入れ直す。
もう後悔も羞恥も残ってはいなかった。あるのは、ただ、行き場のないむしゃくしゃした真っ黒な気持ちだけ。
「よくわからないが、気は済んだか?」
「うん、もちろんさ!フフ……ここまで来たら、あとはもうやるだけだからね。ハハハ……さあ、いこうか?」
「あ、ああ……そうだな」
不可解な行動をした後、いきなり満面の笑みを浮かべるレナエル。
それはもう可愛らしい顔を輝くような笑みでいっぱいにしており、落ち込んでいる様子は欠片も見受けられなかった。
だが、イツキはその笑顔の裏に見てはいけない何かを感じて、とっさに視線を逸らす。いや、そうせざるを得なかった。
(なんだ……この感覚は……?)
“あれは、まずい”、と勇者の直感が危険信号を連打しているのだ。魔王の攻撃が首をかすめた時と同じプレッシャーを感じる……。
そして、イツキはレナエルの顔を直視することができないまま、足早に目的地である宝石彫刻師の店へと向かったのだった。
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