第17話 アンネの憂鬱

休憩室の中をどうにも居心地の悪い空気が流れる。いくら言葉を費やしても、議論が前に進んでいる気がしなかった。

その時、休憩室の扉が開き、豊かな髭をたくわえた中年の男性が入ってくる。


「あ、ボストクさん…!どうだったんですか…?!」


アンネは男性の姿に気が付くとすぐに立ち上がり、急ぎ足で駆け寄っていった。

この冴えないヒューマンがレイルラン劇場の支配人であり、劇所の取り壊しを何とか避けられないか奔走しているのだ。

そして、今日がまさに正念場の交渉日で、劇場に帰ってきたということは交渉を終えたのだろう。

だが、ボストクは入って来るや否やその表情を苦悩に歪めて大きくため息をついた。


「大きな冒険者ギルドがこの街に入ってくるらしくてね。既にこの土地の所有者である貴族と話がついてしまっているようなんだ。今からではどうにもならないと突っぱねられてしまったよ…」

「そ、そんなのあまりにも横暴じゃないですか!自警団にも言って―――」

「勿論自警団にも相談に行ったさ。けれど、そういう契約になっている以上は向こうの言い分が正しいと門前払いになってしまったよ…」

「そう、ですか……」


アンネはボストクの言葉を聞くと、わかりやすく気落ちしてしまった。

というのも、現状エルネストリアに残る手段としては、ボストクの交渉が上手くいって、この劇場の取り壊しが中止されるというのが最も現実的だからだ。

そもそもこうした劇場では演劇が上映されるのが一般的であり、本来はアイドルのライブをする場ではない。そして、ほとんどの劇場では“アイドル”が俗で下劣な文化だと思われ、観客に媚びを売る商売だと嫌われている。

つまり、この街におけるアイドルの代名詞であるところのニフティーメルを受け入れてくれる劇場はここの他に存在しないのだ。

アンネが期待を寄せていることを知っていたボストクは悔しさを滲ませながら、ニフティーメルの面々に頭を下げた。


「すまないね……私の力不足だ。君たちに苦労をかけさせたくはなかったんだが、私には土地を買い戻すだけの財力もなければ、跳ね除けられるようなコネもない。しがない劇場支配人なんだ…」

「いえ、こちらこそご苦労をかけて申し訳ありません…」

「私もなんとか取り壊し時期を延ばしてもらえるように交渉はしてみるが、場合によっては君たちの身に何か起こるかもしれない。最悪の事態になる前に身の振り方を考えておいた方がいいだろう」


ボストクが真剣な眼差しでアンネたちの目を見つめた。

貴族に逆らうということは、それなりの覚悟が必要になる。魔界との戦争を終えて平和になりつつあるとはいえ、大半の貴族が私兵を抱え込み、互いに力を誇示し合っているのだ。

ボストクの言葉はそんなエルネストリアの裏側を示唆していた。


「最悪の事態……それって、命が危ないってことですか?」

「………ああ、そうだ。今回の件はどうにもきな臭い気配がする。私は君たちの舞台が好きだ。この街の宝のようにも思っている。だからこそ、その輝きを失って欲しくない」


ボストクはアンネからの問いかけに対して僅かに躊躇するが、はっきりと答えを口にした。

そして、唐突にフッと優しげな笑顔を浮かべると、まるで子供をなだめるように優しくアンネの頭を撫でた。


「時間が経てば、世界中の誰もがアイドルの魅力に気付くだろう。君たちが決して下劣などではなく、美しさと可愛さと尊さを持っているのだ、と。それまではエルネスタの各地を巡業するか、本場の『水の国』で過ごすといい。私でも少しならば滞在先を融通してあげることができるはずだ」

「…………はい」


そんなボストクの言葉を聞いて、アンネは俯きながら諦めるように返事をした。

エルネスタ各地を巡れば、今までよりも多くの人々にニフティーメルを知ってもらうことができる。そして、アイドル発祥の地である『水の国』ならば、もっと沢山のことを学べるだろう。

それらは決してニフティーメルにとって悪いことではない。むしろ、エルネストリアの小さな酒場で細々と公演ライブをするよりは格段にいいはずだ。

けれど、自分たちをここまで育て上げてくれたボストクの口からそれを促されるというのは、やっぱり心にくるものがあった。

だが、そんなアンネを叱咤するように、仲間たちが声を上げる。


「アンネもそんなに落ち込んじゃダメよ!まだ正式に決まったわけじゃないんだから、ね?メイたちはメイたちができることを全力でやる。そうするって決めたでしょ?」

「今回ばかりはメイナと同意見だ。たとえエルネストリアを離れることになったとしても、舞台ライブだけは完璧にこなす。そう言ったのはアンネだったはずだ」


先ほどまで犬猿の仲であったメイナとティルザが、互いに競い合うようにアンネを激励する。

その目には“覚悟”と“信頼”があった。それらは自分たちがこれまで培ってきたものだ。

そんな仲間たちの言葉がアンネの心に突き刺さる。


「そうだね……うん、そうだった。だから、一周年の記念ライブまではこの劇場で歌い続けたい。それじゃ、ダメですか?」


アンネは友の言葉を嚙み締めるように受け止めると、強い意志を秘めた眼差しでボストクに向けて訴えかけた。

とにかく悔いだけは残したくない。最後まで走り抜く。それがニフティーメルだ。


「ボストクさん、わたしからも、お願い。わたしたちはまだ、ここにやり残したことがあるの」


ノエルがアンネのすぐ隣に立って、凛とした表情でまっすぐに言葉を紡ぐ。

迷いはある。けれど、舞台に立ちたいという気持ちはみんな同じだった。

そんな揺るぎないニフティーメルの姿を見て、ボストクは諦めたように大きく息を吐いた。


「…………わかった、君たちの勇気を信じよう。だが、皆も各自で色々と考えておいてくれ。今後のことも、自分の安全のことも」

『はい!』

「良い返事だ。さてと、次の舞台ライブは三日後だろう?今日はもう身体を休めておきなさい。くれぐれも無茶はしないように」


優しく念を押すように告げると、ボストクは安心したように休憩室から出て行った。

部屋に残ったメンバーたちもその言葉に従って、それぞれ自室へと戻る準備をはじめる。

舞台ライブの準備は大方終わっており、あとは本番の日を無事に迎えるだけ。いつもの通りに体調管理を万全にするのが舞台の上に立つ者の務めだ。


「ねぇ、アンネ、大丈夫?」


先に自室に戻っていったティルザとノエルに続いて、アンネも自分の荷物を持って休憩室を出ようとしたところ、メイナがススッと近寄ってきた。そして、心配そうな面持ちでアンネの顔を覗き込んでくる。


「メイナ……うん、大丈夫だよ。こうなるかもしれないってわかってたから。あとは頑張るしかないよ」

「そっか………何かあったらメイに相談してね、絶対だよ?」

「ありがとう、メイナ。それじゃ」


自分を心配そうに見つめる小人族レプラカーンの友人を安心させるように優しく笑いかけると、アンネは手を振りながら休憩室をあとにするのだった。


☆☆☆


「………………よし!」


自室に戻ったアンネは気合を入れるように小さくつぶやくと、目をつぶって踊りはじめた。

頭の中に流れる曲に合わせて、細かくステップを刻みながら、優雅な仕草で両手を前へと振り上げる。

そして、滑らかな足裁きに手首のひねりを合わせながら綺麗にくるっと一回転すると、リズムを踏むように足先でタップする。

アンネの頭の中では、この小さな部屋の中も広い舞台同然だった。

色とりどりのメロディーも、巻き起こる歓声も、仲間たちの息遣いも全部鮮明に思い描くことができる。

それがニフティーメルとして過ごしてきた時間の重みであり、レイルラン劇場で積み重ねてきた経験でもあった。


「ふぅ………うん、大丈夫!」


ひと通り踊り終えると、アンネは部屋の隅に置いてあるベッドに仰向けに倒れ込んだ。そして、ボフっと柔らかな毛布に沈み込みながら、両手を広げて大の字に寝転がる。

さっきは仲間の前で覚悟を決めたけれど、アンネの中にはまだ別の迷いがあった。

結局のところ、将来のことは先延ばしになってしまい、何も決められていないままだ。メイナが声を掛けてくれたのも、きっとそれが理由だろう。

今まではどんな壁もみんなで乗り越えてきた。それが誇りだったし、支えだった。でも、夢をただ必死に追いかけてるだけじゃダメなんだ。


「『夢を描くだけじゃ進めない』か……」


自分たちの曲の歌詞を囁くように口ずさむ。

ずっと歌ってきたはずの言葉が、今になって妙に重たく感じられた。


「もうどうすればいいか、わかんなくなっちゃったなぁ……」


アンネはぼんやりと空虚な天井を眺めながら、魂が抜けたようにつぶやいた。

まだ幼い、けれど、夢に向かって走り続けてきた少女は、大きな分かれ道を目の前にして苦悩の日々を送っていた。

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